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フィリピンの田舎暮らしは

フィリピンに住みつき15年
目にした事や身を持って体験した事を
このブログを通して皆さんに伝えたいと思って居ます。

遣ってられねぇーフィリピン田舎暮らし(開き直って生きるのみ)

2017年10月26日 14時01分49秒 | 日記
日本から戻り体調は元には戻らないものの何とか庭に出る事くらい出来る様になりました。
矢張り健康な体が一番ですね。(笑)
末期癌と宣告され何時まで生きられるか判りませんが逝くまでの日々を自分らしく生きたいと開き直ってます。
今となっては、残された夢はフィリピン・6ロットを当て金持ちに成って貧しい人達へ少しは幸せを与えたい・・・
そして普段から我が家の番犬をしてくれる愛犬と最後の時間を過ごす事を寄りどこにしています。
まぁー欲張っても無理・・・・成る様にか成らないですよね。(笑)









2ヵ月弱の一時日本帰国でしたが宿泊ホテルの近くの川崎大師に行って来ました。
古い老舗の店に並ぶお土産物は何か懐かしさを感じるのは我が歳のせいなのでしょうか。


帰路の飛行機の窓から覗くANAの日の丸の翼・・・・戻れない最後の日本帰国に成りました。

帰路のフライトは台風21号がマニラの東海上に有りフライトの心配がありましたが何とか戻れました。

家に戻った後は台風21号の置き土産・・・・我が家のイエローマンゴ強風で実りの前に実を落とされて仕舞いました。
2008年に今の敷地に食べたイエローマンゴの種を埋め大きく育った木です。
何故、当地にはイエローマンゴの木が見当たら無いのか不思議に思ってイエローマンゴを育て来ましたが疑問は解決です。
当地にはインジャンマンゴばかりでしたので納得した次第です。
今日も頑張って一日を過ごします。







このマンゴの実は食べたマンゴの種を9年前に埋めて育った木に生りました。
我が庭には食べた実の種を埋め育ったジャックフルーツも毎年実を付けてくれます。

我が老いた体は果物の様に何時までとは行きませんね。(爆)

遣ってられねぇーフィリピン田舎暮らし(闘病生活が続く)

2017年10月21日 06時53分28秒 | 日記
我がブログにお出で下さる皆様へ
長らくご無沙汰して居ました。
私ごとですが今年4月の初めに体調を崩し闘病生活を送って居ます。




フィリピンには60の声を聞くと同時に永住ライセンスを取得し住み着き14年に成りました。
今までは何も健康には不安が有りませんでしたが今年に入り不覚にも体に問題が生じました。
4月の初め頃に首筋の痛みと張りを覚えたので血圧を計ったらところ上が160近くも有り高血圧の症状でした。
直ぐに係りつけの医者に見て貰い血圧の薬と血糖値を下げる薬を2か月近く続けましたが普段からこれっと言った
薬を飲まなかった体には血圧の薬が強かった(50mmg)のか薬の副作用なのか食欲不振に陥いって仕舞いました。
食事は拒食症状を患った様に喉を通らず栄養失調状態で体重も2か月余りで13kgも減り寝たきり状態でした。
フィリピンの病院では医療機器も満足に揃っておらず医者も専門医がおらず最悪の状態でした。
そんな中での検査結果で前立腺肥大が判明し動けない体だったので何とかしてと医者に任せたら前立腺肥大手術
をされて仕舞いました。
手術はいい加減で手術後3週間は微熱と高熱に悩まされました。



フィリピンでは日本の様に国民健康保険と言う保険制度が確立していませんので貧乏な人達は病院へ行く事が出来ません。
今回、判った事ですが国の医療制度の不備で優秀な医者は海外に働き出で残って国内で医療に従事している医者は専門医で
も掛け持ちで病院を受け持って居ます。
そんな訳で私の手術も金だけとられ後は看護婦任せのいい加減な手術でした。
薬で何とか動ける様になって来たので友人の手助けを借り緊急帰国をして日本の病院で詳しい検査を受けました。
フィリピンでは前立腺癌とはハッキリせず精密な血液検査のPSA数値で癌らしいと言う程度で日本の医療に掛かる様に医者は
進めていました。
本当に呆れたフィリピンの病院なんですね。



日本では横浜市の東部病院に係り最先端の医療機器での検査と手術をして来ました。
我が前立腺肥大は前立腺癌と診断されステージ4に癌は進行し全身骨格に癌細胞が転移し持っても2年との医者の説明でした。
フィリピンに住む我が身諦めはして居ましたがこんな形で余命が見えて仕舞いました。
癌の進行を抑える為に睾丸の除去手術をして来ました。



男のシンボルを失った現在・・・・残り少ない余命ですが最後までフィリピン・田舎暮らしをエンジョイしたいと頑張ってます。
我がブログを覗いてくれる皆さん・・・・本当に有難うございます。



