黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

さて、恒例の筍堀です。

2015年04月27日 | 食いしん坊

4月25日土曜日。
久しぶりの快晴に、さあ、筍堀に行こうぜィ!!

皆が準備していると、首輪をつけてもらって自分も参加できるのがうれしくて。

俺様はいつでもOK!
準備万端のすけってことよ!!


行くのは何時ものお父さん家の裏山。
埋まっている筍を見つけ、掘るのはお父さんと、良ちゃんと、おじさん。


ちょっと探すだけでももうとれる。


軽トラック一杯分くらいとれた。今年は時期もよかったのかなあ。


取れたての筍の一場美味しいところを食べる、ロック。


食べる食べる食べる。


一人で食べまわす。とうとう最後にはお腹壊すと言われて、筍から引き離されたロック。


今年初参加の私ですが、何か?
何もしなくても寝ているだけですが、何か?




ご近所さんにもおすそ分けして、たけのこご飯。


筍の若竹煮、裏庭の一年に一度しか使わない山椒とともに。


美味しかったし、お疲れ気味のお父さんはいち早くご就寝。



スリランカ vol 8 リラックスデイ

2015年04月23日 | 旅行
3月2日
エレベーターの上も、立派なレリーフが。
ホテルの重厚さがそこここにありました。



列車は満員で、ドア付近も人でいっぱいです。
アジア感満載でした。


スリランカの経済は自力ではなかなか行けない今日で、このホテルも何年も建設が中止になっていました。
こんなホテルが何件もありました。

前の大統領が中国の経済協力を受けていたので、中国が沢山の建物や工事などをしていました。

しかし、去年の選挙で敗れ、アンチ中国の新大統領の下、工事がすべて中止になっています。


バンダーナさんが言ったんですよ。
”中国のものはすぐ壊れるんです。日本のが一番ですよ”と。





ホテルの隣はアメリカンセンターです。
道路側から見るとこうですが。


私たちの部屋から見ると、写真の右側の高い塔。
その党のてっぺんには、、、、、。


機関銃が設置されていて、24時間交代で監視していました。
写真撮るなという張り紙はなかったけれど、こっそりとっちゃった。


今日はホテルのプールサイドでのんびりとリゾート気分です。



3月3日
日本ではお雛祭りの真っ最中です。

この夜に帰国するので、もう一度お買い物や、最後に本場のカレーを食べに行きました。

白いバスは国営。


赤いバスは民営。


日本から買った車がそのまま塗装もせずに普通に走っていました。



トゥクトゥクもいっぱい走っていて、すぐ”マダム”と寄ってきます。

友人一人は、朝お寺に行こうと思って歩いていた時、トゥクトゥクが寄ってきたので、いらないと言うと、そばにいたおじさんが俺も乗るからと言って無理やり手を引っ張ってきたので、一人じゃないからいいかなと思って乗ったところ、降りるとき2000円請求されたそうです。
あまりのぼったくりに頭に来たので、”私が乗りたいといったんじゃないんだから、あんたが払え!!”と、日本語で言い放って走り去ったとか。

後でお寺の人に聞いたら300円くらいとか500円くらいと言っていたので、帰りは500円きちんと払ってきたと。

今では登録してあるトゥクトゥクは、90%メーターが付いているので大丈夫と聞いたけれど、登録してないのが多いんじゃないかな。

カンガルータクシーが一番。
英語を話せる運転手さんとかホテルのボーイさんとかは、すぐに僕が案内してあげますよ。
と、アルバイトをしたがりますね。


夜中の出発のために、しばしホテルで夕焼けを鑑賞。


23時45分コロンボ発
飛行場の中の免税店は全然安くなく、オディールなんかは高いくらいだった。

頑張ってっ買ってきたジョニーウオーカーのブルーラベル。
日本でネットで買った方が半分くらいの値段で買える。
ショックで、ショックで、いやんなっちゃう。


帰りの機内ではラベちゃんも、お疲れ気味。



あっという間の9日間。
友人が、ホテルから幼稚園から観光、ショッピングまで手配してくれてありがとう。
並の添乗員より大変だったと思います。



こんなに素敵にデコしてくれたマグカップ。
絶対壊せないぞ。
そのためには使わないで飾っておかなければ。



長い長いスリランカ編。
最後まで見てくださってありがとうございました。

内容はともかく写真だけでも楽しんでいただければ。






シギリアレイディネットワークが今日まで続けてこられたのは、会員の皆様、紅茶を買ってくださった皆様、スリランカの方々、そして会員であり、海外経済協力基金のIさん、もちろん中心になって頑張ってくれたM、Iさんは基金を退職した後も、スリランカとの仕事を続けていたため、何かとお世話になりました。

皆さんに、ありがとう!!





