月下に杯を重ね

日本刀メインの解説サイト?
各項目について、新しい情報を入手するたびに加筆修正し、前に出します。

大慶直胤

2005-12-10 03:26:43 | 刀工
 文政年間、武蔵の人。山形の産。
 新々刀期という一時代を築いた水心子正秀の門。後に江戸に出、秋元家に仕えた。
 文政4・5年頃に筑前大掾を受領、さらに嘉永元年に美濃介に転じている。
 師の理論である復古刀説を実践し、備前伝・相州伝の他様々な伝をこなし、技量の上でも師を凌駕し新々刀最上作に位置している。全国各地で作刀した。
 作刀期間は50年以上に及び、安政4年79歳で没した。
 銘は「大慶直胤造」「荘司箕兵衛大慶直胤」「出羽國住人大慶荘司直胤」「美濃介藤直胤」「荘司筑前大掾直胤」。
 
 見栄えという点では、実にすばらしいが切れ味の方は今ひとつである。
 「むしろ切れない方である。他の無名刀の方が切れ味で勝るものが多い」という現代の研ぎ師の言葉もある。
 腰が弱くすぐに折れ、実戦の役には立たないと酷評された時期もあったようだが、鑑賞用としての見栄えはやはりすばらしい。
 


同田貫清国

2005-12-09 14:31:23 | 刀工
 天正年間、肥後の人。菊地住。
 同田貫の一人。
 肥後在来の延寿鍛冶の流れをくみ、弟の正國とともに加藤清正に召し出され御用鍛冶をつとめる。
 天正頃に加藤家より「清」の字を授かる。
 銘は「肥後國同田貫清國」。
 良業物。

藤四郎吉光

2005-12-07 02:19:43 | 刀工
 正元年間、山城国の人。本国は越前といわれている。
 鎌倉中期における京粟田口派の名工で、粟田口国吉の門下(あるいは子)と伝えられている。
 通称は藤四郎。
 直刃の短刀を多く作刀し、名工の誉れが高い。享保名物牒に十六口も載せられるほど評価が高い(なお相州正宗40振り(41振り説あり)、相州貞宗18振り(19振り説あり)に次ぐ)。
 短刀作りの名手。

同田貫(どうだぬき)

2005-12-05 23:56:21 | 刀工
 文明から慶長年間、肥後住の数名の刀工たちである。
 天正16年に熊本城主になった加藤清正が、御用鍛冶に一門を登用した同田貫一門の作刀は、刀に限らず大身槍や長刀が存在し、いずれも切れ味の良さに定評があった。
 元々は肥後國在来の延寿(えんじゅ)鍛冶の末裔といわれている。
 
 個別名を切るもの、切らないもの、両方ある。
 個別名を切らないものの銘としては、「肥後國菊地住同田貫」「肥後州同田貫」「九州肥後同田貫」。
 業物。ただし、同じ同田貫の中でも個別名で清國と切るものは良業物と評価されている。業物位列が切れ味の優れたものの混在割合をさしているという良い例である。
 
 個別名を切るものとしては、手持ちの資料では同田貫兵部同田貫清國・同田貫正國がいる。

國安

2005-12-05 01:16:00 | 刀工
 慶長年間、山城の人。日州飫肥の産。
 三郎太夫と号す。
 後鳥羽上皇の御番鍛冶粟田口國安とは別人である。

 堀川国広の近親者の一人(弟との説あり)で、同門中最優秀であり、国広の代作者の一人でもある。
 できのよいものは、国広作の上位のものと比べても見劣りしない。
 銘は「國安」。
 大業物。

アンテニー=ダガー

2005-12-04 14:34:00 | 武器・防具
 アンテニーとはカタツムリの角の意。
 ポメル(柄頭)の形状がカタツムリの角状になっている点からそう呼ばれている。
 刀身は薄く片刃・両刃のいずれもが存在する。
 戦闘用というよりは、日常生活用と言われている。

 全長30センチ、身幅2センチ、重量0.25キロ程度。
 鍔は直線上で、戦闘では飾り程度の役に立たなかったものと考えられる。むしろ、日常生活で使う際に握り手の保護を目的としたものか。

 この発展系にリング=ダガーがある。

同田貫兵部

2005-12-03 18:46:11 | 刀工
 同田貫の一人。
 天正年間、肥後の人。
 銘は「肥後同田貫兵部」。
 
 同田貫は、数名いるが個人名を切る物と切らない物、両方ある。
 業物。

諷誦

2005-12-03 18:42:33 | 刀工
 永延年間、陸奥の人。
 大和朝廷に帰順した蝦夷民族をさす俘囚と同語である。
 俘囚の鍛冶の作であろうか?
 詳細は謎に包まれている。