月下に杯を重ね

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長谷部國重

2006-02-20 01:15:54 | 刀工
 建武文和・延文年間、山城の国の人。本国、大和。
 千手院重信の子、長兵衛。
 南北朝時代の山城京五条坊門猪熊に在住した名工。
 彼の作刀には文和四年(1355年)・延文二年(1357年)等の年紀がある。
 正宗十哲の一人に数えられ、作風は前時代までの京風とは一線を画し、相州風をよくする。
 同時代の相州鍛冶、広光・秋広に似通っているが、乱込んだ帽子が相州伝ほど尖らないなど独特の特徴を持っている。
 銘は「長谷部國重」。
 在銘の物はほとんど存在せず、大磨上の物が多い。
 名物「へし切長谷部」も大磨上で本阿弥光徳が長谷部國重と鑑定し金象嵌を施した物である。

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 正宗十哲
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 記載済み刀工 目次

備前長船長義(ちょうぎ)

2006-02-20 01:00:05 | 刀工
 延文年間、備前国長船の鍛冶。
 銘は「備州長船住長義」。
 長船派は鎌倉中期に名工光忠の出現により俄に栄えた流派であるが、この長義(ちょうぎ)は光忠を祖とする主流派でなく、別派の異色の刀工である。
 古来より「備前物中最も備前らしからざるもの」とされている。
 それは作風が相州鍛冶のそれであるからと思われ、正宗十哲の一人と数えられる所以とも言える。
 しかしながら、年代的には長義は正宗よりもやや時代的に下る。
 長義の兄に長重がおり、長重の作刀には建武年紀(1334~)のものが現存する。
 長義においては延文年紀が最古となり、時代的に見ても正宗とのつながりはむしろ長重と考える方が妥当ではなかろうか。長義は長重を介して相州伝を会得したと考える方が自然であろう。
 作刀は短刀が多く、太刀はまれである。なお、まれと言われる太刀は現存し重要文化財に指定されている。