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フィリピンの田舎暮らしは

フィリピンに住みつき15年
目にした事や身を持って体験した事を
このブログを通して皆さんに伝えたいと思って居ます。

フィリピン田舎暮らし隣街の重鎮達は大事な仲間

2018年04月12日 12時07分41秒 | 日記




我がブログにお出で下さる皆様へお詫び申し上げます。

我が体調は最悪で末期がんの最終コースへ突き進んでいます。

4月初め頃からは食欲が無く拒食症状なんですね。



隣街に住む仲間達と囲む昼食会

日本から遣って来たO氏と仲間達と団らん。

インターネットで原因を探して見ますと末期がんは殆どこんな症状が出て体力の衰えから臓器に影響が出て弱って仕舞うそうです。
そんな中に私の体調を気遣う仲間が居て本当に在り難い事です。
3月下旬には私の体調を気遣って態々 日本の大阪からOさんが見舞いに来てくれました。
フィリピン大好きな仲間はブログやfaceebookを通して仲間が沢山居ますが健康ならこんな仲間と自然の綺麗な穴場へ案内をして上げたかったです。



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隣街のDELICA日本食レストランのオーナーのSさんこの道の大ベテラン。

そんな思いも侭ならずの今の体調・・・・普段、忙しい隣街に住む重鎮達と久しぶりに会えて食事会を開きました。
日本から態々遣って来たOさんもこんな重鎮達と食事をしながら楽しいひと時を過ごしてくれました。
我が隣街に住む重鎮(邦人)はこの街に住み着き30年を超える人ばかりで私のフィリピン田舎暮らし15年など足元にも及びません。
フィリピン田舎暮らしは都会のマニラとは違い不便は多いですがこんな重鎮達との繫がりが一番大事なんですね。
我が命・・・・短く成ったキャンドルもも~時間の問題で消えて仕舞います。
何んとか頑張ってとの気力は持ってても病の侵攻には無理と悟って居ます。
我がブログにお出で下さる皆様へこんな感じの投稿を今回させて戴きました。



我が家の傍から観えるマヨンボルケーノ火山です。

フィリピン田舎暮らし遣ってられねぇー・生ごみ搬出車を盗まれた

2018年03月19日 11時26分33秒 | 日記
フィリピン田舎暮らしも15年が経ちます。
末期がんを患い毎日の早朝の庭やハイウェー掃除は苦痛に成りました。

でも、仕方ない事です・・・・日本では出来ない事を遣ろうと2006年にハイウェーに面したこの土地を購入しました。
何度の水害を乗り越え土地の埋め立てそして今では広い敷地にはヤシの木マンゴの木・ジャックフルーツなど果物の成
る木で覆われる土地に代わってます。
年老いた体では庭掃除やハイウーエーの掃除など家を建ててから9年間毎日続けて居ます。
勿論、広い敷地ですから泥棒対策として大型犬を飼ってますので犬の朝の運動と合わせ庭掃除も続けられて来ました。

今回はこんな掃除の一部に生活の生ごみを週1回の回収日に正門の外に出さなくては成りません。
南国ですから1週間の生ゴミはプラスチックの袋に入れても悪臭が漂います。
そんな訳で我が家では野良犬などに搬出した生ゴミ袋を破かれるの防ぐ為にと手製の手押し生ゴミ搬出車を造って回収日
に併せ正門の前に出して生ゴミを回収して貰ってます。


我が正門の前はこんなハイウェーに面とて居ます。

処がフィリピンの田舎の町役場では貧乏で満足に回収日に来てくれません。
勿論、貧しい地方ではゴミ回収車は1台それも日本の中古のガタガタな車を安く買って使ってますから直ぐに故障に成り
車が直るまで生ゴミの回収は来ません。

今回も3週間も生ゴミの回収が有りません。
2月には正門前に出した手製の生ゴミ搬出車を生ゴミごと盗まれて仕舞いました。
日曜日には仕方なく新たに生ゴミ搬出車を造りました。
フィリピン・ペソで1.500ペソも掛かり本当にフィリピンの田舎暮らしは遣ってられねぇーが本音です。


盗まれた生ゴミ搬出車を新たに造って居る処です。


日本円で3,000円を超えたお金で新たに造りました。
下に車を付けて居ますので重くても手で押せます。
回収日に来なくても3週間分保管を出来る様な大きさに造ってます。


盗まれた生ゴミ搬出車の代わりにポリバケツの底の壊れた物を直し取りあえず急場を凌ぎましたがその後3週間も回収に
遣って来ません。
盗人に盗まれない様にロープを付けて正門の鉄骨にとめます。
これがフィリピンの暮らしの当たり前のことてです。


毎朝、正門の前は落ち葉やハイウェーに投げ捨てたプラスチック類のゴミの吹き溜まりに成り掃除が大変です。


掃除をした後はこんな綺麗に成ります。


我が正門の隣り併せの隣人の塀の前はこんな生ゴミの不法投棄が当たり前の様に行われます。
フィリピン人のモラルは最低なんですね。
下手をすれば我が家の前に平気に生ごみを捨てて行きます。


我が庭の落ち葉掃きはこんな移動が出来る車の付いた折りたたみこんな物を使って掃除をしています。

フィリピン田舎暮らし15年・・・・・何が嫌いかと言うと人の根性が良く無い事なんです。
理性に欠け悪い事や嘘も平気に付く勤勉でなく頭の固い自分勝手な人が多いと言う事です。
特に貧しい人程こんな感じで捉えられます。
でも、子供はそんな感じでは有りませんが大人に成るほど酷い感じです。

土曜日も妻の姉の小学生の子供の2人の誕生日なので廻りに住む貧乏な身内の子供にも食べさせて上げようと1.000ペソ
を出し鶏肉2羽と大きなケーキを買わせて持たしました処・・・隣に住む貧しい身内に分け与え無かったそうです。

本当に妻の姉妹でこれなんですから心が優しく無いのが分かります。
こんな事を15年続けて来ましたが日本人感覚は彼らには通用しません。





今週は日本から友人が2泊3日で我が家に遣って来ます。
フィリピンに何かを求めている仲間なんですが私の経験を参考になればと話して見たいと思ってます。

フィリピン田舎暮らしは最後の夢追いが生きがいだ。

2018年03月09日 08時26分51秒 | 日記
今回の我がブログは私の最後の夢を載せて頂きました。
体調も日々を追って衰えて行く感じで何とか生きている間に最後の夢を叶えたいと頑張ってます。
勿論、私の夢はお金が必要な夢ですから年金暮らしの私には身近な大金を掴む方法はロットを当てる事しか目的が達成しません。

そんな淡い夢を叶えようと毎週1回/日本円で300円チョットの投資で週3回~4回のロットを買って居ます。
当たれば1億円以上の大金が掴める事に成ります。

世の中は甘くは有りませんね。

中々夢は叶えられません。

勿論、色んな事は考えて遣ってますが・・・・・・・!!