ああ、今度はいついけるのかな。





スリランカへ行ってきた vol 7 コロンボお買い物三昧

2015年04月22日 | 旅行
3月1日
今日は朝からお買い物です。コロンボ市内にはそれほどたくさんのお店があるわけではありません。

友人のアシストであちこちのお店へ行きました。

特にオデール、ここで家族全員のお土産を買いました。

皆さんも張り切って買い物していました。

買い物三昧で写真一枚もなし。

そのあと、ベアフットで、さらにお買い物。

友人はベアフットの公式日本代理店もしており、いつも日本で購入していたものが、そりゃ、お安いですよね。

買いましたです。

家にも、エプロン、ナプキン、テーブルクロスとうとうたくさんありますが、買っちゃいました。

そして夜。

おばさまたちのお二人が今夜の便で帰るため、晩さん会を開きました。

場所は、ミニストリー オブクラブ 

こんなかわいいエプロンで。


こんなすてきなナプキンで。


カニの大きさによりお値段が違うため、チョイスも大変です。
今回は5000円ほどのを全部で3匹食べました。

お料理のパフォーマンスも見られてとても楽しい雰囲気でした。


バターとニンニクのいい香りが店中に。

ただ手のべとべと感が半端なく、お店に1ヶ所しかない手洗い場には結構人の列ができました。

この後お二人は日本へと出発。


3月2日
ホテルでは朝から結婚式がありました。

写真をとってもいいですかと聞くと、どうぞどうぞ前から撮ってくださいと、式場の入り口まで誘ってくれました。

やっぱりきれいなのよね。



その後ホテルをゴールフェイスホテルに変更し、今日は彼女のお仕事に追従。

ベアフットの本社にいたわんこは、捨て犬だったそうで、首輪してました。


このわんこで5匹目。スリランカで首輪している犬を見たのは。ロックにも買いたかったのですが、ちょうどよいのがなくて、リードにしました。

さて、ホテルの趣はどうよラベちちゃん

ただいま半分は改装中ですってよ。

老舗の趣がいっぱいでした。

インド洋に空に浮かぶつき。


またまた夜中には雷と豪雨が。

明日は晴れるかな。


















スリランカへ行ってきた   vol 6 世界遺産 ゴール旧市街

2015年04月16日 | 旅行
2月28日
この旅行で初めての快晴日。

ゴール旧市街はすてきだった。


当時の東インド会社の後。


ちょうど、テレビ?番組の収録を要塞の上でやっており、この二人は子役。その後方に半分移っているのがたぶんヒーロー、そしてヒロインは映っていないけれど、日よけの傘の下ですごいふてくされた顔して、あんたたち何なのよと、にらまれた。


