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月下に杯を重ね

日本刀メインの解説サイト?
各項目について、新しい情報を入手するたびに加筆修正し、前に出します。

源左衛門尉信國・信國[三代]・信光

2006-04-25 00:12:24 | 刀工
 応永年間、山城国の鍛冶。
 山城国の信國の系統で、初めは信光を名乗った。
 信國三代目。
 その次男(或いは門人ともいう)定光は、筑紫に移住し信國を名乗り、筑紫信國の祖となった。

 銘は「信國」「源左衛門尉信國」、初銘は「定國」。
 大互の目乱・湾れ乱。
 彫物のあるものが多いのが特徴。
 業物。


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 信國[初代]
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信國[初代]・信久

2006-04-23 21:48:11 | 刀工
 建武・貞治年間、山城国京の刀工。山城国信濃小路住、のちに五条坊門に移るという。
 弥五郎。来光重の子、あるいは了久信の子ともいう。
 了久信の父は了戒で、その父は来國俊であるから、いずれにせよ来の系譜であることは明らかであろう。
 相州正宗の高弟彦四郎貞宗の流れをくむ相州伝。貞宗三哲の一人と数えられている。
 師である貞宗直伝の刀身彫刻は、師に似て巧みである。
 
 銘は「信國」、初銘は「信久」


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備前正恒

2006-04-17 00:04:05 | 刀工
 備前国の鍛冶。
 平安後期から鎌倉前期にかけて吉井川上流に栄えた刀工群を古備前と称する。この後一文字派が起こるのだが、正恒は数ある古備前の中でも友成と双璧をなす名手である。
 青江正恒とよく混同されるが、作風が全く異なる。
 しかしながら、同名工が三名おり、作風が銘振りも近似しているため判別は到底不可能といわれている。
 そのため、評価もほぼ同一となっているようだ。
 以下にその三名を上げておこう。

正恒[初代]
 永延年間、五郎左衛門尉。
 銘は「正恒」。

正恒[二代]
 長和年間。
 初代正恒である五郎左衛門尉の子。
 銘は「正恒」。

正恒
 長元年間。
 本国奥州より移住した有正の子。
 奥州太郎と号した。

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