我が家の近くにはこんな海が横たわっています。
元気ならば愛犬を連れて海辺の散歩が出来るのですが。


我が愛車もも~乗る事は無くなり身内が乗る事に成りそうです。


毎回出た数字をエクセルを利用して表にし出た数字は色分けで回数毎に判る様にし予測するのですが簡単に6つの数字を当てられません。

まぁー死ぬまでにはと何とかと当てようと無理は承知ですが僅かな死を待つだけの日々は意味が有りませんから何とかこんな形で夢を追ってます。

夢が叶えられたら親しい邦人の仲間を日本の温泉旅行に招待したいと思ってます。
勿論、私が当てたロットの当選金ですからであぶく銭として1.000万円も使えば1か月近くアッチコッチの温泉場を探歩出来ますね。

その次の夢は我が身内の貧しい子供達を日本旅行をさせて上げたいと思ってます。
勿論、10人近くですから旅行代は数百万円で済みますよね。






それと子供達の教育費を援助金として2.000万円近く用意したいのです。

他には私の世話に成っち方々に数千万円をそして連れ添った妻に残った金を渡し人生を終えたいと思ってます。

何しても夢物語は現実に引き寄せるこれが私の最後の執念なんですね。
如何でしょうか・・・・・・・!!

こんなバカな事を夢見る私の最後の生き方なんですね。


フィリピン田舎暮らしは遣ってられねぇー我が体調も落ち目

2018年03月03日 10時10分48秒 | 日記
今回の我がブログ投稿は私の体調の事を載せさせて頂きました。
昨年は不覚も体調を崩し13kgも体重を減らし挙句の果てにフィリピンでの
前立腺肥大手術そして手術後の体調の回復も思わしく無く何とか車椅子を利用し日本に一時帰国をして専門医に診て貰いました。
案の定最悪の前立腺がんステージ4を宣告され最終手段の睾丸除去手術を9月末に受け何とか10月下旬には家に戻て来られました。
9月末の手術から5か月経った今の我が体調は全身骨格に癌が転移した状態も有って体の何処かの骨が急に針に刺された感じの痛み
が出始めました。
素人考えですが癌細胞が骨を冒している感じで骨の痛みを感じる様に成りました。
痛みは直ぐに消えますが大腿部や腕や足そして肩・胸の骨とその都度痛みの出る場所が違って来ます。
勿論、腰から背中に掛けては体力の衰えから疲れが溜まり痛みも出始めました。
主治医の話では痛みに耐えられなく成った日本に戻って来いとの優しい言葉も有りますが前立腺がんのステージ4は余命2年以内に
80%の患者が亡くなるとの話も有りましたのでしてこれ以上の長生きは出来ないと諦めました。


我が庭も2009年にこの土地に家を建てて今ではこんな木々に覆われた庭に成りました。
数度の水害に遭い土地を流され4tトラックで400台近い川砂で土地を埋め戻し現在に至ってます。
庭の木々は全て私が植えた木々なんでね。


屋根に上がって撮った庭はこんな感じです。
敷地面積は1.200㎡です。


庭からは今 火山活動の活発なマヨンボルケーノ山が目の前にそびえて居ます。


庭には自ら育てたパイナップルが育って居ます。


2年チョット掛かってこんな実が生り始めました。


この大きさで花芽が出て1ヶ月半位です。


何とか生きている時に熟した実を食べられそうです。


庭には1年を通してハイビスカスが咲く我が庭です。


ただ、死ぬまで病との付き合いもどーかと思い当たらないフィリピン・6ロットに夢を掛け気力の拠りどころにしています。
人間一度は誰でも逝かなくては成らない場所ですから割り切り方も必要ですね。
フィリピン田舎暮らし末期がんの最後の私の生きざまはこんな形です。
早々、左目も白内障で視ずらく成って仕舞いました。
何事も老いて来ると様に成りませんね。(爆)

フィリピン田舎暮らし…遣ってられねぇー冷蔵庫や洗濯機の故障ばかり

2018年02月21日 11時06分53秒 | 日記
フィリピン田舎暮らしは泣かされる事ばかり
マニラと違い欲しい物が満足に手に入らない事です。
本当に嫌になる事ばかりで遣ってられません。

今回は我が家で使っている冷蔵庫・洗濯機・TVなどに絞って投稿させて頂きました。

我のフィリピン田舎暮らしは今年で15年の月日が経ちます。
そんな15年の生活で今まで買った洗濯機 サムソンの自動洗濯機は3台そしてマニアルの洗濯機が2台です。
洗濯機はサムソンの自動洗濯機は5年に1度の故障が起き殆ど現地の人では直せない故障ばかりで直せてもメイン基盤は部品が高く
新たに買った方がメンテやその後の故障を考えたら安上がりです。
故障も直ぐに直らないので予備にマニアルの洗濯機を1台置いてましたが貧乏の身内にと直ぐに横流し肝心な時に予備が有りません。


4年目で故障に成り地元のテクニシャンでも直せないサムソンの自動洗濯機買った当時日本円で約2万を超える値段でした。


洗濯機などの水回りの電気製品はこんな給水・排水施設の上にベニヤ板で蓋をしてメンテを遣り易くしてます。


水回りの給排水施設の上に敷くベニヤ板の蓋を造って居る処です。


新しく買ったパナソニックの自動洗濯機で点検チェックをしました。


給排水施設の上の敷くベニヤ板を敷いて完成です。


こんな感じで新しいパナソニックの自動洗濯機を設置しました。


冷蔵庫も15年間で5台も買いました。
勿論、此方は日本製のNECやシャープなどでしたが電圧の不安定なフィリピン直ぐに冷凍機能が遣られて買い替える羽目に成りました。
最近はタイ製のElectro luxの冷蔵庫を買いましたが3年と持ちませんでした。
修理代も払っても直らない本当にこの国の人はテクニシャンと言う言葉を持っても修理が出来ません。


タイ製の冷蔵庫Electro luxでこれも買って2年チョットで故障で修理屋を呼んでも直りません。


新たに買った日本製のFujidenzoの冷凍庫です。日本円で約2万円チョットの値段です。


TVもサムソンの薄型TVですが保障期間が終わったら直ぐにLED故障で使用出来なく成りました。


サムソンのTVですがこれも保証期間が過ぎたと同時に故障で修理不可能のLEDの故障です。


勿論、こんな状態ですから高い電気製品を買っても無駄に成ります。

平均して日本円で5万円~10万円以内で電気製品は買えますが日本製と違って外国の商品は品質の保証が有りません。

フィリピン田舎暮らし遣ってられねぇーが本当なんですね。




フィリピン田舎暮らし・・フィリピン共和国はこんな感じだよ。

2018年02月14日 10時14分04秒 | 日記
フィリピン田舎暮らしも今年(2018年)で15年の年月が経ちます。


このバイクはHONDA製110CCのバイクで2004年に日本円で約10万円で買いました。
2012年には買ってから9年目歳でスピードは出せなく成ったのでサイドカーを取り付けました。

昨年は不覚に前立腺がんの末期を宣告され9月末には男のシンボルである睾丸除去手術まで致しました。
手術後は体の変化は有りませんでしたが4か月を過ぎた当たりから全身骨格に転移した癌が侵攻が活発になったのが体のアッチコッチの
骨が痛みが出始めました。

