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ママは弱視 子育て日記

弱視ならではの視点での雑感ブログです
弱視をご存知の方にも そうでない方にも
気軽に読んでいただければと思います

弱視ゆえのケガ

2011年09月12日 | 私について
以前の記事の「わたしの見え方」で紹介したとおり、わたしは視力が弱く、中心の視野も欠けています。ですが、見えていないはずのところも、脳が勝手に画像を埋めているので、その部分だけ真っ黒とか真っ白とかいうことはありません。また、無意識に見えているところで見るクセがついています。ですから、逆に視野が欠けていることに初めは気づきませんでした。視野が狭くなっても自覚せずにいる人も多いそうです。視野が人より広いカメレオンに、「人間って視野がだいぶ狭いけど、見えてないところはどんな風に見えているの?」と聞かれても、「見えてないところは見えてない。」としか答えようがないようなものだと思います。自分で確認するなら、新聞紙を見開きに開いて持って四つ角までしっかり見えれば視野の広さは普通。中心の視野は目を動かさずに目の前の文字が読めるかなどで気づけるようです。もちろん、眼科での検査でないと正確には確認できませんが。
ところで、わたしは見えていないところが中心にあるにも関わらず、意識しないと自覚しないので、危険なこともあります。たとえば、ちょうど目の前にきたものに気づかずぶつかったり、突起している部分に気づかず顔を近づけてぶつかったり。なので、目の周りなど、顔をよくケガするように思います。自宅では、まったく緊張感もないので、薄暗いところではドアに激突したことも何度かあります。開いていると思い込んでいると大きなドアも見えてないのですね。
そして、この前、下の子が振ったウチワが目に当たり、それはもう痛くてたまりませんでした。始め、何が起こったかわからず、顔をうずめてしばらく動けませんでした。見えていないというのは恐ろしいもので、何かがぶつかりそうになったら反射的に避けたりまぶたを閉じたりするものですが、そういうことができないのですよね。涙がだいぶ出て落ち着いてから、上の子に携帯電話のカメラで痛い目を撮ってもらいました。ズーム機能で画面いっぱいに目を写せるのは便利です。それをルーペで確認すると、白目に赤い傷ができていました。黒目だったらどうなっていたことか。
あと、思い出す度にぞっとするのですが、上の子がまだ二歳にもならない頃、だっこして歩いていて、ふと立ち止まるとあと数歩直進していたら歩道が途切れていたのです。柵も危険を知らせるモノもなく、危うく2メートルほど下に子どももろとも落下するところでした。歩道がまっすぐ続いているように見えていたというか思い込んでいたというか・・・いずれにせよ、なぜが歩を止めてきょろきょろしたら目の前の歩道が無いことに気づき、背筋が凍るような感覚を覚えました。保育園のわきだったので、すぐ先生に報告したところ、危険を示す赤いコーンが立ち、しばらくして、ガードレールのような柵ができました。
ひやっとしたりケガは絶えませんが、この見え方とうまく付き合うしかないのですよね。


中学時代

2011年09月07日 | 私について
視力低下が進んだ思春期、中学時代は、将来のことを考えるよう言われる時期でした。「進路を決める」ために誰もが通る道です。
全く見えないわけではないので、自分が視覚障害者とか、また、弱視というくくりも知らず、「目が悪く、普通に見えない人間」という認識でした。ですが、ただ「普通に見えない」だけで、将来へのどの扉をたたいても明るい光がさすことはないと感じていました。と、言うのも、普通に見えなくて就ける仕事をいくら考えても思いつかず、普通に見えることは改めて問われる能力でなく、当然の大前提。その上で「好きとか嫌い」「向き不向き」「技能の有無」が問われるからです。
周囲の友達が、数知れない職種から選択するということ、将来を夢や目標、希望あるものとしてとらえていることが、自分のそれとはかけ離れた遠い世界で、わたし一人がぽつんと取り残され、そのまぶしいような別世界をぼんやり眺めているような心持ちでした。「○○ちゃんは何になりたいの?」「とりあえず、高校には行って、専門学校か大学かよね。」「高校に行ったら何でもいいからバイトしてさ・・・」と、にぎやかに話しているのが、涙が出るほどうらやましくてうらやましくて。「バイトか、いいなあ。そんなのは出来なくてもいいけど、仕事なんてできっこないし・・・。その前にこんな視力で高校に行けるのかな。」わたしはどうなるのだろうという不安におしつぶされそうでした。それでいて、何をすべきかもわからず、ただ自分の境遇を嘆いてばかり。結局、わたしも「とりあえず、高校に入らないといけないし。」としか考えられませんでした。
思春期には、誰でも大なり小なり人知れず悩みを秘め、それでいて明るく友達付き合いをするものなのでしょうが、そんなことに気づける余裕はなく、いつも自分一人が悲劇のヒロインだと思い込んでいました。
その当時の友達数人とは今でも付き合いがあります。あの頃は悩みを打ち明けられずにいましたが。
そういえば、医者に処方されてはいたものの、目立つのでかけたくなかったサングラス、「うちのお母さんが、サングラスした方がいいって言ってたよ。」と、言いにくそうに言ってくれたTさん。今も大事な友達です。
あと、こんなふうに書いてしまうと、悲しいだけの中学時代みたいですが、楽しいこともあったんです。ただ、当時の心境を振り返るとこうなってしまうのですよね。

