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日本中が悲しみに包まれた日

2016年03月12日 | 日記

昨日、2016年3月11日 14時46分 事務所のみんなで黙とうを捧げました。

誰も何も言わずとも、自然に黙とうになっていました。

 

5年前の昨日、日本中が悲しみに覆われた日。

何が起きたかもわからず、その後は映画を観ているような事実に言葉を無くしていました。

 

その後、溢れるように流れる報道にいてもたってもいられず、 2週間後には読み聞かせの会の10人の母親たちが発起人になり、日本中から新品絵本を1500冊集めて被災地の避難所や児童館、図書館、幼稚園などへ送らせてもらいました。

被害のひどい所へは宅配便も届かず、送り先を探すのも本当に苦労しました。 あのパワーは何だったのか。

その2か月後に仙台市の閖上を訪ねた時には、民家に乗ったバスや小学校の校庭にある船や壊れた自動車、残っていたランドセル、泥の中から集めた写真などをこの目で見て、あまりの衝撃に涙さえ出ませんでした。

体育館の避難所での生活、何キロにもわたる何も無くなった大地。

どれを見ても心が固まってしまったように、これ以上の悲しみを受け入れたくないと拒否しているように、涙も出なければ、心も動かないような自分がいたと思います。

それでも少しでも何かできないかと、子供の洋服を集めては、でこぼこの東北道を走り、何も届かない被災地を探して、仮設住宅のドアを1件1件叩いては「子どもの洋服はいりませんか」と歩きました。

そのぐらいしか出来ることが思い浮かばなかったのです。

1年後には福島を応援するため、同意してくれた日本中のアマチュア300人の演奏者とで「楽器を持って集まろう」という演奏会も開きました。

 

時が経つにつれて支援の仕方も質も変わっていき、今では何も出来ることが浮かばなくなりました。

家族を亡くされた方々、住む家や町を無くされた方々、環境が変わってしまった方々、私たちは当事者にはなれないという現実。

どんな言葉を述べても、薄っぺらく感じて、出る言葉さえなくなりました。

何をしても、被災していない私には本当の悲しみまでは感じ取れないだろうと。

 

今はただ祈ることだけが、唯一できること。 日本中が幸せになるようにと。

亡くなられた方のご冥福を、家族を失った方の心が癒されることを、心からお祈り申し上げます。

 

 

 


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