最初は右肘に痛みそして膝の関節・大腿部・肋骨・頭蓋骨などと痛みが出始めました。
主治医の説明もそんな全骨格に広がった癌の痛みは出ると言ってたので何とか納得はしてますがこの先の耐えられない痛みが出た時の事を
考えると気分は滅入って仕舞います。

そんな毎日の中で最後の気力はフィリピンULTRRA LOTTOを当てる夢を持って生きて居ます。




このトライは営業ナンバーの付いた中古車を日本円で約6.6万円で買い綺麗に塗装や座席の張替えなどをして乗りました。
仕事の無い身内に生活費を稼がせ様と乗らせたのですが横着な身内はタダ乗りするだけで仕事もしませんでした。
何事もフィリピン人はヤル気が有りませんね。


今は6/58が当たる人も無く賞金額がフィリピンのお金で300ミリオンペソに膨らんでいます。
日本円で約6億円を超える金額なんですね。
当たれば大金持ち最後の病院入院も特別室で人生を終える事が出来ます。
人の命はそれぞれ生き方で変わりますが最後は何が有っても金次第の世の中ですのでその辺は割り切り方一つだと思っています。


2004年に買ったHONDAのバイクにサイドカーを取り付けました。
フィリピンペソでサイドカーの取り付け一式で18.000ペソ(日本円で4万円)でした。


サイドーカーの塗装を自動車並みの塗装を施しました。
勿論、サイドカーを外して完璧な塗装です。


パーツも取り外しバイクも新たに黄色に塗装し直しです。


バイクの屋根部分もこんな感じで塗装処理。


キティーちゃんマークもオリジナルにスケッチさせこんな形で仕上げました。


塗装仕上げは約1ヶ月近く掛かりましたが完璧な塗装で仕上がりました。


座席もこんな感じで仕上げてます。


トライのサイドはルイビトンマークまで入れました。


70に近い爺がこんな感じでセカンドカーとして買い物等の足代わりとして乗り回しました。


我が家の近くの風景です。


犬の散歩コースもこんな風景です。


フィリピン田舎暮らしも頼りになる身内も薄情で遣ってられないのが現状です。
我がブログにお出で下さる皆様は時折愚痴になる私の言葉をご覧に成って居られると思うのですがこの辺はフィリピン人を奥様を持つ方や
恋人・観光・仕事と色んな形でフィリピンに関係する人から見ると悪口や愚痴などは好まれません。
そんな訳でフィリピン人との絡み合う失敗談や注意する事など積極的に描かれて居るブログは多くは有りません。
我がブログはそんな事も含めラストの意味でフィリピン人の問題点を取り上げてみました。

先ず、フィリピン共和国はどんな国なのかと言う観点で捉えたらこんな感覚に成って仕舞いました。

1.共和国に名を借りた一部の富豪や特権階級の仕切る封建国家に見えます。

理由は長年植民地支配された国で宗教の名を借りて一部の富豪・特権階級が宗教家と癒着し国民を宗教で縛り上げて居ます。
宗教とは名ばかりイエスや聖母マリアや殉教者を祭る祭事ごとが地域ごとに多く働く意欲を抑え神への信仰が幸せに成ると教えて居ます。
世界の動きなど必要な情報など教育やマスコミ・TVなどでの報道は皆無に近い状態です。
要は一部の特権階級や富豪が仕切る国ですから他国の事は国民に知らせる必要が無い訳です。
 選挙の時や普段のTV局では自局の契約した人気スターを出演させたスタジオ番組に力を入れゲーム形式での現金を配り人々の懐に入る仕組
 みを作って人々をコントロールしています。

 何しても他国からの援助やODAは国民に知らせず使途不明の状態で何処かへ消えて仕舞う国ですから。
 国会議員や州知事・市長は一族のタライ回しで成り立って居ます。
 大統領も任期中の不正も多く私利私欲に走っているのが現状です。

2.国民の性格や特性は
 
 国自体が宗教(カトリック系が80%を超え)後はイスラム教などが少数宗教で纏まって居ます。
 宗教は日本人が信じる仏教とは違い自分達の都合に合せた宗教感覚で日本人の持っ慈愛・誠実・勤勉・優しさなど丸で無い宗教に思えます。
 例えば、我が家には大きなマリア像を庭に設置して御堂まで造っていますが掃除や祈りは一切しません。
 人が集まる教会へ行くなど上辺だけのジェスチャーで宗教を捉えているのです。

 私が今まで助けたフィリピン人は金だけが目的で薄情と言う言葉が当て嵌まって仕舞います。
 勿論、この国を侵略した国が宗教を利用し植民地政策を推し進めた為に弾圧から逃れる為に独自に進化した宗教ですので人を騙すのも当たり
 前なんですね。
 
 日本の様に常識と言う言葉はフィリピン人には通用しません。
 お金も貸しても戻らない神から授かった金と信じ返さないのが当たり前です。
 嘘をつくのも平気で仕事を教えても出来ない・遣らない・しないの言葉が当て嵌まります。

 この辺は友人のレストランで大勢の職の無い若者達を雇用しての経験ですから間違い有りません。
 我が家でも15年間で25人近くのお手伝いさんを雇いましたが料理は出来ず
 食べる事と寝る事と遊ぶ事で常に私がボーイ並みに動かされて居ました。

 勿論、妻や身内自体からレベルが低いので雇用したの若い子には教える事は出来ません。
 頑固でプライドだけは一番強く決してミスしても謝らない人種なんですね。
 良く言われてますが日本のフィリピンパブで働く女の子は陽気で明るいと思われていますがいざ結婚して日本で暮らす様になるとフィリピン
 の家族への仕送りなどは当たり前で離婚率が高い要因に成って居ます。

 近頃は定年と同時にフィリピンに半年ほど通い(住む)人が結構目立って来てます。
 若い女の子も簡単に友達に成り同棲や付き合いが増えて居ます。
 日本人に近づく女の子は日本人のお金目当てで運良ければ結婚までと考え日本で暮らす事を夢見て居ます。


 今、facebookで奥様はPilipinaと言うfacebookがメンバー約1.500名が人気で動いて居ます。
 ここには奥様がフィリピン人やフィリピン・パブやフィリピンに関わる人達の投稿広場に成って居ます。
 Pナーとの絡み合う色んなことが投稿されコメントで賑やかです。
 経験した人なら当たり前の事も未経験者には勉強に成る事も沢山コメントで伝わって来ます。
 此処ではPナーとの国際結婚に伴う失敗談が多くコメントが多く飛び交っています。
 その他にはフィリピンに関係したブログも沢山有りますが一長一短で何とも言えません。
 

今回はフィリピンに住み15年そしてPナーとの出会いから30年の年月で経験した事に基づいて私なりにこんな形で投稿させて戴きました。


 

フィリピン田舎暮らし・・・俺の睾丸除去手術はこんな感じ

2018年01月23日 09時07分20秒 | 日記
我がブログにお出で下さる皆様へ
今回は少し砕けた自身の事を取り上げて見ました。

私は昨年の4月に体調を崩し薬の副作用から拒食症状に成り食事モ満足に取れなく成り体重を13kgも減らし寝たきり状態が続き
併せて病院の検査で前立腺肥大が判り手術を受けました。
しかし、手術後の処置や医療機関レベルの低さで回復が思わしく死にそうな目に遭い友人の助けを借り緊急帰国し横浜市に有る
済生会横浜市東部病院に掛かり精密な検査を受けた結果 前立腺癌のステージ4を言い渡され最終の処置として睾丸除去手術を受
けフィリピンに戻って来ました。


