2015年8月15日
終戦後70年経った日に居合わせている私たち。
8月15日の数日前に特攻隊で九州を飛び立った叔父。 祖母の無念は如何ばかりだっただろう。
98歳まで生きて自分よりも先に何人もの子供たちを送った祖母の胸の内を一言も聞くことの無いままに祖母は他界した。私は幼かったり、戦争の怖さにさほど心を寄せていなかったりだったから。 惜しい事をしたと今は思う。
戦後の苦しい時期を知らずに生まれ、何不自由なく育った私には、終戦記念日の度に出る戦争体験記も「あ~大変だったんだ」で済まされてきた気がする。 きっと我が子たちも今同じなのではないだろうか。
母となった今、この子たちを二度と戦争に巻き込んではならないと強く思う。
懸念するのは、戦争とは「はい、今日から戦争始めます、よ~いどん」で始まる(もちろん、そうなのだけど)のではなく、じわじわとその方向へ向かって行き、国民を洗脳し、マスコミを牛耳り、正しい事の判断が出来なくなるような世の中に仕向けていく、その過程である。
どんなことがあっても「人を殺して英雄」になること(その人の後ろにも家族がいるだろうに)や、自分が無意味に命を落とすことだけは避けなくてはならないと思う。
こんな事、誰でも理解していて、分かっているのに、なぜ地球上から戦争の無くなった時が無いのだろうか。
なぜ人間は欲望に勝つことが出来ないのだろうか。
もう一度、人間の愚かさを心から理解し、平和な世界を築く方向へ向かって行って欲しいものだと痛感するこの頃である。
平和な世の中とはどんなものか、再認識することも必要なのかもしれない。
どんなことがあっても殺し合ってはいけませんよね。
何のために生まれてきたのか・・・。そこです。
そこには信じがたい現実が映し出されていて、今日のこの日がある事も本当なのか・・・と思うくらいです。
よくぞ、あの戦禍を潜り抜けて生きて下さった!と
胸をなでおろすも、戦後の苦しみも戦中以上のものがある事も知りました。
生きて今に伝える人々は、「生き残って申し訳ない」「恥ずかしながら・・」と
仰るけれども、どうしてどうして・・・ 私たちには感謝の気持ちばかりです。
貴女が仰るように今の平和の有り難さを認識する事、とても大切な事だと私も思います。
そして、その平和がもたらす幸せを知らしめるために、やはり史実をしっかりと知らなければなりません。
戦争は勝っても良い事はありません。
アメリカの人々がそう発言しています。
先の戦争は世界中が戦争でした。世界中が過ちを起こしたのです。
過去を振り返って、いつまでもその恨みに悶々としていてはいけない。
戦後70年を機に、先へ進んでゆくべきですね。
情報が飛び交う現代ですが、史実を知る事を選び取らなければ伝わりません。
せっかくメディアでこんなにも放送されたり、新聞や書物でも多くを取り上げていますが、原爆記念日を知らない子供・終戦記念日が何かを知らない子供が沢山いると「終戦記念日の祈り」プロジェクトでも
耳にしました。
では、どうやって伝えたら良いでしょうか・・・
やはり、これは教育が必要なのではと思いました。
この教育の場で取り上げるという時にも、今回のTVで知りましたが語り部にお話を聞くことに一部の学校で「断る」という現実もあるそうです。
確かに、被爆した状況などは聴くも恐ろしい話ですから子供たちのショックも懸念されることでしょうが、その地獄の様な苦しみの上の平和であることを考えたとき どうにでも伝える手段を考えねばなりません。
鎮魂の祈りに手を合わせながら、これから先へ伝えてゆく厳しさにも一抹の不安を抱いています。