まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

木村熊二

2012年03月10日 | 明治人物伝

今日は、東京アンテオケ教会で、6時半よりいやしの集いがあります。
時間を取ってお祈りいたしますので、お友達を誘って、ぜひおこし下さい。
4時40分頃から、路上ライブとチラシ配りをしますが、雨が止むように祈っています。
埼玉は、ほとんど小ぶりになってきました。
ところで、明治期に木村熊二と言う方がいましたが、勝海舟がお金を出してくれ、森有礼について、アメリカに留学しました。
ホープカレッジ、ラトガース神学校に学び12年も帰って来なかったのです。
結婚して5年後に、夫はアメリカに行ったままで奥さんの鐙子(とうこ)さんは、子供を育てながら帰国を待ち望んでいました。
それにしても、12年は長いですよね。
その間、向こうで愛人ができたのではないかと噂する人もいました。
1882年、やっと帰って来た夫は牧師任命書を持って、日本に遣わされてきたのです。
12年ぶりにご対面、そしてお母さんも交えての食事と言う時に、夫が祈りだしたわけです。
当然、妻はどうしていいのか分からず悩んだと思いますが、夫と子供を連れて、教会に通いその年の12月にフルベッキより洗礼を受けました。
そして、木村熊二は、家を開放してそこで勉強会を開きますが、そこに勝海舟の三男・梶梅太郎も学びに行っていたのです。
1885年に、熊二は、奥さんと計画し、その弟の田口卯吉の協力も得て明治女学校を創設します。
しかし、残念ながら、鐙子さんは、1886年にコレラにかかり亡くなってしまうのです。
熊二は、再婚し、1888年(後の高輪教会)の牧師になりました。
義弟の田口卯吉は、自由神学の影響を受け、教会から離れ政治家になりましたが、葬儀はキリスト教式で行いました。
人の人生は、先の読めないものですね。
しかし、すべては神様の手の内にあるのです。


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