明治9年(1876年)、勝海舟の家では、後に宣教医となるウィリイが子供達に英語や聖書のお話しを教えていました。
週に、3回位通っていたのです。
母親のアンナは、娘たちにお裁縫を教えていました。
後に、勝の三女の逸子は、夫の目賀田種太郎について韓国に行きます。
種太郎は総督府財政監査長官になり、後に男爵になります。
彼は、ものすごい堅物で、不正が大嫌いでした。
逸子は、困っている韓国の娘たちに声をかけ、日本への留学費用を出してあげるのです。
そんなところが、お父さんにそっくりですね。
種太郎はアメリカのハーバート大学に入学する時、クリスチャンでなければ、入れないというのを拒否して、特例で入学した方です。
逸子の家族に信仰が、継承されていたらと思うのですが・・・。
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