今、八重の桜の影響で、会津が熱いですが、一度だけ行ったことがあります。
キリシタン研究家の方の案内で、会津若松城の石垣に、いくつか十字架が掘ってあるので、それを見せてもらいました。
食事の時は、野口秀雄が洗礼を受けた教会の牧師の方と御一緒させていただきました。
私の知らないいろんな歴史も教えていただきました。
もともと、会津には、キリシタンがたくさんいたそうです。
また、会津戦争の生き残りの中から有名なクリスチャンが出ていることは素晴らしいですね。
同志社関係の新島八重、その兄の山本覚馬、明治学院総理の井深梶之助などがいます。
井深梶之助で、思い出しましたが、この方の姪で、やはり八重と言う方がいますが、こちらの八重さんは、またまた厳しい人生を歩んだ方でした。
同志社女学校を卒業して長崎で英語の先生をしていましたが、ハンセン病と診断されて、神山復生病院に隔離入院させられました。
梶之助は見舞いに行っています。
3年後の1922年に、それが誤診で会ったことが分かりますが、八重は病人に献身的に使える院長ドルワール・ド・レゼー神父に感銘を受けて、そこに残るのです。
そして、偏見と貧しさと闘いながら、病人たちに仕えました。
91歳で亡くなりますが、教皇ヨハネ23世から聖十字勲章を受け、赤十字国際委員会からナイチンゲール記章を受けています。
日本カトリック看護協会の初代会長にもなりました。
同じ名前の八重さんが、それぞれの場所で神さまのために活躍されてうれしいですね。
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