以前の記事の「わたしの見え方」で紹介したとおり、わたしは視力が弱く、中心の視野も欠けています。ですが、見えていないはずのところも、脳が勝手に画像を埋めているので、その部分だけ真っ黒とか真っ白とかいうことはありません。また、無意識に見えているところで見るクセがついています。ですから、逆に視野が欠けていることに初めは気づきませんでした。視野が狭くなっても自覚せずにいる人も多いそうです。視野が人より広いカメレオンに、「人間って視野がだいぶ狭いけど、見えてないところはどんな風に見えているの?」と聞かれても、「見えてないところは見えてない。」としか答えようがないようなものだと思います。自分で確認するなら、新聞紙を見開きに開いて持って四つ角までしっかり見えれば視野の広さは普通。中心の視野は目を動かさずに目の前の文字が読めるかなどで気づけるようです。もちろん、眼科での検査でないと正確には確認できませんが。
ところで、わたしは見えていないところが中心にあるにも関わらず、意識しないと自覚しないので、危険なこともあります。たとえば、ちょうど目の前にきたものに気づかずぶつかったり、突起している部分に気づかず顔を近づけてぶつかったり。なので、目の周りなど、顔をよくケガするように思います。自宅では、まったく緊張感もないので、薄暗いところではドアに激突したことも何度かあります。開いていると思い込んでいると大きなドアも見えてないのですね。
そして、この前、下の子が振ったウチワが目に当たり、それはもう痛くてたまりませんでした。始め、何が起こったかわからず、顔をうずめてしばらく動けませんでした。見えていないというのは恐ろしいもので、何かがぶつかりそうになったら反射的に避けたりまぶたを閉じたりするものですが、そういうことができないのですよね。涙がだいぶ出て落ち着いてから、上の子に携帯電話のカメラで痛い目を撮ってもらいました。ズーム機能で画面いっぱいに目を写せるのは便利です。それをルーペで確認すると、白目に赤い傷ができていました。黒目だったらどうなっていたことか。
あと、思い出す度にぞっとするのですが、上の子がまだ二歳にもならない頃、だっこして歩いていて、ふと立ち止まるとあと数歩直進していたら歩道が途切れていたのです。柵も危険を知らせるモノもなく、危うく2メートルほど下に子どももろとも落下するところでした。歩道がまっすぐ続いているように見えていたというか思い込んでいたというか・・・いずれにせよ、なぜが歩を止めてきょろきょろしたら目の前の歩道が無いことに気づき、背筋が凍るような感覚を覚えました。保育園のわきだったので、すぐ先生に報告したところ、危険を示す赤いコーンが立ち、しばらくして、ガードレールのような柵ができました。
ひやっとしたりケガは絶えませんが、この見え方とうまく付き合うしかないのですよね。
ところで、わたしは見えていないところが中心にあるにも関わらず、意識しないと自覚しないので、危険なこともあります。たとえば、ちょうど目の前にきたものに気づかずぶつかったり、突起している部分に気づかず顔を近づけてぶつかったり。なので、目の周りなど、顔をよくケガするように思います。自宅では、まったく緊張感もないので、薄暗いところではドアに激突したことも何度かあります。開いていると思い込んでいると大きなドアも見えてないのですね。
そして、この前、下の子が振ったウチワが目に当たり、それはもう痛くてたまりませんでした。始め、何が起こったかわからず、顔をうずめてしばらく動けませんでした。見えていないというのは恐ろしいもので、何かがぶつかりそうになったら反射的に避けたりまぶたを閉じたりするものですが、そういうことができないのですよね。涙がだいぶ出て落ち着いてから、上の子に携帯電話のカメラで痛い目を撮ってもらいました。ズーム機能で画面いっぱいに目を写せるのは便利です。それをルーペで確認すると、白目に赤い傷ができていました。黒目だったらどうなっていたことか。
あと、思い出す度にぞっとするのですが、上の子がまだ二歳にもならない頃、だっこして歩いていて、ふと立ち止まるとあと数歩直進していたら歩道が途切れていたのです。柵も危険を知らせるモノもなく、危うく2メートルほど下に子どももろとも落下するところでした。歩道がまっすぐ続いているように見えていたというか思い込んでいたというか・・・いずれにせよ、なぜが歩を止めてきょろきょろしたら目の前の歩道が無いことに気づき、背筋が凍るような感覚を覚えました。保育園のわきだったので、すぐ先生に報告したところ、危険を示す赤いコーンが立ち、しばらくして、ガードレールのような柵ができました。
ひやっとしたりケガは絶えませんが、この見え方とうまく付き合うしかないのですよね。