この実なんの実 木に生る実 我が庭から採れた実です。
日本では先ず見られない実ですね。


フィリピンの都会では手に余り入らないと思いますが地方の田舎ではフィリピン料理には良く使われます。


この実はヤシの実で固い外皮を剥いてこんな感じで取り出したものです。
此れを又 割って中の白い果肉 ココナッを取り出して細かく削り水に浸し絞ってココナツ汁に致します。


今回は数少ない前立腺がんの末期での睾丸除去を身を持って体験しましたので我がブログで取り上げて見ました。

インターネットでも睾丸除去手術をした人の話は余り載って居ません。
勿論、個人のプライベートの問題ですから余り話題としては取り上げていませんね。

私は睾丸に関する手術を昭和50年台に一度してます。
それはパイプカットと言う手術で男が女性に対して避妊を避ける手術で当時は保険が効かず手術費用が6万円ほど取られました。

これに関しては詳しい話は致しませんが今回の睾丸除去は男性のシンボルで有る玉を取ってしまうので色々と憶測が有りました。

当然、若い人が睾丸除去をしたら全てに渡り機能停止に成って仕舞いますね。
子供を造る機能が無く成り男性として最悪に成ります。


当地、フィリピンAlbay州には日本の富士山に似たマヨンボルケーノ活火山が有ります。
今月に入り火山噴火情報が出て噴火レベル3が発令され山麓に住む住民の避難勧告が出され1月15日に噴火が起きて居ます。
この写真は当地 Albay州の 州知事 AL Francis Bichara氏のfacebookから流用して載せさせて頂きました。


山頂から転げ落ちた溶岩の塊が途中で爆発して居る様な珍しい写真も有りました。


山頂のこの部分が溶岩で固まった時に壊れこんな感じの溶岩流出口が出来ました。
我が住む家はの山の真後ろに成るので噴火の様子は捉えられません。
この写真はLEGAZPI市側で望遠レンズを使って撮った様ですね。


普段はこんな穏やかな山ですね。
我がブログにはこのマヨンを撮った写真が沢山有りますので宜しかったら見て下さい。

特に尿の溜まっる朝方の勃起も無く成りそして立たなく成るのは当たり前に成ります。
一番笑って仕舞うのはインターネットで載って居たコメントではオカマに成って仕舞うのではと言うコメントでした。
私は手術後約4ヵ月を経過しますがこれと言った症状は出て居ません。

立たないのは当たり前で勿論 老いた体ではも~必要でないですからね。(笑)

体で変化が有ったのは睾丸をぶら下げて邪魔に成って居た袋が睾丸を取って仕舞ったのでその侭・・伸びきった袋の侭に成るかと
思ったら収縮して倅の付けに小さく目立たない程に戻って仕舞った事です。


我が男のシンボルの〇玉です。
可愛そうな事をしました。


自転車に乗った時にサドルが邪魔する事や喧嘩をして金的を食らっての激痛も来ませんね。

如何ですか声も元のまま・・・何も体調の変化に現れる症状は有りません。
気持ち的には少し軽く成ったので前にツンノメル感覚を錯覚で感じます。(爆)

皆さんは間違っても私の様な体験はしないで下さいね。
普段から健康管理そして早めの健康診断・可笑しいなぁーと思うと手遅れに成ります。
お身体お大事に楽しい生活を送って下さいね。

遣ってられねぇーフィリピン田舎暮らし(バナナの花芽が出たぞー)

2018年01月20日 09時08分37秒 | 日記
我がフィリピン田舎暮らしも終着駅が近づくと庭より外に出る体力が無い。

そんな毎日なのでベットの脇にノートPCを2台並べfacebookやブログで何とか生き延びる手段として気を紛らわして居ます。


そんな毎日なんですが大事な事は朝早く起きて愛犬の庭に放し飼いとその序でに塀の外のハイウェー・犬小屋・庭の落ち葉掃除
と雨が降っても合羽を着て9年間も続けて居ます。

気力は愛犬が居る限り失せる訳にも行かず動けない成りにアッチコッチと動いています。
庭には丹精掛けて育てた南国の果樹や草花が育っています。

今年は2008年に現在の土地を埋め立てした頃に庭の一角に植えたバナナが花芽を付け小さなバナナが顔を出し始めました。


2008年に土地の造成に併せ土地の一角にバナナを植えました。


2年後の2010年にはこんな形で植えたバナナは育ってます。


その当時は庭のこんな場所から2018年の1月15日久し振りに噴火したマヨンボルケーノ活火山が庭から観えました。


2018年1月8日に約7年振りに一本残ったバナナの樹から花芽が出ました。


こんな感じで付き出した部分が実に成長する花芽です。


花芽が出ては皮が剥けるとこんなバナナに成る小さい実が顔出します。


2010年当時苗木を植えて2年を過ぎた頃にこんな実と生ってくれました。


次々と4種類程のバナナが育ち店頭で買ったバナナと一味違う美味しいバナナを食べられました。


何事も素人なりに挑戦して実らせる事は楽しい事で日本では体験出来ない実践でした。


此れも何か私の最後を予期して実を付けてくれたのかなぁーと思って仕舞います。
昨年は4歳のオスと9歳のメスのロットワイラーを2頭も亡くして仕舞いました。
可愛がって居る愛犬は常日頃から逝くなら私の先に逝って欲しいそんな風に思って飼育してました。
だから、愛犬も私の心が通じたのかそんな感じで考えて仕舞います。


人の運命とは末期の頃には心にしっかかる出来事が起きるのですね。

暗い話ばかりで申し訳ございません。

序でにこんなバカバカしい話しを・・・・・!!

物置小屋に10年前に買った乗らない自転車を保管してました。
妻の従姉妹の叔母にこの自転車を上げました。
取りに来たハイスクールの息子に壊れて居る個所を簡単に直せるので自分で直す
様に説明し乗って帰させました。

そしたら2週間近く経ってから我が家に手伝い(雑用)に来ている叔母が自転車の
修理代金の掛かった費用を持って来ました。

妻は私が貸している金からその修理費用を300ペソを渡したそうです。

私は呆れてものが言えませんでした。
中古で上げたなら貰った側で適当に直して乗るのが常識なんですがこれがフィリピン・スタイル上げ善据え膳の無作法で
常識知らずなんですね。

妻には二度と身内には上げないとこれが最後で有る事を申し伝えました。

如何でしょうか・・・優しい心はPINOYには必要無いのです。
私はフィリピン15年の暮らしで沢山の貧しい人達に金銭や何事にも助けて来ましたが今の私にはPINOYからの人情や義理な
ど感じる取る事が出来ません。

フィリピン人が信仰するカトリックは個人・個人が皆が信仰するから自分も右え習えの感覚で信仰しているだけで我が家に
沢山祀っているイエス様・マリア様像など誰も拝みません。
庭に設置したマリア様の大きな像と御堂・・・私のお金で建てて上げてますが誰一人として掃除をしません。
街の中の大きな教会にミサに行っても傍から見て居ると○真似としか思えて仕舞います。

