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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

「九十九匹の羊は」

2014年05月14日 | 歴史

ムーディーとサンキーが、イギリスに伝道旅行に行来ました。
電車の中で、サンキーは新聞に書いてあったエリザベス・クレファン女史が亡くなる前に書いた「九十九匹の羊は」という詩を読みました。
その詩を切り取って、ポケットの中に入れたのです。
エジンバラでの集会の時、ムーディーは「良い羊飼い」のメッセージをしました。
其の後に、サンキーにメッセージにふさわしい賛美を歌うようにと頼みました。
何も思いつかなかったサンキーはポケットの中の詩を思い出し、祈った後、曲をつけて歌い出しました。
それが、聖歌429番「九十九ひきの羊は」です。
サンキーの人生で、最も印象的なエピソードだったそうです。

日本の偉人

2014年05月07日 | 歴史

TVで、尊敬する日本偉人ベスト10の中に、勝海舟が入っていませんでした。
大隈重信も、入っていませんでしたが、福沢諭吉が入っていました。
福沢諭吉の方が、側室もいなかったし、潔癖だったから、尊敬は出来ますよね。
杉原千畝が、入っていたのは嬉しいです。
今日、杉原千畝の伝記を買ったら、表紙と出版社は違っていましたが、中身が同じ物でした。
感謝ですね。

ユネスコ無形文化遺産

2014年05月01日 | 歴史

日本の伝統的な和食は、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
ところで、明治の初期、東北から北海道に西洋の女性で初めて入ったイザベラ・バードは、食に関してひどい現状を嘆いています。
お肉がないので、時々、鶏を食べていますが、その他では、米はカビ臭いしキゥユウリしかないと書いています。
家もカビだらけで、ノミとダニとカに攻撃されています。
当時の田舎は、そんなだったのでしょう。
東京のど真ん中に住んでいたクララたちも食物には、嘆いていますが、西洋の食材には困らなかったようです。
イタリア公使は、イザベラに「日本では、食べ物に関するほど、真剣な疑問はない。」と言っています。
それから、百五十年以上経って、ユネスコ無形文化遺産になるとは、びっくりですね。



茅ヶ崎の南湖院(なんこいん)

2014年04月30日 | 歴史

久しぶりに、本格的な雨になりました。
ところで、明治31年に茅ヶ崎のサナトリウム南湖院(なんこいん)が出来てから、その食料などを確保するために、食料品関係のお店が発展しました。
それと退院した方や、入院が高いので近くに家を借りて通院する方や家族が泊まる家や見舞客の泊まる旅館などが増えてきました。
毎年持たれるイベントには、町中の方々が招待されました。
それによって、茅ヶ崎が発展したのです。
高田畊安(こうあん)は、イエス・キリストのことを医王と呼び、クリスマスは医王祭と呼んでいました。
一つのキリスト教の病院が町おこしになり、発展したと言うのはすごいですよね。
最初に入院した3人のうち1人が勝海舟の奥さんのお民でした。
高田畊安(こうあん)の奥さんの祖母に当たる人です。

契約結婚第一号

2014年04月24日 | 歴史


明治時代、日本で初めて契約結婚したのは、富田鐡之助です。
日本銀行の二代目総裁です。
「男女、契約を交わし二つの体が一體となり新生活に入るのは上帝の意思であり、これに従う者は幸福を得る。」
「夫は妻を愛し守り、妻は夫を愛し助けるように。」と言うような内容です。
上帝とは、キリスト教の神を表しますが
富田は、洗礼を受けてはいませんでしたが、キリスト教について学んでいました。
妻の縫は、後に信仰告白しています。
伝記を書かれた方は、この上帝をキリスト教と儒教の結合した観念だと解釈していらっしゃいます。
この契約結婚は、森有礼の影響ですが、森はその数ヶ月後に、やはり契約結婚をしています。
彼の方は上帝と言う言葉は出て来ません。
比較すると、富田の方が、より聖書に近い内容です。
写真は、藤の花です。