明治のキリスト教の源流はいくつかありますが、横浜バンドから始まって、築地バンド・熊本バンド・札幌バンド・静岡バンド・などがあります。
バンドとは、音楽バンドのような団体・集団と言う意味だと思います。
それぞれに特徴がありました。
横浜は、ヘボンやバラから始まり教会観がしっかりしています。
札幌バンドは、もともとが教会からは離れた学生たちの集まりだったので、内村鑑三のような無教会の源流となりました。
築地バンドは、自由民権運動の影響を大きく受けました。
静岡バンドは、幕府が倒れて、旧幕臣が静岡に住むようになり、そこから芽生えてきました。
熊本バンドのメンバーの多くは、迫害から逃れ、京都の同志社に入りました。
徳富蘇峰や徳冨蘆花兄弟や、横井小楠の息子である横井(伊勢)時雄などの有名人がいます。
それぞれの特徴は、今も大きく影響していますね。
勝海舟の本妻のお民さんには、娘が二人います。
内田夫人と疋田(ひった)夫人ですが、この二人は、勝家の敷地内に住んでいました。
そして、同じ敷地内にあったホイットニー家の祈祷会にいつも出ていました。
ホイットニー家では、日曜日の午後、日曜学校が持たれ、ほとんど毎日祈祷会や音楽会などの集まりが持たれました。
メッセージは津田仙がよくしていましたが、日本に西洋の音楽を取り入れる時に、娘のクララたちが開いた音楽会で演奏された曲が大きく影響を与えています。
グラント元大統領が来日した時の歓迎会の曲も、クララに聞いて選曲されました。ホイットニー家には、徳川や松平のお殿さまや御姫様、後に障害者の学校・滝乃川学園を後に開く石井筆子や大鳥圭介・杉田玄白の後を継いだ玄端家族や福沢諭吉なども来ていました。
ホイッニー家がアメリカに帰った後でも、集会が持たれていたようです。
アメリカでは、フレンド派の大金持ちのモリス夫人が、日本の宣教に興味があり、お母さんのアンナに会いに来ました。
その関係で、クララはその大金持ちのモリス家で過ごします。
そして、再来日の費用も全部出してもらうのです。
ここにいる間に、クララは、津田梅子を紹介します。
後にモリス夫人を初めフレンド派の方々が津田塾建設のために資金を集めてくれました。
ホイットニー家が再来日する時、イギリス経由で来ますが、ロンドンでお父さんが亡くなってしまいます。
この時、助けてくれたのが、フレンド派の有力なブレスウエイト家です。日本に着くと、内田夫人と疋田(ひった)夫人と子供たちは洗礼を受けていました。
つまり、勝海舟の本妻の娘たちと孫たちが、クリスチャンになっていたのです。
その後、勝海舟の息子の小鹿の奥さんも20歳で亡くなりますが、神様を信じて天に召されます。
妾の子である梅太郎は、牧師になるため木村熊二牧師の所で、勉強を始めましたが、こちらは挫折してしまいますが、クララと結婚します。
孫の疋田玄亀(ひったげんき)の奥さんは、戸川残花牧師の長女です。
再来日してすぐに、今度はお母さんのアンナが召天しますが、その時、いただいたお金でクララのお兄さんのウイリィは勝家の横に400坪の土地を買い赤坂病院と教会を作ります。
そして、ウイリィはロンドンでお世話になったブレスウエイト家の娘と結婚します。勝海舟が亡くなる1~2週間前に、ウイリィは勝海舟からはっきり信仰告白を聞いています。
そのウイリィの奥さんの弟のジョージが日本に来てウイリィの宣教の助けをし、ウイリィの死後働きを引き継ぐのです。
神様のされることは、人を信仰の鎖によって繋げていかれるのですね。