今回の日本での滞在先は我がブログで知り合った友人の家に1か月世話になり病院に掛かりました。
友人の並々ならぬ苦労と食事の世話には頭が下がりぱなしでした。(笑)
残りの2週間はホテル暮らし・・フィリピン人の妻と我が家の居候のフィリピン人の船員に泣かされぱなしでした。(泣)

やってられねぇーフィリピン(今回はグアバの実で果実酢)を造った。

2017年06月10日 11時45分03秒 | 日記
此のところ2ヶ月ばかり血圧を下げる薬と血糖値を下げる薬を2種類 医者の指示で飲んで居ますが・・・・・・!!
チョット薬の副作用なのか食欲不振と気力の低下など薬を飲む前と体調が変わっています。
日本の友人と話して居たら果樹を酢と氷砂糖やリンゴ酢など併せて漬ける健康に良い果物酢が出来るよとアドバイス
を貰いました。


庭の手入れも楽では有りません。
74も成る体での草刈機でカラバウ芝をカットするのは大変な作業です。
PINOYは横着で頼んでも後で大変な目に遭います。


勿論、前から果物を利用した果樹酒などは知って居ましたが自ら造る事は遣って居ませんでした。

今回は薬の副作用なのか今一体調が優れないの思い切ってグアバの実を使って果実酢をトライして見ました。

グアバの実は調べて見ると薬用に成る果実なので試しにこの実を使いました。


野鳥の餌場グアバの木です。
今は熟した実を食べにヒナを連れた親がしっきり無しで遣って来ます。


こんなグアバの実が沢山生って居ます。


今日採ったグアバの実です。
この実を使った果実酢を造ります。


用意はしたのはフィリピンの料理用の酢(DATU PUTのVINEGAR)とサトウキビをで作った黒砂糖の塊(MAMIS)そして
庭からクアバを採り用意しました。







勿論、最初の果実酢なので失敗は覚悟で造って見ました。

インターネットで調べると砂糖が解ける1週間位が目途で出来具合は結果待ちですね。

フィリピン田舎暮らし自らの健康は自ら守らないと医者が進める薬に頼って居てはモルモットに成って仕舞います。

何かと不便なフィリピン田舎暮らし遣ってられねぇーが本音です。

遣ってられねぇーフィリピン(第4弾 フィリピンはこんな感じ)だよ。

2017年06月03日 11時36分19秒 | 日記
近頃は体調がすぐれず気力や気分が今一の状態が続いて居ます。
勿論、歳と共に体力の落ち込みは当たり前ですがフィリピン田舎暮らしでは
日本人の体にの合う食生活も侭ならず老化現象が早まる感じがします。


当地の夏は(4月~5月)頃なんですがこんなスコールが遣って来ると夏はひと段落です。

この2ヶ月、血圧で病院に掛り血液検査では血糖値でしっかかりと2種類の薬を服用しています。
今までが健康体で来ていたので急に飲み始め2種類の薬の影響が出始めた感じです。

何してもフィリピン田舎暮らしは日本と違い色んな面で苦労が堪ります。

全てが日本と同じ感覚で見据えては無理な事は分かって居ても中々割り切れないのが現状です。

特にマニラの都会生活では気が付かない事が地方の田舎暮らしでは直面します。


我が家の庭から眺められるマヨンポルケーノの活火山です。
日本の富士に似た感じで心が和らぎます。


地方に住むPINOYは貧しいその日暮らしの人達が多く住み身内で肩を寄せ合って生きて居ます。
我が妻の身内も子沢山なのに此れと言った仕事が有りません。
そんな中で我が家に手伝いと言う形で義姉(49歳)・従妹叔母(47歳)の二人が毎日遣って来ます。

仕事と言っても部屋掃除や庭の雑草取り・洗濯物などの取り入れ位・義姉は昼食の用意と言う形で市場でその日
の作る物を買って来て1時間位で料理を作って家に帰って仕舞います。

この他には義姉の長男坊が学費稼ぎに土曜・日曜日や休みの日に我が家に遣って来ますが全て身内は横着で日本人
の私から見て雇用出来るレベルでは有りません。


私の造った庭で全ての樹木は私が植え育てました。
昨年の12月に当地を襲った台風で生い茂った樹木は折られこんなスッキリした庭の風景に成りました。





我が裏のブロック塀は4M近い高さです。
勿論、泥棒天国のフィリピンですからこの程度の守りが必要です。
2011年にこの塀から泥棒に侵入された苦い経験が生きてます。
その当時より60cm高く成って居ます。



塀の脇にはこんな清流が流れて居ますが普段はフィリピン人のゴミ捨ての川で清流が年々て汚れて来ています。


フィリピンの田舎に住む貧しい人達はその日を暮らす金が有れば食べる事に不自由しなければ粗食に耐えて生きています。

そんな訳で日本人の様に美味しい物を食べたい・欲しい物を買いたい・遊びに行きたいなどとある程度・人間的の持つ
感受性を重んじ勤勉に働い居ますがフィリピン人にはそんな行動が皆無なのですね。

まぁーハッキリ言って彼らの信じるカトリックの教えを信じる鎖に繋がれた奴隷見たいに感じます。
この国、14年住んで見て感じた事はフィリピン人の特性はプライドが高く頑固で利己主義・そして勤勉では無い事です。