可愛いポスト現役です。


バンダーナさんが、みなさん見てください。日本の車です。
ゴミ収集車は岡山県のとある市からプレゼントされたものでした。



要塞の中では物売りの人もたくさんいて、結構きれいなものも売っていたので、私はスリランカの特徴のあるテーブルクロスを買いました。

歯が全くないおじさんが、5000ルピー、50ドルというので、3000ルピーと言ったら4000ルピーと言ってきた。

バンダーナさんが、スリランカ語で話してくれて、4000ルピーが妥当というので買いました。

ところが、全く同じものがちょっと離れたところで、4000ルピーから始まって、3500円とか言われた。すでに購入済み。

可愛い子供服もあると言って、次から次へと出してきたのでついつい澄音ちゃんのために買いました。

別の場所へ行くと、さらに安い値段で売っていた。


さて午後になり、今日の宿コロンボへと出発。

高速道路のサービスエリアは、新しくてものすごくきれいでした。
高速道路自体もたくさんの人が使うわけではないので、好いています。


さてこれは、、、、、、、、。
そうなんです、道の駅でした。こんなところも、友好的なところですね。
あいにくお休みでした。

ここには国営のショップがあり、お値段もなかなか手頃なので、お留守番をしてくれている長女にお土産のネックレスを買いました。


ここまでのスリランカの道路には、信号が5個しかありませんでした。

この後信号はは数えきれないというので数えるのをやめました。

国会議事堂です。


これも日本の援助で建てられたものです。


とてもきれいに整備されていました。



やっとガラダリホテルに到着。


アクシデントはあるもので、予約をホテル側が1日間違えていて、喫煙ルームになってしまった。

到着したときホテルのロビーでは子供の誕生会が催されており、たくさんの大人が子どものためにお祝いをしていた。お金持ちだけの特権だな。


ホテルの1回にはショップもあったりバーもあったりしたのだけれど、バーには女性禁止と書いてあった。


ホテルの部屋にはこんな物騒な張り紙がしてあった。

写真もビデオも双眼鏡で見るのもだめ。

理由は、そこに旧議事堂があり、今も執務が行われているそうです。
機関銃を持った警察官か兵士かわからないけれど24時間警備をしていました。

でも、建物の周りにはリスなんかがいたりして、、、、。


お部屋はかなりタバコ臭かったけれど、我慢しましたよ。
彼女が頑張って交渉してくれたけれど、満室でやむなくでした。

今日も無事に予定がこなせられてよかった。おやすみなさい。

真夜中に激しい落雷と豪雨で目が覚めた。明日の天気はどうなるのかなあ。なんて。






スリランカへ行ってきた  vol 5 ここからは観光です。

2015年04月15日 | 旅行
2月27日
幼稚園の視察を終え、ここから観光が始まります。

立派な紅茶ファクトリーがホテルになっています。


体験茶摘みをしていた人が、せっかく積んだお茶を頭からひっくり返したりして。


妙齢のおばさまたちの合言葉
”薬飲むのわすれないでね!!”


ここからおよそ1日かけてカラマンダーへ行きます。
ヌワラエリアの街を車中から。

紅茶摘みの人たちの家は本当に簡単な家です。
ヌワラエリアの街にはイギリスが統治していた頃の郵便局や、警察署が今も使われています。
当時の領事さんの家がホテルになっていて、庭も今でも素晴らしくきれいに手入れされていました。


高速道路もあるのですがあえて一般道を走り、スリランカの生活そのものを見せてもらいました。
皆親切で、運転手さんが道を聞いてもすぐに教えてくれたり、トゥクトゥクがバランスを崩して道路の真ん中にひっくりかえっていると、すぐに助けに来てくれていました。

