フィリピンの田舎暮らしは

フィリピンに住みつき15年
目にした事や身を持って体験した事を
このブログを通して皆さんに伝えたいと思って居ます。

夏本番の地元のプールはこんな感じ

2015年03月23日 11時54分34秒 | 日記



日本は桜の開花が始まる時期ですね。
此方フィリピン・ルソン島南部の当地はいよいよ夏本番なんですね。
昨日は蒸し暑さにつられ地元に有るリゾート・スイミングプールを探索して来ました。












こんな風景の山間に有るスイミングプーールなんですね。
貧しい人達の多い地方では入場料70ペソ/日本円200円弱のプールでも限られた人が利用するだけなんです。
今日は日曜日なので入場者は少し居ましたが山合いのプール地の利の悪さも手伝って普段はガラ空きの様です。

私はこんな地元に住んで居ますが今日初めて下見に行った次第です。
フィリピンの田舎暮らし出歩く事の無い私なので知らない処ばかりなんですね。








我が庭のパパイアはこんな季節に

2015年03月19日 06時25分27秒 | 日記
雨季明けしたルソン島南部の当地
晴れれば30℃を越す日が遣って来ました。
庭のパパイアも雨季の間に実を付け実りの季節を迎えています。

我が庭のパパイアの樹は昨年の7月に当地を襲った台風9号で幹を折られて駄目に
成ったと思ったら折れたヶ所から沢山枝が出て見事に実を付ける様までに再生しました。









私もこんな再生したパパイアは始めて見ました。
元気なパパイアの樹は種から育って1年以内に実を付けます。
樹は生長しながら2年~3年近くは1年中実が生ります。
自家採りのパパイアは味はフレッシュで店頭で買ったのとは一味違います。






取れ過ぎた時にはパパイア・ジャムを造ったりもします。
我が庭は此れからシーズンを迎えるジャックフルーツも沢山生っています。
イエローマンゴ・パイナップル・グヤバノ・グアバ・バナナなど我が庭から採れました。
素人でも南国の果物は簡単に実りを約束してくれますね。


屋根の塗装が終った後はこんな付帯工事まで

2015年03月12日 09時34分35秒 | 日記



屋根の塗装工事も何とか天気に恵まれ1週間掛からず6日間で終わりました。
それも今日が最終日の7日目なのですね。

予定より早く終ったので奥さんのオーダーで流し台の塗装のし直しを遣って貰いました。
家も5年が経つと大事に使っていても汚く成る処も有りますね。
流し台も5年前は綺麗な塗装仕上げをして貰いましたが汚さない為に
敷いたテーブルクロスが塗装に密着して剥がれ無くなりそれを剥がそうとして
返って汚く成って仕舞いました。

流し台の塗装替えは汚れたテーブルクロスを剥がす(削り取る)事から始まり
綺麗に削り取った後は表面をパテで綺麗仕上げ・その上に少しアクセントを入れた
模様を施して塗装仕上げをして貰いました。












2日間の工事でしたが屋根の塗装の後に流し台の塗装工事や食器収納ケースそして庭に有るテーブルや
椅子まで残ったペイトで仕上げて貰いました。






如何でしょうか。
フィリピンの田舎暮らし生活に密着した人々との触れ合いが有ります。
こんな家の屋根の塗装工事と付帯工事で人件費は7.000ペソ チョットです。
為替レートが有りますが日本円で21.000円程でした。
塗料が少し高かったですが28.500ペソ/日本円で83.000円位でした。

日本なら30万円は掛かる屋根の塗装工事でした。

我が家の屋根はバイオレトカラーだ。(屋根の塗装工事)

2015年03月07日 10時59分53秒 | 日記
南国は1年を通して日差しが強いそんな環境です。
2009年に建てた我が家そんな環境下の中で新築時のバイオレットカラーの屋根は無残にも5年でこんなカラーに変色、
屋根の所々にも錆びが出始めました。
年金暮らしのフィリピンでは円安は堪えます。
日本円10万円がフィリ有りましたに変えると7万円程に成ってしまう昨今です。
こんな時期に屋根の塗装工事を遣りたく無いのが現状なんですが家を守る為には仕方無い事ですね。
そんな中での屋根の塗装工事を3月2日から着手しました。
フィリピンではマニラ以外の地域ではオリジナルのカラーは手に入りません。
今回の屋根の塗装もバイオレットカラーでと妻の要望も有りましたので2週間前に塗装材料一式は注文して取り揃えました。
下地塗りの塗装も含め全部で27.000ペソ/日本円で約8万円そしてプラスαで工事人の日当とおやつ代が約5万円ほどを予定し
ています。
何してもお天気次第の屋根の塗装なので何とか天気に恵まれればと願いながら始めました。