教えた事が出来ない・しないと嘆く我が友人のレストラン・・・・年がら年中人が変わって居ます。

マニラのSMでも店員同士でお喋りしていて我々顧客が物を探して居ても知らんぷり
なんです。
勿論、そんな店員を指導するマネージャも見当たらず客無視のショッピンモールなんですね。

レストランも同じ感覚で客を客として見ない粗放な店員が多い事は間違い無いですね。
町中を走るバス一つでもレース車並みにスピードを出すバスが走ってます。
ジプーニーもマナーの悪い運転が目立ち交通事故も年がら年中です。

日本感覚でこんな乗り物に乗って事故にでも遭っても補償は無いのに等しいです。
近頃はfacebookを通してPナーと結婚する人が多く成って来ています。

私の周りには30年以上此方に住んで居る人が何人も居ますが余り人生バラ色と聞いた人は皆無です。
住んで居いる人より日本に逃げ帰った邦人の多い事は間違い無い事です。

日本人悪い事は自ら失敗した事をオープンにしない事なんですね。
私は自分の失敗した事は自らのミス・・・即ち知識(勉強不足)と捉え己を責めます。

でも、失敗は戻らずなので割り切る処は割り切って生きて居ます。
それも出来ない時には死ぬしかないと割り切れば良いと思います。

フィリピン田舎暮らしは毎日がこんな事が当たり前なんですね。





台風で折られなかった木に生るジャックフルーツです。
今月には甘い香りが漂い食べられます。


遣ってられねぇーフィリピン(第3弾 神の名を借りた冒涜)

2017年05月19日 06時33分23秒 | 日記
フィリピン田舎暮らし14年も暮らして一番嫌な事は・・・・・・!!
カトリック信者がまき散らす騒音なんですね。

我が住まいは町外れのハイウェーに面した静かな場所に2009年に建てました。
これっと言った自慢出来る場所では有りませんが庭から望める日本の富士に似たマヨンポルケーノ活火山が
目の前に望めます。


庭から望める日本の富士山に似たマヨンポルケーノ活火山です。

そんな静か処なんですが騒音に悩まされています。
それはカトリックの名を借りた信者のカラオケの騒音なのです。
カトリックのお祭りは年に数回盛大なお祭りが有りますが当地にはホーリーウィークが終わった5月にはオーロラ
と言うバランガイ単位のお祭りが有ります。


家の近くの風景です。


我が家の道路に面した塀はこんな感じです。


家の近くでのバランガイのお祭りオーロラです。


こんな感じで祭の初めと終わりには騒音に泣かされます。

此れが近頃はカラオケ機材を入れ朝から大音響でゲームや歌や音楽を流します。
それも深夜明け方近い午前3時近くまで大音響なんですね。
彼らは神を祭る祭事には他人の迷惑何て顧みずなんですね。

近くに有るハイスクールも学校行事の時は大音響で遣ってます。
全てこんな調子ですから誕生日や身内の祝い事などカラオケが罷り通ります。
勿論、教会も同様なんですね。

日本では考えられない事がフィリピンでは罷り通ります。
明け方まで寝られない事が度々有るフィリピン田舎暮らしです。

遣ってられねぇーぞフィリピン・・此れが我が暮らしの泣きどころなんですね。(爆)


我が住まいの地で何とか食べられる焼肉定食です。
価格は130ペソ(日本円で約300円位)


フィリピンの田舎で何とか味わえる天婦羅そば180ペソ(日本円で410円位)です。
こんな食べ物なんですが欠食老人には嬉しい事なんですね。
マニラの日本橋亭の天婦羅そばの味よりは上ですよ。




遣ってられねぇーフィリピン(その2 有線TVの工事はいい加減)

2017年05月16日 10時51分04秒 | 日記
昨年のクリスマスに当地を襲った台風26号で我が家では町営水道・庭木・そして有線TVなどに被害を被った。
遣ってられねえーフィリピン・シリーズ第2談は有線TVの被害を取り上げて見ました。


我が庭から眺められる日本の富士山に似たマヨンポルケーノの活火山です。

12月19日から1週間ばかり一時帰国して居る間に襲った台風なので帰ってからの後始末が大変でした。
勿論、超大型台風(気圧915hPa)が我が家の近くを通過したので送電線の鋼管柱は軒並みに倒させ復旧に1ヶ月
近く掛りました。

停電が1ヶ月も続きTVも無い陸の孤島なんですね。


我が家のハイウェーに面した外壁です。


我が家のゲートを出ればこんな田舎なれどの風景なんですね。



こんなハイウェーの脇に立つ電柱間(50m位)に有線TVのケーブルを張ってます。
この間の我が家の有線TVケーブルが工事ミスで垂れ下り隣人に盗まれました。


我が家の有線TVのケーブルも強風に耐えられず切れて居ました。
台風が去った後の当地は至る処で被害が出ていて2月に成っても有線TVの会社に言っても直しに来てくれません
でした。
そんなフィリピンの生活環境なんですが他の有線TVの業者に変更・ケーブルを他の場所から引き直しをして何と
か復旧させました。
この時に支払ったケーブル工事一式で1.500ペソ(日本円3,300円位)を払いました。
それが工事してから3ヶ月もしない内に工事のミスで有線ケーブルが切れ地上に落ち隣人の敷地に垂れ下りこの
家人に30mも切られ盗まれて仕舞いました。