ものすごい車の量と、半端ない運転だったりするのに、事故はトゥクトゥク2回の自損事故しか見なかった。

水が豊富で

あちこちに小さな滝が

本当にきれいでした。


途中の休憩所には日本の協力でできたとのプレートがありました。



途中団体バスにこんなものがついていた。


これは仏教、イスラム、ヒンドゥーの人たちがアダムスピークという聖地、山に登る車につけられているもので、悪いい人は一人もいませんという印。

お米の一種のよう。名前を聞いたのに、、、、、、。


ここは2004年のスマトラ大地震が起こった時の慰霊碑で、亡くなった方全員の名前が書いてあります。
日本人の新婚旅行に来て亡くなった方もいます。

この時も、子供たちのためにとぬいぐるみやノートなどを持っていきました。

この時からTUNAMIが世界的に認知されたのです。



今日のホテルは、カラマンダーのウナワトナビーチ

リゾートの典型的なホテルでした。今日一日車に乗っていたのでお疲れ様。




次は、ゴールです。


あっ、インド洋での地引網が、バンダーラさんが(運転手兼ガイドさん)車を止めてくれました。


とれた魚はすぐに量って売っています。200円くらいで買っていたような。

中にはペットホテルやビニール袋等ゴミもたくさん混じっていました。

海に戻す魚とか、カニとかおじさんが見せてくれました。とてもフレンドリーなんですよね。



さあ、これからゴールまで一気に行きます。
ゴールと言っても最終地点ではなく、中学校の時に習った東インド会社に行きます。






スリランカへ行ってきた  vol 4  ディガナ幼稚園

2015年04月14日 | ボランティア

あ~あ今日も雨です。


2月26日。

今日はもう一つの幼稚園の視察です。

キャンディから小一時間のディガナ幼稚園。ここはお寺の敷地をお借りして幼稚園を建設しました。

行く途中で、トゥクトゥクの自損事故を見たのだけれど、すぐに周りの人が寄ってきて助けていました。
三輪車なので、すぐにバランスを崩すらしい。

10時ころ到着しました。

3クラスが仕切りごとに分かれてお勉強中(ぬり絵の時間)に、お邪魔しました。

歌やダンスで歓迎してくれたので、お返しに私たちも”幸せなら手を叩こう”をうたいました。

時計をプレゼントすると、同じ反応が、、、、。



ここでもおもてなしを受けました。

ただ私がお腹を壊していたので、頂くことはできませんでした。

ガイドさんがビューポイントに連れて行ってくれました。遠くには仏歯寺も見えます。


さてこれからヌワラエリアへ行きます。
途中グレンロッチのティーファクトリーへ。

紅茶のできる工程を全部ガイドさん付きで説明してくれます。


ここでは、子供がお金をくださいと寄ってきたのですが、あげませんでした。

さてこれからはヌワラエリアへ行きます。

またまた雨模様になり、ちょっと憂鬱です。

道路では野菜売りの屋台があり、代替が一山50円くらいで売っています。

美味しそうな大根とにんじんを買って、ホテルで食べました。美味しかった。


大雨の中でも、紅茶摘みをしています。全員が女性で、男性はそれにまつわる仕事をしているそうです。

大雨の中、細くて曲がりくねった道を小一時間、ヌワラエリアのホテル ヘインテス ティーファクトリー
とても危険そうな道だったので、着いた時には思わず運転手さんに拍手をしました。

昔の紅茶ファクトリーを改修したホテルで、当時のいろいろなものが展示していました。
時代を感じます。エレベーターはすけすけです。周りが見えて怖い、と言う人もいたけれど私は楽しかった。


これは焙煎機だったかな?