弱視ゆえに使っているもの

2011年09月02日 | 私について
●文字の読み書き
 拡大読書器 (エルモ MG-21)
 ルーペ 10倍 (エッシェンバッハ)
     15倍 (ピーク)

●パソコン 
 画面拡大ソフト (ズームテキスト9.0)
 音声読み上げソフト (XPリーダー)

●自分の見え方伝達
 私の見え方紹介カード (弱視者問題研究会編)

●その他
 らくらくフォン7、音声体重計、音声量り、
 サングラスなど。

弱視になって(転機を迎えるまで)

2011年09月01日 | 私について
わたしは、小学6年生頃から視力低下し始めました。それまでは、一時近視でめがねを書けたこともありましたが、自転車やローラースケートが大好きでしたし、小学生の女の子らしく、伝記小説や文庫本の貸し借りをしたり、まったく普通に過ごしていました。
黒板の文字が見えづらくなっても、「目が疲れているのかな。」くらいにはじめは思っていました。そして、自分でも中心視野の欠損に気づけず、自転車で走っていると、急に対向車が現れてこわい思いをしたり、人にぶつかりそうになったりしました。
視力の低下が明らかになって、京大病院の眼科にかかり、めがねで矯正できないことがわかって驚き、障害者手帳を手渡されたときはものすごくショックでした。まさか、このわたしが「障害者」になるなんて、そんなこと信じられないし信じたくない。こんなにたくさん人がいる中、どうしてわたしがそんな風にならなければならないのか・・・と、何度思ったことでしょう。
先生を見ているつもりでも「余所見をして話を聞くとはどういうことですか!」とクラスの皆の前でしかられたり、手元の文字が見えづらくなると、授業中の本読みが上手くできなくて恥ずかしかったり、いやな思い出ばかりです。
中学時代も周りに特別視されたくない一心で見えるふりをしていたので、全ての教科で辛い思いをしながらしのいでいました。何しろ、いつの頃からか、一番前に座っても黒板は見えないし、教科書は読めないし。それでいてルーペなどを使うことが恥ずかしくて。
自分がどれだけ辛いかを思い知らせるためにどうしたらいいのだろうかと考えたりもしました。不良になるか登校拒否か・・でも、不良になったって誰が誰だか見分けがつかないんじゃ話にならない、そして何より「両親が自分のことを大事に思ってくれている。」と言うことには疑いの余地が無く、そういう行動には移せませんでした。ただ、毎日不安だらけで、悩みを打ち明けることが誰にもできず、独り泣いてばかりでした。
わたしを受け入れてくれる高校に恵まれ、自己主張もでき始めましたが、体育などは見学を許されず、顔面でボールを受けたり、球技や跳び箱は距離感もつかめず恐怖でした。
自分もそうでしたが、周りの大人も弱視を全く知らなかっただけなのです。「全然見えない人でも頑張っているのに。」みたいなことを言われたりして、中途半端な見え方をうらみました。そして、全盲だったら周りが親切にしてくれるのに。と、罰当たりなことをいつも思っていました。そして、映画を見たりスポーツしたり、普通のデートもできないし、将来にしたって、こんな見え方で就ける仕事なんてないし、夢や希望なんてどこにも見いだすことができず、「こんな人生終わりにできたらどんなにラクだろう。」と何度も何度も思ったものです。
転機は16歳のとき、ニュージーランドに一年留学できたことです。いろいろな意味で成長できました。
そして、学生時代に弱問研と言う弱視者の団体を知って、自分以外の見えにくい人たちとたくさん出会い、さまざまな制度や機器を活用して働いていることを知ったのです。「わたしにもできるかも知れない。チャレンジしてみよう。」という勇気をもらいました。


わたしの見え方

2011年08月31日 | 私について
視力は、両眼とも0.02くらいで、視野の中心が欠けています。(視野の欠けているところは、脳が勝手に適当に画像を埋めてくれているので、例えば真っ黒に塗りつぶされているようなことはありません。)
色の識別は、淡い色や面積が小さいと難しいこともあります。
生活上で言うと、人を顔で見分けることはできず、声や体型、髪型や服装など全体的な雰囲気で判別しています。近くは、新聞の見出しくらいの大きさの文字なら読めます。
あと、暗いところに目が慣れるまで時間がかかったり、晴れた日は、人よりまぶしく感じるようです。