本当に遣ってられねぇーフィリピンです。

この隣人は台風で被害を受けた我が家の町営水道を治した後に直ぐに引き込みパイプを切り自分の家のパイプに
繋いだ悪質な隣人なんです。

1度有る事は2度有る・・・・本当にフィリピン暮らしは毎日が見えない戦争なんですね。

併せ我が妻はこんな事に無関心・・・・・原因が何で有れ治れば良い事で修理費は渡した生活費からは出さず
私の財布から出て行く始末です。

本当に遣ってられねぇーフィリピンが毎日なんですね。



こんなヤシの実から新たな生命の息吹きを見られる事が私の一番の楽しみに成ります。


日本名アラマンダと言う花で熱帯に咲く大好きな花の一つです。
当地ではイエローベルなんて呼ばれています。
結構、種類が多い様です。



遣ってられねぇーフィリピン (その1 町営水道は自ら修理)

2017年05月12日 06時20分51秒 | 日記
我がフィリピン田舎暮らしは今年で14年目になります。
マニラの都会と違いフィリピンの田舎暮らしでは色んな問題に直面します。
今回はそんな生活から密着した問題を取り上げ遣ってられねぇーフィリピン・シリーズにして取り上げて見ました。

我が家は今の土地に家を建て9年目に成ります。
町外れなんですがハイウェーに面した土地で土地からは日本の富士山に似たマヨンポルキーノ活火山が真近に望めます。
そんな土地なんですが家を建ててから町営水道に泣かされています。

町営水道は町営の送水管から我が家まで100m近くPVCのパイプを引いて我が家に引き込んで居ますが此れが近くに流れる
川を渡して持って来ているのですが橋を渡す施設も無く橋げたに借り取り付けして居るだけで大雨の時に川の増水により
パイプが切られる事が多くその度に修理をして凌いで来てます。


橋げたの下に敷設された我が家の町営水道のパイプ3mの間に3ヵ所の修理箇所が有り本当にいい加減な町の修理です。

今回もそんな修理箇所の修理が曖昧で年明けから3度も修理をしています。
此方のパイプの修理はいい加減で切れた個所をパイプの割入れで自転車のタイヤチューブを切って巻いて居るだけなんですね。
そんな訳でパイプの接続箇所の修理は頻繁に起きて仕舞います。
新しいパイプを敷設しても金の無い住民が人のパイプを切って盗みます。
本当にこんな事が毎日の生活で密着した問題で近頃は自ら治せるヶ所は修理して対応してます。


こんな感じで水道パイプを渡す施設も無く側溝に垂れ流しのパイプの敷設です。


見て分かるこんな事が罷り通るフィリピンの田舎の町営水道です。

町の人間に修理を依頼しても直ぐに修理に来てくれないのも当たり前近頃は老体に鞭を打って動いて居ます。
チップを上げてもいい加減な修理で直ぐに問題が起きて仕舞います。


今回も新しくパイプを買った来て自ら修理を致しました。

我が家にはこんな問題に対応して貯水タンクは2つと町営水道は2本引き込み対策を取って居ます。

フィリピン田舎暮らし歳を取ったら田舎に住むなと言う事を思い知らされています。


フィリピン田舎暮らしはこんな果物が時には口にする事が出来ます。
ATIS(アティス)と言う果物で種の回りを包んでいる果肉を食べますが凄く甘く蜂蜜位の甘さです。
匂いは日本に有る果物には類似したものが無く気品に満ちた香りで中国美人の楊貴妃が付けたと思いそうな
香りでした。




大きさは日本のみかんを少し大きくした位です。


フィリピン田舎暮らし血圧が高く成ったぞ・・・・!!

2017年04月10日 13時00分05秒 | 日記
フィリピン田舎暮らしも14年が経つと色んな処に問題が起きます。
特に最近は70半ばの身体に成り血圧も不安定な高血圧の域に成って来て仕舞いました。
上は160前後下は90前後・・・・薬服用1週間目で数値は137-77位も出るのですが安定はせずに直ぐに異常値も出て仕舞います。

原因は食生活と環境から来るストレスだと思いますが・・・・・!!