2009年8月当時の新築時の屋根の色です。
南国の空の青さに映えるバイオレットカラーですね。



2013年1月の5年経過した屋根のカラーです。
焼けてすすボケたバイオレットカラーの面影も有りませんね。
此処、ルソン島南部の当地、海が近くそしてマヨンボルケーノ活火山が近くに有ります。
見えない自然環境からの影響も有ると思われます。



今週の月曜日から始めた屋根の塗装工事で屋根の汚れや錆落としから始めています。
天気は曇りのち晴れで仕事が遣り易い天気でした。



屋根の汚れ落としが住んだら直ぐに下地塗り(EPOXY PRIMER CATALYST)を遣りました。
運が良く塗った後はこんな天気に・・・・同じ日にこんな天気に成りました。



下地塗りが終った翌々日にはこんな天気に成りバイオレットカラーの一次塗りを遣り始めました。



塗装工事を始めて2日目で家の前面はこんな色に出来上がってます。
塗装はこの上にもう一度上塗りをして仕上げます。



工事人は2人で親方一人と施工一人の2人で手分けして作業をしています。
南側テラスの屋根を下地塗りをしいる様子です。



こんな感じで作業が進んでいました。
4面の屋根の総面積は204㎡でテラスや物置小屋・メイドルーム・勝手口・物干し・などの全てで300㎡を越す広さ
に成ります。



晴れた日差の下では気温は35℃は有ります。
暑さに慣れた工事人もこんなスタイルで暑さ避けをしています。




本当に暑いのに僅かな休憩しか取らず仕事を遣ります。
勿論、プロだから出来る事なんですが此処、フィリピンではプロと言っても偽者も沢山います。
この塗装職人は我が新築時の塗装を施工した人なので安心して任せられます。

塗装を始めて4日間で母屋の屋根は保々仕上がりました。

如何でしょうか。
隠居のの身では手伝う事は出来ませんがブログ記事にとデジカメに撮る事は出来ます。
後は、ブログを通して皆さんに見て貰うだけですね。
60歳でフィリピンに移り住み、65歳で自分の家を建て70を越した今は南国の花や果樹栽培そして愛犬達との
暮らしをエンジョイしています。
今の円安では決して楽な暮らしは出来ませんがフィリピンの田舎なら何とか成るそんな暮らしです。



フィリピンの暮らしは円安で大阪・夏冬の陣並みだ。

2015年03月02日 12時16分52秒 | 日記
外国で暮らして居ますとその国の政策から来る様々な問題に直面します。
特に私が住むフィリピンでは治安の悪さと4~5年に一度は泣かされる円安からフィリピン・ペソと為替レートの変動が有ります。
フィリピン共和国は一部の特権階級の支配する国で共和国制を謳ってますが昔さながらの封建国家に思えます。
一部の大富豪やそれに繋がる政治家が仕切る国と言っても間違い無い程の貧富の差がハッキリしています。
国家経済の中枢は華僑系のフィリピン人が牛耳り殆どと言って良いほど彼らの力で経済が動いて居ます。





我が国ではある程度の国民の雇用制度が守られ最低限度の生活保障は確立されて居ますが・此処、フィリピンは大富豪が
お金を儲ける様な仕組みが出来上がっていて貧しい人々は等閑なのですね。
国を司る国会は上院・下院に分かれ国家を動かして居ますが汚職や収賄などの腐敗政治が当たり前の国なのです。
そんな国ですから国営企業も無く仕事の無い貧しい人達で溢れています。





今回は我がブログにお出で下さる方からのフィリピンの生活コストを教えてと言うコメントが有りました。
そんな訳で今回は最初にフィリピンの国の実態を私なりの見方で話させて頂きました。

フィリピンの暮らしで目に付くのは貧しい人達ほど勤勉では無い事なのですね。
特に働き場所の無い地方は闘鶏が盛んで公営の闘鶏場が村や町に必ず有ります。
男たちはそんなギャンブルを生きがいにしています。
人々の暮らしに影響する気候も貧しい人達の後押しをしている感じでフィリピンは一年を通して気温・湿度の高い熱帯
モンスーン型気候なので日本と違いお米も年に2回も取れる2毛作なのです。