秤、これで摘んだ葉っぱの量を図ってお金をもらいます。


ラベちゃん、お疲れ様。
今日も楽しかったかな?
おやすみなさい。




スリランカへ行ってきた  vol 3 フルガンガ幼稚園

2015年04月13日 | ボランティア
今日も雨。
4月は本当に雨が続いている。


2月25日
さてさて、もう忘れそうなくらい遠い昔になってしまったけれど、この日は今回のいいばんたいせつな行事。

フルガンガの幼稚園訪問でした。朝8時にシギリアホテルを出発。

途中トイレタイムに”バティック”というスリランカの代表的なろうけつ染めのお店に立ち寄りました。


ろうけつ染めの工程すべてを見学させてもらえます。

すべてが手作業なのでお値段もそれなりにお高く、決して安くはしてくれません。でも、交渉はしてみる価値はあると思います。

お友達が購入しました。


フルガンガの幼稚園には10時ころ到着すると連絡していたのですが、行けども行けども着きません。

山の周りの細い道をぐるぐる回りながら、何にもない、紅茶畑しかないところを、、、、。

幼稚園は12時で終わりなので、なんとかその時間に合わせていかなければなりません。

10時が過ぎ、11時が過ぎ、こちらも、運転手さんも焦ってくるし、幼稚園からは何度も連絡が来るし、12時ころ、やっともう一つの山の向こうに幼稚園が見えてきました。

なんと小さな子供たちが、楽器演奏の準備をして待っていてくれました。

待ちくたびれて泣き出してしまう子供もいましたが。

沢山の保護者と、村の警察署長さんまでもが出迎えてくれました。



今回の訪問記念に音楽のなる時計を持って行ったのですが、鳴り出すとみんなびっくりで、あんぐり口を開けている子もいました。


どこから聞こえてくるのだろうと不思議そうな顔で。



子供たちは帰る時間です。いつもよりは遅くなってしまったけれど、こちらから持参したノートと鉛筆をもってさようなら。


校長先生に1年分のお給料をお渡しして。

以前はシンハリ人と、タミル人がお互いを理解しようともしないで紛争をしていた時期もありましたが、今では普通に交流をしています。

この幼稚園は、シンハリ、タミル、そして今ではイラムの子供たちも一緒に勉強しています。

子供たちが帰った後は、保護者の方々が差し入れしてくれたお昼です。
いろいろ名前をうかがったのですが全部忘れしまった。

紅茶はとてもおいしかった。
こちらのマナーはたくさん作って、たくさん食べてくださいというのですが、ゲストが食べ終わって、そのあとを自分たちが食べるのだそうです。

以前友人はそのマナーを知らなくて、お腹いっぱいでも残しては失礼にあたると思って全部食べたら、その日そのお宅は夕食抜きになってしまったのだとか。

幼稚園の中、台所、職員室、トイレ、外、後ろ。

建物を建てるのはほとんど保護者のボランティアで、材料だけ買って、出来る分だけできる時に作るのです。
普通のお家も一緒で、何年もかけて作ることもあるそうです。

山の中で崖を削って建物を建てたので、後ろの山から水が出てきていつも湿気ていたのが、土留めをすることによってよくなったとと言ってくれました。

自然がいっぱいで懐かしい風景です。外国人は友人が連れてきた人以外はほとんどいません。皆珍しそうにじろじろ見ていました。


英語のできる校長先生の弟さんが、キャンディから朝3時半のバスで通訳のためにわざわざ来てくれました。

彼をとちゅう最寄りのバスステーションで降ろし、仏歯寺へと向かいました。

キャンディも、町中がほとんど世界遺産の立ってもので埋め尽くされていて、そのうちにはマークがついている。
残念ながら、キャンディの街中は車中からの観光でした。


仏歯寺

仏歯寺につくころまたまたの豪雨。急いでお寺に駆け込みぬれずに済みました。

中に入るには半ズボンは禁止、で、短パンの人は腰にスカーフを巻きつけていました。靴も脱がなくてはなりません。


お花を買って(中に売っている)捧げ小一時間中で過ごすうちに雨も小雨になり、

夕方5時過ぎホテルへ。

マハウェリ リッチ ホテルものすごい豪華なホテルだったけれど、たった一つ難点が。

トイレの水が非常に流れにくい。それだけで幻滅。

寝転がって天井をみていたら


メッカはあっちなんだな。


フルガンガの幼稚園で頂いたのは、シギリアレイディネットワークの名前入りのマグカップ。

おばさまたちは感激してしまった。お金もないのにわざわざ私たちのために、、、、、と。



朝早くからバンバンという音がする。何かと思えば、サルを追い払う空気銃のようなものでうるさかった。

さてこの日はキャンディの近くのディガナ幼稚園の視察です。

スリランカへ行ってきた  vol 2

2015年04月08日 | ボランティア
平成27年4月8日
霙降る景色を見ながら南国のブログ書いています。


前日の大雨でどうなることかと思っていたのですが、何とか曇りで、今日の予定のポロンナルワ
シギリアロックに出発。


8時半、一路世界遺産ポロンナルワへと。


運転手さんの前に飾ってあるレイのようなものは、日本でいえばお守りのようなもの。
ほとんどの人が車に飾ってある。


スリランカの中部地方は、稲作が盛んで1年に2度お米がとれるとか。


また野生のゾウなども保護したり、水田を荒らしたりしないように電熱線を張り巡らしてテレトリーを侵さないようにしているとか。

カメラの充電が切れていい写真が取れず、友達のカメラで撮ったのはサイズが大きくて、しかもリサイズできなくて乗せられない。

ポロンナルワにはたくさんのサルがいて、しかも、耳が大きくとがっていて、しっぽも非常に長い。

遺跡にはたくさんのお坊さんたちもお勉強のために来ていた。(近くにお坊さんの学校があるとか)