特にフィリピンでの暮らしでは食べ物の影響が大で毎日が豚・チキン・魚と油で揚げる料理がメインに成ります。

日本人の身体には野菜が有って居るのですが此処 フィリピンでは野菜の摂取量が日本より極端に減ります。

野菜も限られた物が多く日本の様には豊富では有りません。

そんな中での食べ物の味付けは塩とフィリピン醤油が当たり前の毎日なのです。




そんな食生活なので先週から病院に掛かり医者の指示により血圧を下げる薬を処方して居ます。

何してもフィリピン田舎暮らしは貧しい身内を囲っての生活・贅沢をする事も出来ません。

僅かな年金も貧乏な身内を助ける為に複数の身内をお手伝いとして使ってます。





日本ではコンビニやスーパーなどで食べたい物が簡単に手入りますが此処フィリピンの地方では日本食惣菜は手に入りません。

身体も年々弱く成り環境から来るストレスと身内から来るストレスなとが老いた身体に影響している事は確かです。






近頃はインターネットの復旧で色んな邦人仲間とSNSを通してコンタクトが取れますが外国暮らしにはその人なりの苦労が付き纏って
居る事は確かです。

フィリピン田舎暮らし今のブログは我が血圧を捉えて投稿させて頂きました。


マニラの日本食レストランはこんな様子だ

2017年03月28日 06時03分01秒 | 日記
フィリピン田舎暮らしも今年で14年目に成ります。
年金暮らしならの質素な14年です。
そんな中での楽しみは年1回誕生日月に年金機構に提出する在留証明をマニラの日本大使館に貰いに行く用事が有ります。
今年も台風シーズン前に3泊4日の日程で出掛けて来ました。

私達の夫婦の楽しみはマニラに出た時は普段口にする事が出来ない日本食をべる事です。
今回はマニラのマカティ市に有るグロリエッタやSMマカティが歩いて行ける場所にホテルを取りました。
勿論、ホテルの近くには日本橋亭・一心・焼肉のサクラなどと日本食レストランが軒を連ねて居ます。
そんな場所なんですね。



そんな訳で最初の日の昼食はホテルの数軒先の日本橋亭で食べて見ました。
写真で載せているにぎり寿司を注文しました。
妻は生物は苦手なフィリピン人ですからお決まりの焼き魚の定食を取りました。





にぎり寿司は日本ので食べる様なシャリに酢が利いて居ないにぎり寿司でそれも片手で握った感じの鶉の卵サイズの大きさなので口に
放り込んでも食べた感じがしません。
今年の円とペソの為替レートは100円が44ペソ位なので味より値段にビックリでした。
飲み物を付けて値段が1350ペソでしたので日本円で3.000円チョットでした。
勿論、Senior Citizen(老人割引)カードを使っての支払いです。

夜も同じ店を利用しましたが妻はチャーハンと冷やしトマト・私が天婦羅そばを注文出来上がるのがマチマチなので待ってられねぇー
が本音。そばの硬さは翌日食べた天ざるよりそばが硬く半分残して仕舞いました。
夜は注文した品数では800ペソ位と思って居ましたが1.000ペソを超えて居ました。



2日目の朝食はホテルです。
写真の通りです。



2日目の午前中はマニラの日本大使館に行きましたので昼はリトル東京の瀬里奈と言う昼ランチを食べに行きました。
此処の昼ランチのチラシ寿司は写真に載せて居る様に見栄えと味は日本と変わらないので以前よりマニラに出た時は必ず此処ではこの
チラシ寿司を食べています。
値段は350ペソが450ペソに上がって居ましたが味は以前より落ちて居ました。
妻はサーモン焼き定食でした。
瀬里奈の食事代は1.000ペソ少し超えた程度でした。






2日目の夜は疲れたので日本橋亭で済ませました.
写真に載せて居ます天ざるです。
妻は日本食のレパートリーが少ないのでまたチャーハンで誤魔化して居ます。



3日は朝食はホテルでのサービス朝食(宿泊代に込み)
昼はグロリエッタ内の吉野家の牛丼です。
牛丼はジュースがセットで169ペソです。
二人で339ベソで今回の3日間のマニラでの食事で一番安い食事でした。





4日目の朝食はホテルでした。
帰路はマニラT3の空港内のshakey s”でピザパイの食事でした。
600ペソでした・・・・勿論、Senior Citizen(老人割引)カードを使っての支払いです。



1回当たりの食事は夫婦で500ペソは出て仕舞います。
何してもフィリピンでは日本よりレストランは高いですね。
年金暮らしもフィリピンは楽では有りません。



フィリピン田舎暮らし愛車は妻の運転で故障が度々だ。

2017年03月21日 17時34分19秒 | 日記
我が愛車は96年式のマツダMPVに乗って居ます。
2006年にインターネットで探しフィリピンに持ち込んだ中古車です。
メータ―表示74.000km表示の車で店頭販売価格29万円+輸送料と左ハンドルへの改造プラス車検費用を含め総額で当時64万円に成りました。


2009年にはルソン島南部からサマール・レイテ島・ミンダナオ島・・カミギン島・ボホール島・セブ島を渡り2000km走りドライブを
してきました。



そんな車も20年を経過すると故障が出始めました。
最初の故障は2012年にファンベルトの交換に整備に出した時にメッカニックの不注意でファンベルトの掛け間違いでクランクシャフト・
プーリーの脱着の故障が発生・・併せてオイルシールの摩耗からのオイル漏れなどで写真の部品を日本から取り寄せ何とか修理を致しました。