我が妻に残した大きい敷地・そして大きな家・・・今は私の一人相撲に成りました。

貧しい人達を助けるのはお金では決して良く有りません。

この答えは自らこの国住み貧しい人達と一緒に暮らせば分かる事に成ります。

それが今回の我がブログにバナナの花芽とはと言う形で取り上げて見ました。





フィリピン田舎暮らし・・私の前立腺がんとはこんな事だ

2018年01月12日 06時50分01秒 | 日記
我がブログにお出で下さる皆様へ

今回のブログは私が昨年、フィリピンで前立腺肥大手術を受けそして手術後の処置や医療機関のレベルの低さから回復が思わしく無く
緊急帰国して済生会横浜市東部病院に掛かり精密な検査を受けた結果 前立腺癌のステージ4を言い渡されました。
フィリピン田舎暮らしを続ける為に主治医と相談し私の最終処置として睾丸除去手術をして来ました。


神奈川県横浜市鶴見区の済生会横浜市東部病院
綺麗な近代的で医療設備の整った病院でしたか初心の患者は初診料が6.000円も取られました。


我がフィリピンの暮らしは2003年10月からスタートし現在に至ってますがこれと言った病気も掛からず元気で此処まで遣って来られました。
日本の男性の寿命は年々伸び80歳を超える平均寿命に成って来ています。

しかし、私の様に健康で問題が無かったからと健康診断を受けずに暮らすとこんな末期癌と言う形で宣告されて仕舞いました。

勿論、医療水準の高い日本なら健康診断を定期的受けて居れば早期に発見出来た筈ですが。

今回は、そんな私のフィリピン田舎暮らしで失敗だった事を自らの教訓としてこのブログで取り上げさせて頂きました。


健康な皆さんには必要では無いかも知れませんが病気は発見されてからは手遅れも有ります。
健康管理は普段から大事だと言う事をこのブログを通してお伝えさせて頂きました。

私が昨年日本の病院でして来た事そして今回ブログで取り上げた事は全て私には当て嵌まります。

今は何時爆発するか判らない時限爆弾を抱え毎日を過ごして居ます。


では、前立腺癌とはどんな病気か


前立腺がんは、欧米では男性がん死亡例の約20%(肺がんに次いで第2位)を占める頻度の高い癌ですが、
日本では約4.8%(2004年神奈川県)と比較的頻度の少ないがんです。

日本人男性が1年間に前立腺がんと診断される人数は、人口10万人あたり28.6人(年齢調整罹患率、2004年神奈川県)で、
胃がん、肺がん、結腸がんに次いで4番目、男性がん全体の12%を占めています。

年齢別では、45歳以下ではまれですが、50歳以後その頻度は増え、70代では10万人あたり約200人、80歳以上では300人以上になります。
このように、前立腺がんは高齢者のがんであるといえます。

今後日本では、食事の欧米化、高齢人口の増加、腫瘍しゅようマーカーであるPSA(前立腺特異抗原ぜんりつせんとくいこうげん)検査の
普及に伴い、前立腺癌の患者は急速に増加し、近い将来、胃がんを抜いて肺がん、大腸がんに次ぐ3番目に多いがんになると予想されています。

◆Yahoo Japan ヘルスケア サイトより抜粋


前立腺癌の転移と再発

前立腺癌は、癌が前立腺の中に留まっているか、外に拡がっているかが治療の分かれ目になります。


周りの臓器への浸潤を(局所進行癌)

前立腺にできた癌が、前立腺の外に出て周囲の臓器に入り込んでさらに増殖していくことを「浸潤」といい、
この段階の癌を「局所進行癌」と呼びます。

TNM分類では、T3かT4の段階です。

この段階の癌は一部にとどまっていないため、手術や放射線によって完治を目指すことは難しくなります。


前立腺がんはすぐそばにある精嚢に浸潤することが多く、このため、早期がんで手術を行う場合は、前立腺と一緒に精嚢も
全摘出されます。
前立腺がんはまた、直腸や膀胱への浸潤も多く見られます。
このような周りの臓器への転移は、CTやMRIなどの画像検査によって確認されます。

転移

さらに、がんが血液やリンパ液によって運ばれて前立腺から離れたところへ移動し、そこで増殖することもあります。
これを「転移」といい、この段階のがんを「転移がん」と呼びます。
「転移がん」はTNM分類のN1(所属リンパ節への転移)やM1(所属リンパ節以外への転移)で表されます。
手術・放射線治療による根治は難しくなり、治療はがんの進行を抑えることが目的になります。

別の臓器に転移しても、転移がんは元のがんの性質を持っています。
前立腺がんが膀胱や直腸に転移してもそれは「膀胱がん」「直腸がん」ではなく、「転移性前立腺がん」です。
そのため、治療も前立腺がんに対するものと同じ方法で行われます。

がんによって転移しやすい臓器は異なっています。前立腺がんに多く見られるのは、骨や骨盤リンパ節への転移です。
他のがんの多くは末期になってから骨に転移することが多いのですが、前立腺がんは比較的早期に骨に転移することがあります。

骨転移

前立腺がんの転移の中で最も多く、8割以上を占めるのが、背骨や肋骨、骨盤などの骨への転移です。
そのため、前立腺がんで転移が疑われる場合は必ず、骨シンチグラフィという検査を行います。
これは、骨にできたがんに集まる性質を持つ弱い放射性物質を静脈に注射し、特殊なカメラで撮影して画像にするもので、全身
の骨の様子を見ることができます。
骨に転移すると、痛みや麻痺が出たり、骨折しやすくなったりするため、それらの症状を抑える治療が行われます。


私の前立腺がんは全身骨格に転移した悪性の癌で2年以内に80%の患者が亡く成るとの説明でした。


リンパ節転移

前立腺がんで骨転移の次に多く、約4割を占めるのが、リンパ節転移です。とくに、骨盤の中の前立腺の周りのリンパ節に多く見られます。
リンパ節転移を調べるには、主にCT検査を行います。
ホルモン療法で進行を抑える治療が行われます。

再発

浸潤や転移が見られず、がんが前立腺の中にとどまっていると診断された場合は、手術や放射線治療によってがんを取り除き
(あるいは死滅させて)、完治を目指します。
しかし、すべて除去したと思っても、検査や肉眼では分からない小さながんが残っていたり、転移していたけれども小さくて
発見されなかったがんがあったりすると、これが治療後に成長して再度発見されることがあります。
これをがんの再発といいます。

前立腺がんでは再発の状態を2種類に分類しています。
治療後に定期的に測定しているPSA値が上昇することで確認される「生化学的再発(PSA再発)」と、治療経過中の画像検査や
触診で新たにがんが発見される「臨床的再発」です。

手術療法の場合、治療後にPSA値は0.1ng/mL未満に下がりますが、再発があればこの値がだんだん上がっていきます。
0.2ng/mLを超えたらPSA再発と認められ、再び治療が開始されます。
放射線療法の場合は、治療後ゆっくりPSA値が下がっていきますが、下がりきったところからまた上がり始めたら再発が疑われ、
最も低かった値から2.0ng/mL以上上がれば、PSA再発と認められます。

