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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

上から目線

2013年06月25日 | 明治人物伝


明治時代に、アメリカの全権公使吉田清成という方がいました。
彼がホテルにいた時、一人の男性が声をかけてきました。
名前を聞かれたので「吉田です。」と答えると、隣にいた男に「野蛮な未開国では、名前しかないのか。」と言いましたが、その男は牧師だったのです。
だから、吉田は、「イエスの弟子たちに苗字がありましたか?」と聞いたのです。
上から目線の傲慢は、人をつまづかせますね。
写真は、御茶ノ水の聖橋です。


板垣退助

2013年06月23日 | 明治人物伝

                       
先週の「八重の桜」に、板垣退助が出てきました。
加藤雅也さんが、演じていらっしゃいましたが、若い頃の板垣退助にそっくりだと瞬間思ってしまいました。
メイクの関係もありますが、良く似ています。
板垣と言えば、暗殺されかけた時、「板垣死すとも自由は死せず。」と言ったと言う有名な言葉がありますが、あれは本人が言ったのではなく側にいた側近が言ったものです。
ところで、日本人として最初にルイ・ヴィトンのトランクを持った内の一人です。
後藤象二郎とともに、1882~1883年に渡欧した際に二人で購入したそうです。
また、相撲が好きで、国技館の名付け親でもあります。
知りませんでしたね。


谷田部の助手

2013年06月21日 | 明治人物伝


勝海舟を見出して、徳川の先を読んでいた大久保一翁という方がいます。
明治時代に徳川の宗家を継いだ徳川家達に仕えて、静岡に居ましたが、明治政府から請われて東京府知事になりました。
その息子で大久保三郎という方がいますが、アメリカに留学した後、ヨーロッパを一周して帰ってきたばかりです。
クララは、彼のことが好きでした。
お互いに、気がありましたが、思うようにいかないもので、彼は別の人と結婚してしまいます。
その後、彼は東大の植物学の教授でクララに嫌われていた谷田部の助手になるのです。
その後、教授にもなれずに出脚して地方の教師となるのです。
人生は、分からないものですね。


谷田部教授

2013年06月21日 | 明治人物伝


ホイットニー家では、ほとんど毎日、祈祷会と聖書研究会が行われていました。
誰でも出入り自由なので、色んな方々が来られます。
その中に、東大の教授で日本で最初に博士号を取った谷田部という方がいました。
彼は、無神論者で宣教師たちの批判をしていたので嫌われていました。
もちろん、我らが主人公のクララも嫌っていましたが、週に4回もやってきます。
クララに気があるのだという、噂が立ち、みんな困ってしまいます。
ある日、とうとう、酔っ払ってアメリカの文化や習慣を批判したので、クララと言い合いになり出て行ってしまいました。
それ依頼、来なくなったのです。
数ヶ月後、勝海舟の主治医の娘で、洗礼を受けたばかりの少女と結婚しました。
谷田部さんは、後に海で溺れてなくなります。
今日は、そんな谷田部さんについて書きました。
面白いキャラクターです。


勝家の人々

2013年05月31日 | 明治人物伝


明治9年(1876年)、勝海舟の家では、後に宣教医となるウィリイが子供達に英語や聖書のお話しを教えていました。
週に、3回位通っていたのです。
母親のアンナは、娘たちにお裁縫を教えていました。
後に、勝の三女の逸子は、夫の目賀田種太郎について韓国に行きます。
種太郎は総督府財政監査長官になり、後に男爵になります。
彼は、ものすごい堅物で、不正が大嫌いでした。
逸子は、困っている韓国の娘たちに声をかけ、日本への留学費用を出してあげるのです。
そんなところが、お父さんにそっくりですね。
種太郎はアメリカのハーバート大学に入学する時、クリスチャンでなければ、入れないというのを拒否して、特例で入学した方です。
逸子の家族に信仰が、継承されていたらと思うのですが・・・。