幸い我が友人が元マツダの整備を担当していた関西マツダの店長経験の有る方で良きアドバイスや支援をしてくれました。

お蔭様で2017年の年明けまで故障無く動いてくれましたが運転に目覚めた妻が運転をする様に成ると途端に故障が発生し始めました。

年明け早々にはエアコンの調子が今一と言って来たので専門家に見て貰い直したのですが今度は完全にエアコンが利かなく成ったと言って来たの
で修理に出したらラジエターの水漏れが発生・・・そして併せてパワーステアリングの異音…オイル不足・そして直ったと思ったら又 ラジエター
の水漏れ発生・何度も修理工場へ行ったり来たり・・・勿論、故障の原因はフィリピンの修理のいい加減も有ります。





物真似修理の上手なフィリピン・・・少し問題が出ると次々と問題が続きます。
でも、素晴らしいのは30年前以上のサニーやカローラ・三菱ランサーなど骨董紛いの車が走り回って居ます。

日本では先ず見る事の出来ない車が街中を走って居るのは驚きです。
そんな事を考えると妻の運転でもチャンと手入れをして上げればまだまだ乗れるのは間違い無いと思います。

友人が言ってましたがドライバーが変わると故障が出始める何て言ってましたが雅にそんな事が当たって仕舞った我が愛車です。
でも、今年74に成る私は運転は妻に任せ14年目のトライシクルで運転を誤魔化して居ます。




ルソン南部の季節は夏に移行だカラマンシーの収穫

2017年03月11日 06時18分28秒 | 日記
フィリピン田舎暮らし毎日が退屈の様でその逆なんですね。

勿論、持った性格にも因るのですが。

当地は同じ南国の風土を持っているマニラとは違いマニラが乾季の季節は当地は雨季の季節に成って居ます。

昨年の11月頃から始まった雨季は漸く2017年の3月の声を聞く頃に雨季は終わりに成ります。

昨年は日本の気象庁によるとエルニーニョの終わる最後の年は気象変動が激しくラニーニャ現象が現れ4月頃に平年に戻る
と言ってました。

昨年、12月は我が住まいの地は季節外れの台風26号に直撃され酷い被害を被りました。

実の生るジャックフルーツ・マンゴ・グヤバノなど殆ど木が倒木や幹を折られ全滅状態に成りました。

そんな中にカラマンシーは幹が細くそんなに高く育って無かったので何とか持ち堪えてくれました。

台風の強風でも落ちなかった実が枝一杯に実り今日はそんな実をもぎ取りました。

日本のカボスやキンカンに似た柑橘の実でビタミンCが豊富でジュースや料理などの調味として使います。









何も無いフィリピンの田舎暮らしですが庭から採れる南国の果物はささやかな楽しみに成って居ます。


フィリピンの田舎の日本食レストランはこんな処かなぁー

2017年02月21日 06時17分59秒 | 日記
フィリピン田舎暮らしではこんな事も目が向きます。

我が住いの地はマニラから陸路で550km離れた田舎に位置してます。

そんな田舎でも人が集まるCityでは近頃Japanes Restaurantが目に付く様に成りました。

そんな訳で2月の18日の土曜日と20日の月曜日に2軒のレストランに食べに行きました。





18日に行きましたのは我が家から4kmほど離れたTABACO市に有るSUISENと言うレストランでした。
メニューを見ると其れなり品数が揃って居ましたが今回は握り寿しと天婦羅を私はオーダー妻は餃子定食を頼みました。





先ず握り寿しはマグロの握りとエビ・そして卵と蒲鉾の握りで日本の様に種類は豊富では有りませんでした。
マグロも身が薄く厚手の模造紙程で食べた感じがしませんでした。

シャリも酢が利いて居ないし日本のお米では無いので美味しいとは思いませんでした。
ただ、マニラから遠い地方では日本の惣菜は手に入らないのでこんな紛い物でも欠食爺として食べて居ます。



天婦羅も上げた感じが今一でカラッと揚って無い絞まりの無い野菜天婦羅でした。

まぁー此方の料理を造って居るフィリピン人も日本食を真面に食べた事の無い人達ですから無理な事ですね。


餃子定食も中身はニラなどが入って無くキャベツを細かく切って間に合わして居るので今一の味でした。





21日に行ったレストランはGARDENIAと言うホテルの2階でオープンしているHANAMIと言うJapanes Restaurantですが此処は
フィリピン料理と一緒に成って居ましたがメニューもそこそこ有りました。