再発した場合の治療は、最初に手術療法を行ったか放射線療法を行ったかによって、選択肢が変わります。


再燃

前立腺がんは、ホルモン療法に奏効することがよく知られています。
年齢や身体の状況により、根治治療の代わりに用いられますが、約半数の人が数年の経過で当初良く反応していたホルモン療法に反応
しなくなり、これを再燃といいます。
当初から十分に反応しないものは不応癌といいます。

ホルモン療法のPSA再燃は、4週間以上あけて測定したPSA値が最低値より25%以上かつ2ng/mL以上上昇した場合に判定されます。
ホルモン療法によって去勢状態(テストステロン値が50ng/dL未満)であるにも関わらず、再燃してきた前立腺がんを去勢抵抗性
前立腺がんといいます。

◆astellas 明日を変えられる
 患者さんご家族の皆さま  
 なるほど病気ガイドサイトから抜粋


TNM分類とは

がんを分類する方法にTNM分類というのがあります。
「がんの進行度を分類する方法」といえるでしょう。
よく使われるがんの「ステージ分類」に関係していますが、専門家は別として、このTNM分類自体が一般の方々には知られて
いないので、調べて紹介します。

TNM分類の基本

この分類自体は、国際対がん連合(UICC)が提案しているもので、専門家の間では広く使われています。
TNMの3文字は以下の内容を意味します。

 T  "tumor"つまり腫瘍(固まり)で、T0の腫瘍なし(固まりを作っていない)レベルから、がんの大きさと浸潤(*)の
     程度によりT1~T4に分けます。どう分けるかは、各臓器別に決まっています。

 N  "lymph nodes" つまりリンパ節で、N0のリンパ節転移なしから、リンパ節転移の程度によりN1~N4に分けます。
     数が増すほど遠いリンパ節に転移していることを示しますが、正確には各臓器別に分類します。

 M  "metastasis"つまり遠隔転移で、M0の遠隔転移なしとM1は遠隔転移ありの2種類で、このパラメーターはM2以降の数や
     臓器別の分類はありません。

なお、TNMの数値に"X"という付値をつける場合があり、この文字は「分類しない」あるいは「分類不能」を指します。
たとえば、"NX"は「リンパ節転移の有無が不明」を意味します。

*浸潤= がん細胞が周辺の細胞にしみこむように広がっていく TNM分類は臓器ごとに当てはめられる もう1つ、この分類には
 臨床分類と病理分類があり、前者は治療開始前、後者は手術などで情報がそろった段階で適用します。
 臨床分類の場合は文字の前に"c"をつけて"cT"とか"cN"と書き、病理分類は文字の前に"p"をつけて"pT"とか"pN"と書きます。
 "c"は"clinical(臨床的)"、"p"は"pathological(病理学的)"の略号です。

また、分類は時間経過で変化して当然ですが、1度分類したらそれをさかのぼって変更することは許されません。

ここまでみる限り、それなりに明快ですが、不思議なことに、このTNM分類の総論的な解説があまり載っていません。

ここにお示ししたのは、「がんの進行度分類について」と「医学生のレポートやっつけサイト」という2つのサイトから抽出してと
成って降りました。

◆TNM分類の意味
 臓器ごとに癌の進行度を示す
 合理的分類法
 がんと生きるすべての人を応援します 
 がんサポートサイトから抜粋


がんの転移と再発の検査は

PSA検査

PSA検査は、前立腺がんを診断するだけでなく、治療経過観察中の再燃・再発を見つける上でとても有効な検査です。
PSAは前立腺がんの腫瘍マーカー(がんの発現に関連を持つと考えられている生体内のタンパク質)としても重要な働きをします。

PSAとは

PSAとは、英語のprostate specific antigen= 前立腺特異抗原の略で、主として前立腺から精液中に分泌されるタンパク質の一種です。
射精後の精液の液状化に関係し、受精に欠かせないものといわれています。

一部は血液の中にも流れ出ていて、健康な人のPSAはおおよそ2ng/mL以下です。
加齢にともなう前立腺の肥大や炎症により増えることがあり、一般的に4ng/mL以下が標準値とされています。
しかし、前立腺に異常があると血液中に大量に放出されて濃度が高くなります。
他の臓器の異常では数値は変わらず、前立腺の異常にのみ反応することから、前立腺に特異的な抗原といわれています。
前立腺がんでも数値に反応が出やすいことから、前立腺がんの腫瘍マーカーとして使われるようになりました。


PSA値が上がる他の要因

PSA値は前立腺がんの可能性をチェックする上でかなり精度の高いマーカーですが、あくまでも「前立腺がんの疑いがある」という指標であり、
それだけで「がんである」と断定することはできません。PSAは次の場合にも高くなることがあります。

前立腺肥大症

前立腺に良性の腫瘍ができ、前立腺が大きくなる病気です。
大きくなるにしたがってPSA値も上昇します。


前立腺の炎症

細菌などに感染して、前立腺に急性・慢性の炎症が起きている場合も、PSA値は上がります。


外部からの刺激

針生検や手術などの治療で前立腺が傷つけられた時、尿道に器具を入れて検査をしたり導尿をしたりした時、直腸診などで前立腺に力を加えた時など、
外からの刺激を受けた時も、PSA値は上がります。


射精

射精をしたときも、PSA値は上がることがあります。

PSA値と前立腺がんが見つかる確率

PSA値は、高くなればなるほど前立腺がんの見つかる確率が高くなります。
また、前立腺がんが進行している度合いも高くなります。
前立腺がんが見つかる確率は、表のように考えられています。

PSA値と前立腺がんが見つかる確率の表です
4~10ng/mL未満は前立腺がんが発見される確率は25~30%ですが、「まだ前立腺がんではない」とするものではなく、危険域にあると考えるべきです。
もし前立腺がんが存在するならば、10ng/mL未満のうちに治療を開始した方が完治する可能性が高くなります。

※確定診断には、顕微鏡でがん細胞の有無を調べるため、細胞をとる生検を必要とします。
生検を行うかどうかを医師と相談してください。

生検を実施するか否かを決定するにあたって、参考にされる指標として次のものがあります。


PSA密度(PSAD)

PSA値を前立腺の容積で割ったものです。
PSA密度が低い場合、前立腺がんではなく前立腺肥大症の可能性を考える場合があります。

F/T比

PSAの中には、タンパク質と結合したPSAと、結合していない遊離PSAがあります。
F/T比とは、総PSAにある遊離PSAの割合を示すものです。
F/T比が低いほど前立腺がんの可能性が高いと考えられます。


PSA速度

PSAを時間を空けて測定したときの値の上昇の速さです。
検査値が速く上昇している場合はがんの可能性が高いと考えられます。

年齢階層別PSA

PSA値は加齢によって上昇します。年齢階層別PSAとは、年齢毎にPSAの基準値を定めたものです。
50~64歳は3.0ng/mL以下、65~69歳では3.5ng/mL以下、70歳以上は4.0ng/mL以下が正常値として推奨されています。