貧しくても何とか生きるだけの食料は確保出来るのですね。
お金が無くお米が買えなくてもお米より安い食用バナナや芋類などで主食の肩代わりも出来ます。
私はフィリピンの貧しい人達と共に生活をした事が有りますので彼らの生活は目にしています。
そんなフィリピンなんですが貧乏な人達の中には働き場所を求めて外国に出稼ぎに行きます。
勿論、稼いだお金は家族や身内達を支えて居るのですね。
しかし、この国は外国で稼いだ金が大富豪や政治家に集まる経済構造をしていて貧しい人達のお金は富豪や政治家の
懐に入って行って仕舞うのですね。
選挙では金が公然とばら撒かれ金の力で政治が動いています。
特に自国の産業の育成などはせずに安い中国製活必需品・バイク・車など庶民が欲しい物を輸入に頼り金を使わせて行く
経済が罷り通っています。





自国の雇用促進や福祉制度・医療制度など国家予算には金を出さないと言うのが現状です。
各国からの無償援助・災害に伴う支援金などが集まりますが1年も経たず使途不明になる不透明な国なんです。
私は、フィリピン共和国で暮らす身ですが普段から矛盾だらけの多い事には驚かされます。
そんな中に措いて、ペソが円やドルに対して何故強いのか疑問に持ちました。
フィリピン共和国のGDP率は日本より低いのに何故ペソが円に対して強いのかと言う問題です。



GDPとは・・・・・・!!
GDP(国内総生産)とは、日本の国内で、1年間に新しく生みだされた生産物やサービス の金額の総和の事だそうです。
GDPはその国の経済の力の目安によく用いられて居るとの事なんですがフィリピン
ではGDPが低いのに併せ国家予算が人々の教育・福祉・医療・社会環境整備などに使われていないのです。
はっきり言って国内の設備投資に金を使わず外国に働きに行っている自国民のドル送金が国を潤して居る感じなのです。
通貨のは強さを左右する要素というのは数多くあるわけですが、その中でも極めて高い要素が、どれだけ外貨から自国の
通貨に両替されているのかなんですね。
では、フィリピンペソは、どういう状態なのか。
今日、世界中どこに行っても出稼ぎのフィリピン人を良く見かけますね。
そして彼らの大半は、稼いだお金をフィリピンの家族のもとに定期的に送金しているのですね。
そんな訳でフィリピン共和国は外国から家族の元に送られるドルがフィリピン・ペソに
換金されるためペソが円より強いと言う事なのです。
円高ではドルが下がりドルと連動したペソも下がって仕舞います。





マルコス大統領当時から十数年前までは日本で暮らす1/3のお金でフィリピンで暮らせると言うのが常識で有った様です。
今のフィリピンは自国民の外貨獲得が高くドル経済にリンクしていますので円安は我がフィリピン暮らしでは最悪状態です。
今週の為替相場では1ドルが日本円で119円台・そしてフィリピン・ペソでは100円が
36ペソ台に上がって仕舞って居ます。
我々日本人がフィリピンで楽に暮らせるのはペソが下がる事が条件なんですね。
1万円が5.000ペソを超えてくれれば喜ばしいのですが今は3.600ペソ位なのです。
今のフィリピンは日本より物価が高く3流~4流の生活必需品が日本より高いのが現状です。
若しマニラで暮らしたならば1ヶ月の生活費諸々で日本円で20万円~30万程掛かって仕舞うのでは無いかと思います。
勿論、夫婦2人なのか子供が居るのかで大幅に違いますが決して楽な暮らしは出来ないと思います。
我が地方の田舎暮らしでも2DK位のアパートでも5.000ペソ以上は取られます。
お米は1kg/当たり30ペソ~80ペソ位まで色んなお米があります。
肉や鶏肉は1kg/当たり150~200ペソ程・魚貝類も高級魚と大衆魚では値段も違いますが1kg/当たり80ペソ~300ペソ位でしょうか。
野菜・果物も同様で地方暮らしでも夫婦二人で15万円は掛かります。
電気代やインターネット回線を併せ5.000ペソ~6.000ペソ。
そして車の維持費やガソリンを含め1ヶ月当たり3.000ペソ位。
家の維持費や修繕費などで1年に50.000ペソは必要に成ります。
如何でしょうか。
まぁー・・・金を掛けない貧乏暮らしも出来ますが日本の生活保護を受けている位の
金は必要では無いかなぁーと思います。