今回は幕の内弁当をオーダー妻は焼肉定食を食べました。



幕の内弁当は日本の様に魚や煮付け物などが付いて無くてトンカツと焼肉とエビの天婦羅だけでチョット空振りをさせられた
幕の内弁当でした。



妻の食べた焼肉定食も私の幕の内に付いて居る焼肉と一緒で味も同じでした。

まぁーフィリピンの田舎で食べられる日本食モドキの紛い物ですから期待するのは無理ですね。

まぁー長く此方に住んで居ればこんな紛い物日本食でも食べられる様に成ります。

どちらの店も妻と二人で食べて此方のフィリピン・ペソで650ペソほどでした。

今は日本円1.000円が430ペソですから約1,500円チョットと言う感じなので日本と変わらない値段に成ります。


如何でしょうか・・・・・矢張り日本食は世界でも人気の食なんですが味や惣菜は矢張り日本食とは呼べない紛い物に成ります。

フィリピン田舎暮らし今回はこんなジャパニーズ・レストランを投稿させて頂きました。

フィリピンでの年金生活は楽では無いよ。

2017年02月15日 10時05分10秒 | 日記




今回の我がブログは仲間のfacebookを覗いて居たら年金で暮らす外国の人気ベスト20が載せて有ったので我がブログで
取上げて見ました。

国際定年インデックス2017が発表した老後を楽しむのにベストな3か国にメキシコ、パナマ、エクアドルが選ばれたんですね。

麻薬やアメリカへの密入国などトランプ大統領との問題を抱えて居る国なのにと思って仕舞います。

では、アジアでは何処かと申しますとマレーシアがトップ10入りを果たしましたでも昨日のニュースでは北朝鮮の金正男が
マレーシアの空港で暗殺されました。

私が現在住むフィリピンは20番目の19番ブービーなんですね。

本当に近頃は住みずらく日本より物価が高い感じで最悪の日常生活です。

その他のアジア地域ではカンボジア、タイ、がトップ20に入りましたが余り喜ばれた感じでは無いですね。

矢張り老後の年金生活をと成れば年金制度や医療制度が整って居て暮らしに一番
大事な物価が安い事が魅力だと思います。

このランキングは海外生活情報サイト「インターナショナル・リビング」が世界25か国の「年金生活者の暮らしやすさ」を順位付け
したものだそうです。

この暮らし易さの基準は住居費・福祉制度・生活費・現地への馴染みやすさ・娯楽・医療制度・インフラ・気候など加え移住ビザや
永住権の取得のしやすさも評価もされて居るそうです。

総体的に見ると中南米大陸など自然に恵まれた国が上位に位置し麻薬で有名なメキシコがトップに来るとは驚きですね。
治安の悪い中南米の国が上位に位置するのは何か滑稽に思えて来ます。

1位 メキシコ(北米) ・ 2位 パナマ(南米) ・ 3位 エクアドル(南米) ・4位 コスタリカ(中米) ・ 5位 コロンビア(南米) ・
6位 マレーシア(アジア)7位 スペイン(欧州) ・ 8位 ニカラグア(中米) ・ 9位 ポルトガル(欧州)
10位 マルタ(欧州) ・ 11位 ホンジュラス(中米) ・ 12位 タイ(アジア) ・13位 イタリア(欧州) ・14位 ペルー(南米) 
・ 15位 ベリーズ(中米) ・16位 フランス(欧州) ・ 17位 カンボジア(アジア) ・ 18位 ボリビア(南米) ・ 
19位 フィリピン(アジア) ・ 20位 ドミニカ共和国(北米)


皆さんは如何でしょうか・・・老後は何も心配なく楽しんで暮らせるのが一番だと思いますね。

私はフィリピン在住14年目に成りましたが貧乏な身内に囲まれ毎日がのんびりとは行きません。

今では日本の方が良かったと思う反省ばかりです。











今回の投稿した写真は我がフィリピンの住まいの日常生活でのスナップ写真です。

台風26号に遭って折られた庭木の1ヶ月後の息吹

2017年01月29日 06時21分35秒 | 日記
2016年も暮れに押し迫ったクリスマスの25日に当地(フィリピン・アルパイン州)は季節外れの
超大型(気圧915hpa)台風26号に直撃されました。
日本から帰った後は台風の後始末で大変でした。


台風前の我が庭の木々達です。


台風の去った後はこんなにサッパリして仕舞いました。

家の被害は何も無かったのですが手塩に掛けた我が庭木はヤシの木を残して保々全滅状態に成りました。
留守番の義姉の長男坊が倒れた木を根元付近から切り倒して仕舞ったのです。
家主の私の了解も無いのに自分勝手な行動なんですね。
日本人の私なら倒れた状態や折られた状態を見て木の再生を試みるのですがヤッパリフィリピン人は後先
の事を考えずに行動に移して仕舞いますね。


今年には実を付ける植えて7年目のマンゴの木でした。


実の生って居たジャックフルーツの木で日陰を楽しむ玄関前の木でした。


クボの前に育ったマンゴの木で7mを超える高さで毎年マンゴを楽しみにして居ました。


クボ前に育ったジャックフルーツの木で此れから実を付ける楽しみな木でした。


この木もマンゴで台風前に食べごろのマンゴが生って居ました。


ヤシの木もこんなに無残に成って仕舞いました。


此れはブーゲンビリアの木です。
細い枝は強風で折られ全て根元から切り今ではこんな枝が伸び始めました。


台風前の玄関先の庭はこんな樹木に覆われて居ました。


台風の去った置き土産はこんな感じの殺風景な玄関先の庭に成って仕舞いました。

そんな台風被害に遭った庭木も1ヶ月近く経つとこんな息吹が見られます。
妻は倒れた木は根元から切れ何て抜かしますが私が種から育てた木は簡単には切りません。

何も無いフィリピン田舎暮らしですが何度も台風の被害に遭った土地で育った木々は私のファミリー
と思い大事にして居ます。

皆さんはどーでしょうか・・・・今回台風は本当に実の生る木を倒されたり折られたりで本当に
ショックでした。


フィリピン田舎暮らしはこんな事も当たり前・・・・・!!