生検を行った結果、がんが見つからなかった場合でも、その後は定期的にPSA検査を行って経過を見る必要があります。
PSA値は、1回の数値ではなく、連続的な変化としてとらえることが大切です。


◆astellas 明日を変えられる
 患者さんご家族の皆さま  
 なるほど病気ガイドサイトから抜粋

フィリピン田舎暮らし・・・新年明けましておめでとうございます。

2018年01月08日 10時17分02秒 | 日記
我がブログお出で下さる皆様へ

新年明けましておめでとうございます。

皆様の2018年は素晴らしい素敵な一年が遣って来る事を我がブログからお祈り申し上げます。

私は、昨年は不覚にも体調を崩しフィリピン・日本と病院に掛かりましたがステージ4の癌末期を言い渡されて仕舞いました。

私は60の声を聴くと同時に我儘を通し単独で次の生き方をとフィリピンに単独で移住しました。

人にはそれぞれの生き方が有りますが一通りの人生を歩んで来ると健康な肉体も時と共に老いて仕舞うのかなぁーと納得する次第です。

元気で毎日を過ごして来た私にも先が見えた途端に可愛がって居た愛犬2頭が先に逝って仕舞いました。
本当にショックで此処までの人生は一体何だろうと思い知らされた最悪の年でした。


私の2018年はこんな気持ちが踏ん切れずに迎えたた年です。
フィリピンのど田舎なので目新しい事も無く昨年から続く雨季の雨模様の元旦を迎えました。


クリスマスの日に採れたジャックフルーツです。
今の時期の実りは希少で果物やでも手に入りません。
マニラでも近頃は希少で高価な果物に成って居ます。


シーズンオフのジャックフルーツですが何とか実は熟して居ました。
シーズンに採れるジャックフルーツとの差は甘みが少し落ちる程度です。


12月30日に採れたジャックフルーツです。

ただ、こんな私の新年なんですが庭に育ったジャックフルーが昨年の年末に2個そして年明けの4日と6日にそれぞれ大きな実の収穫が
有りました。

落ち込む事ばかりでは有りませんね。


2018年新年早々に採れたジャックフルーツです。
昨年の暮れから幾つも採れても我が家ではほんの少し残し後は全て身内に上げて仕舞います。
ただ、上げてもフィリピン人ですから日本人の様には有り難さが判ってくれません。


体力の落ちた老いぼれが重い実を木からもぎ取り(切り落とし)収穫するので本当に辛ですね。
このジャックフルーツ1個は妻の姉にそっくり上げて仕舞いました。


連れ合いのP妻も新年早々の5日に45歳の誕生日を迎えました。


妻が45歳の誕生日に自ら造ったフィリピン料理です。
普段は何もしない妻ですが自分の誕生日と成ると動くのですね。


2018年に成って2個目のジャックフルーツの収穫です。
こんな我が裏庭の角に育ったジャックフルーツの木からです。


大きさはこんな感じで10kgは軽く超える重さです。


これが私の最後のジャックフルーツの採りいれに成るかも知れません。
2010年頃から台風で木が折られ数年 毎年200kgを超えるジャックフルーツの収穫が出来ました。
私が種を2008年に整地した土地に塀に沿って埋めた木がその後の我が家のジャックフルーツとして実りを約束してくれました。


こんな蛮刀も我が庭の樹木の管理で4~5本揃えました。

最後に2018年は遣って来るだろう末期の癌症状・・・・動けなく成る事を想定してキーボードの台を利用してベット脇にこんなテーブル
を造って見ました。
フィリピンの暮らしでは何事も自ら動けないと先には進みません。


キーボード台を利用してでこんなテーブルを造りベットの脇にセットしました。


頼りに成らないフィリピン人の横着な性格とプライドが邪魔して教えても遣らない・出来ない・しないの一言に終わります。
私が15年 彼らと接して食べる以外使い者に成らない事を経験しました。
今はそんな彼らの地で余生を終える私ですが此れも何かの宿命なんですね。


我が人生何時なんどきに幕を下ろすか判りませんが癌との闘いがフィリピン田舎暮らしの最後の生き方と思って居ます。






フィリピン田舎暮らし・皆さん2017年は有難うございました。

2017年12月29日 10時34分46秒 | 日記
我がブログにお出で下さる皆様へ

2017年は残す処 2日ばかりに成りました。

色々と有った年でした。

我がブログをお出で頂き本当に有難うございました。

そんな日々を綴る我がブログですがフィリピン暮らしも14年が過ぎ去ろうとしています。




2015年にはこんな可愛い子犬達の飼育での触れ合いが有りました。

楽しい事や辛い事も沢山有ったフィリピン田舎暮らし日本では出来ない事を経験や実践をした14年間
でした。











残す我が余生も先が見えて仕舞いました。

新しい年も病との闘いに成りますが何とか頑張れる内はブログを続ける心算です。

どうか皆さんも健康に留意し新しい年をお迎え下さい。

本年も沢山のコメントを頂き誠に有難うございました。

遣ってられねぇーフィリピン田舎暮らし(そろそろIKUZOo爺さんは)

2017年12月17日 08時09分43秒 | 日記
病は気から何て言葉が有りますが

いざ我が身に降りかかると何とも・・・・・どー向き合ったらと考えて仕舞います。

私の場合は今年の4月に首筋の痛みを覚え血圧を計ったら160近く 普段はこれっと言った高血圧の症状は無く健康だと毎日を過ごしてました。

そんな訳で何か有っても困ると思い行きつけの病院に行き医者に見て貰いました。医者も血圧が少し高いなぁーと言う程度で血圧の薬を簡単に出してくれました。

それが大間違いその後の体調を崩す原因となり薬を飲み初めてから3か月位経った頃から拒食状態に陥り食欲が無く成り体重も13kgも落ちて仕舞いました。

再度、病院に掛かり始め血液・尿・心電図・レントゲン・エコーなどの検査で前立腺肥大が見つかりこれが体調を崩した原因かと思い医者に任せたら前立腺肥大の手術を受ける羽目に成りました。

此処で・・・・・・・フィリピンの病院に掛かると日本人だと分かると日本の病院で見て貰った方がと必ず進められます。
可笑しいことですが・・・・・・・・同じ医学ならと思いますが。(笑)

でも、フィリピンに長く永住していますと本当に最悪ではない限り掛かりつけの病院で見て貰って仕舞います。


我が住まいの前の道路は拡幅され綺麗な道路に成って居ます。


2009年に数度の川の氾濫で土地を駄目にしましたが2008年3月に埋め立て工事を遣り2009年にはこんな形で土地に家を建てました。
屋根から撮った前庭の様子です。

今回は、そんな私の考えが甘かったのかその後半年も病院にご厄介に成って仕舞いました。

此処で・・・・・フィリピンの医療体制は日本の様に国民健康保険などの制度も無く僅かに医療費の割引が利くPlil Health:Philippine Health Insurance CorprationやSenior Citizcn高齢者割引などがバックアップとして有ります。

但し、Plil Healthは毎月一定の支払いが有りSenior Citizcnは役所に申請して60歳から割引が可能と成ります。

私は今回のフィリピンの病院でこれ等の割引制度を利用しても病院への掛かった費用は現金の支払いで150.000ペソ(日本円で換算約34万円)も掛かりました。
その他は薬代が50.000ペソ(日本円で約11万円)も使って居ます。