午後、シギリアロックへ移動。

3時過ぎ小雨が降り始める中をシギリアロックへ登山開始。
その後だんだんと強くなり頂上へ上るころにはとうとうどしゃ降りになってしまった。

それでもがんばって頂上へ。
 この壁画のレイディの名前を頂いてシギリアレイディネットワークを作ったのです。



中には軽いサンダル履きにスカート、携帯で話しながら登る人などいてまあ、驚きでした。

土砂降りの中ホテルシギリアへと。

夜はみんなであれやこれやのお喋りタイム。おばさんの話は尽きません。



スリランカへ行ってきた  vol 1

2015年04月06日 | ボランティア
友人からスリランカへ行かない?と誘われたのは、去年の11月。

でも、長女の出産のすぐ後の予定だったので断った。

その旨長女に伝えると、行っておいでよ。私は大丈夫だからというので、夫にスリランカへ行ってくるからと宣言したのが12月。

友人がすべての行程を作ってくれるというのでお任せし、2月23日にスリランカへと出発した。



なぜに唐突にスリランカへ、というと。


スリランカの女性の識字教育や、子供のための幼稚園建設等を、30年以上も前からシギリヤレイディネットワークボランティアとして活動していた。

スリランカの紅茶農園と契約をし、シギリヤレイディというブランドの紅茶を作り、それをいろいろところで販売し、その売り上げでスリランカの紅茶農園で働く女性のために使ってきた。(識字教育だったり、ミシン等送って手に職をつけるなど)

最近では幼児教育の必要性を感じ、10年以上前からは、幼稚園を作ったりしていた。


しかし、会員の高齢化に伴い、ほかの若いグループ等のボランティア団体なども、各自に活動し始めてきたので、そろそろ終わりにしてもよいのではないかという案が出て、この活動を終了することにした。

それについて、一度も行ったことのない私に行かないと声をかけてくれた。

友人は最初からこの活動の中心的存在で、スリランカに30回以上も行ったことがあり、かなり詳しい。

すべてを彼女にお願いし、行くだけの私。

最終的に、妙齢のおばさま総勢5人の珍道中と相成りました。




ところが長女の出産が遅れること2週間。どうなることかと思ったが無事に産後の日が明けての3日後無事出発。



2月23日。成田空港に集合。

初めての方2人。まあ、なんとかなるものですよ。





エアースリランカ、12時35分発。

ロックを連れていくことができないので、今回の旅のお供はラベちゃんです。

紅茶美味しいね。

CAの、お姉さんにキュートなんていわれちゃったりして。


時差は3時間。
夜8時ころ到着、偶然にもガイドさんが友人の知り合い。それだけでもラッキー。

レートは100円で、108円くらい。

飛行場からおよそ4~5時間かかり、夜中の1時ころに到着したのがホテルシギリア


いあー疲れたねえ。取り敢えずは寝よっと。


次の朝は鳥や、サルの鳴き声で目が覚めた。まさに南国。
ディズニーランドのなんたっけ、あれ、その、あれみたいな感じ。



リスなんかやってきたりして。



こんな豪華なプールのはるか向こうに見えるのがシギリアロック




世界遺産登録年:1982年今日はここへ上ります。


まずは、腹ごしらえから。






スリランカへ行ってきたのは、1か月も前のこと。

2015年04月01日 | 旅行


初めてのアジア。びくびくしながらいろんなことに。

びっくりしたこと

その1  スリランカの犬は、首輪をしていない。

その2  スリランカには信号がない。






9日間の間に数多くの犬を見たが、首輪をしていたのが5頭だけ。

後はみんな自由自在に暮らしていた。もちろん繋がれてもいない。

なぜか道路上にいつも横たわっているので、たくさんの犬が足をけがしていた。

車が近づいてもよけないので交通事故にあったのだと思うが、、、、。

でも、逃げない犬は飼い犬だとのこと。野良犬は人間が近づくと逃げていくと、ガイドさんが言っていた。





スリランカの中で首都のコロンボを除けば、ほとんど信号がなかった。

たった6基だけ、これ本当です。

スリランカは英国の統治していたので、英国式のロータリー。

とにかくものすごい量の車が傍若無人のように、走って割り込んですごいスピードで、、、、。

でも、その割に交通事故はたった2回だけ。

しかも、両方ともツクツクの自損事故。

まあ、そのほかにも驚いたことが山のように。







忘れないうちに、写真とともにスリランカのことをUPできればと思っています。