2017年01月21日 06時25分32秒 | 日記
年明け第2回目の投稿に成る我がブログ
前回のブログは昨年のクリスマスに当地を襲った季節外れの台風26号の被害を投稿させて頂きましが・・・・・!!


橋桁の設計ミスと川の杜撰な管理から堆積した砂利で川底が浅く成りチョットした大雨でも川が氾濫します。
今回の台風26号により流木やゴミで橋を乗り越え道路に流れ出し水で大変でした。


台風後の川はこんな清流に戻りましたが・・・・・・


こんな濁った川に後戻り・・・・今年の当地はラニーニャの影響か年明けも毎日雨続きの日が続きます。

今回は1ヶ月近く停電が続き昨日漸く停電が復旧しました。
我が家はハイウエーに面した場所で送電線もメインに成って居る
処なんですが他の場所の電気が点き始めても2週間近く電気が点きませんでした。
仕方なく隣人の力を頼りにワイロを渡し何とか19日のひる前に電気が点きました。
フィリピンの田舎暮らしで当たり前のことですが・・・それも台風の産地に直結した当地なんです。
そんな訳で自然災害は常に付き物なんですね。

今回は前回のブログで取上げました。
我が近くを流れる川の氾濫で我が家の重要な生活配水である町営水道の被害と自らの手で修理した事を取上げました。


台風が去って橋のゴミを撤去した後は普段のこんな川と橋の様子です。


でも、左右の川の川の流れは完全に違って写真右側は橋の強度を持たした橋桁で川の流れが堰き止められて居ます。




川の流れの様子を見る為にこんな形で仮留をしておきました。


川の下流はこんな形で町営水道のパイプが引かれて居ます。
大雨の後は必ずパイプが流され同じ修理の繰り替えしで遣ってます。
此れがフィリピンの田舎の行政の杜撰な対応なんですね。


ここに我が家に引き込んで居る町営水道のパイプが布設されて居ます。


今回近所の盗人にパイプを切られ盗まれたカ所なんですが町の水道担当が何とか直してくれましたが布設がいい加減で
こんな形でパイプが流され私が一人で引き直して何とか成りました。




引き直しした我が家の町営水道何とかこんな形で留め直して様子を見る事に成りました。



今回の台風で増水した川で我が家の水道パイプは流され新たに橋の上流側にパイプを廻し自ら工事をしました。

まぁー都会では考えられない事が当たり前の田舎暮らしなんです。

12月27日に台風の過ぎ去った我が家に戻りましたが・・・・12月の19日から親戚の不幸や実母など見舞いなので1週間程
日本に一時帰国して居ましたがこんな台風の置き土産で四苦八苦でした。

勿論、台風の中心が我が家の近くを通ったのですから当たり前のことなんですね。

特に生活配水は川を渡したPVCパイプで川の氾濫でズタズタに切られて仕舞いました。

何しても家に帰ってからの後始末が大変だった今回の台風被害です。

では、町営水道の修理はと言いますと町役場の水道担当が直しに来てくれたのは私が帰ってから2日後の暮れの29日に漸く我が家に
水が確保出来ました。
貯水タンクに満水にして1日置いたら又もや水道パイプが川の濁流で切られ再度の修理を依頼年明けに何とか直りました。・・・・
・・と思ったら直ぐに断水。

また町の水道担当に連絡すると今度は家の近くの住人が我が家の水道パイプ(PVC)を切り自分の家のパイプに繋いで平気な顔をして
居ました。

我が家は周りの家より一回り太い現地で3/4インチなんて呼び方して居ます。
そんな訳で一回り小さい我が家のパイプを切り落とした隣人は1/4のパイプで我がパイプに差し込んで直ぐに使える盗人極まり無い
テクニックです。(爆)

幸いに太い3/4パイプで水道を引き込んで居るのは我が家の他に1軒しかないので役場の水道担当は直ぐに判り盗人は町役場に呼ばれ
盗みを認めた様です。


私の家も土地を購入して家を建てる前に3度も川の氾濫に遭い土地を流されて居ます。

そんな苦い経験から川の氾濫を防ぐ我が土地はハイウエーより70cmの高い石塁を構築してハイウエーに流れ出る濁流から我が家を
守って居ます。

何してもフィリピン田舎暮らし何が起きても自らの行動やお金が必要です。
転ばぬ先の杖と昔の人は良い言葉を残していますが私もフィリピン田舎暮らしそんな言葉に肖って生きています。