此処まで使って体調は良く成らず日本に住む友人の世話に成り一時帰国をして済生会横浜市東部病院で精密検査や前立腺癌の侵攻を抑制する睾丸除去手術をして来ました。

この病院の精密検査のお蔭でフィリピンでは曖昧だった前立腺癌もハッキリ判り
尚且つ、悪性の癌が全身骨格に転移し末期癌のステージ4を主治医から告知されました。

此処で、私の告知されたステージ4の前立腺癌+全身骨格に癌転移は主治医に聞いた処2年以内に80%の人が亡くなって仕舞うと説明が有りました。

癌と言われても色んな症状や侵攻具合が有り人それぞれで判断が難しい事なんですが私の場合はフィリピン田舎暮らし何時死んでもと開きなぉって毎日を送って居ます。
私の歳は1943年生まれの74歳の現在 高血圧の薬の副作用で13kgも体重を減らし3か月もベットに横に成った身なんですね。



2008年に土地の埋め立て工事が終わりその年に植えたバナナが2010年にこんな形で収穫出来ました。


パパイアも種を埋めこんな形で大きな実が育ちました。
パパイアは食べたパパイアの種を埋めれば2年位で実の収穫が出来ます。


パイナップルも食べたパイナップルの蔕を植えこんな形で収穫出来ました。
何事チャレンジすると後で楽しみが戻って来ますね。

そんな訳で病は気から何て言いますが何処まで生きられるかが癌との闘いに成りました。

薬は日本から3か月分を持って帰りましたが癌の薬(ピカルタミド錠80mg)も無く成ればフィリピンでは1錠(316ペソ/日本円で約700円)を
毎日1錠の服用しなくてはなりません。
日本円で1か月/21.000円も薬代として出て行きます。
お金が続かなく成ったり癌の侵攻が防げなく成った時の予防として庭に植えて居るグヤバノの葉っぱを煎じて飲んで居ます。
遣ってられねぇーフィリピン田舎暮らし、
年金暮らしの我が身も人生の終着駅が真近に近づいた結果なんですね。(笑)


2012年には2004年に買ったバイクにサイドカーを取り付け買い物車として復活させました。


2013年には庭のアッチコッチに育たジャックフルーツからこんな大きな実(27kg)を収穫出来ました。
2010年頃から2015年の台風で被害に遭うまで毎年200kgを超えるジャックフルーツの美を収穫出来ました。


庭には遊び感覚で2010年からこんな感じの掘っ建て小屋を建てて楽しみました。
掘っ建て小屋は2017年の現在も2015年に買った掘っ建て小屋を維持してます。


2013年当時の庭はこんなに緑に覆われた庭に成って居ます。


2013年当時のジャックフルーツの収穫の様子です。


我が敷地からはこんな姿のマヨンボルケーノ活火山が良く観えます。


庭も今では正門から母屋までこんな道に直し雨の日も車の出入りがスムーズに出来る様に致しました。


現在の前庭の様子で正門から母屋を見た感じはこんな風景に成ります。
敷地は1.200㎡で70を超えた今の体では庭の手入れが出来なく成って仕舞いました。



如何でしょうか・・・・・色々な事が有りましたが時の流れの10年はこんな形で去って行きました。



愛犬も私がベットで寝たきりの時に3歳のロットワイラー1頭と私が日本から帰って来るのを待ってたかの様に11月末には私のホディカードとして9年間付き合ってくれた賢いロットワイラーメス犬亡くして仕舞いました。
心の葛藤も有りますが世の中って上手くは廻ってくれませんね人それぞれの人生は必ず終わりが有る事を愛犬の死や自らの癌の患いそして白内障も進み何かさき見えた感じです。


ありひ日の我が愛犬ドーベルマンの子犬達と。


こんな想い出も有りました。・・・・・猛犬も小さい時から躾けが大事です。私の言う事を教えて居ます。

今はフィリピン・6ロットを当て最後の花を咲かせる夢を追ってます。

フィリピン田舎暮らし・・・・俺のキントン料理も定番です。

2017年12月08日 08時21分40秒 | 日記
我がブログにお出で下さる皆様 お久し振りです。

日本に一時帰国し病院で検査の結果末期癌の宣告を受け何とかフィリピンに戻り2か月が過ぎました。

病院では癌の侵攻を遅くするために男のシンボルならぬ睾丸除去手術もして来ました。


他のブログでは睾丸を除去したらオカマに成るのではと言う記事のブログも良く見かけますが私の場合はその様な体調の
変化は起きて居ません。(笑)

まぁー歳も年・・・・・老いぼれがオカマになったら世間がどー見るのか見たい感じが有りましたが・・・・(爆)

でも、余命は見えた今では毎日が元気に動ければと動き廻って居ます。


ただ、全身骨格に癌が転移した身…医者からは無理は禁物と言われ不安な毎日は送って居ます。

そんな中で無理は出来ない身・・何か遣る事をと思い今日はさつま芋のキントンを造って見ました。

フィリピン田舎暮らし日本惣菜が手に入らないので自分の出来る料理で何とかしています。



小ぶりのサツマイモを蒸かして使いました。


日本から持ち込んだすり鉢です。
フィリピンでは手に入りません。


すり鉢ですり終わったさつま芋です。


砂糖を入れて少し煮込んで出来上がりです。

日本への一時帰国は久し振りに食べた吉野家の朝食メニュー 納豆・明太子定食が最高の食べ物に成りました。

フィリピン人の妻やツーリストビザで連れて行ったPの男友達は鳥貴族(居酒屋)の料理が一番気に入った感じでした。
何も大した料理の無いフィリピン田舎暮らしでは粗食に耐える毎日が此処には有ります。

残り少なく成った命・・・日本から買って来た日清のシーフードカップラーメン・ペヤングの焼きそばが命を繋ぐ食べ物
に成って居ます。

今日の我が家の料理は・・・こんな物です。


写真はフィリピン料理の定番のモンゴスープ(Monggo soup) 緑豆のスープです。
緑豆はもやしの原料ですから滋養があり簡単に出来る庶民の料理です。

フィリピン田舎暮らし・・・・我が家をお譲りします。(価格相談)

2017年11月12日 08時32分37秒 | 日記






私のフィリピン暮らしは今年で14年目が過ぎました。
長い様で短いそんな人生でした。
此れと言った病気をせずに此処まで来られましたが。

不覚にも今年の4月に体調を崩しフィリピンの病院で前立腺肥大の手術を受けました。
しかしその後の体調が思わしく無く9月に友人の勧めにより日本の病院で見て貰った処、前立腺癌のステージ4を言い渡され

最後の人生とフィリピンに戻った来ました。

私のフィリピン暮らしは今の家を2009年に建て南国の果物や花と愛犬に囲まれた楽しい人生でしたが大きな家と広い庭は今
と成ってはお荷物で妻に引き継いでも身内を含め任せても無理と判り私が元気な内に売却を決めました。

我が家は庭から観る日本の富士山に似たマヨンそして自然に囲まれた環境など都会では味わう事の無い息抜きが出来ます。





徒歩で行ける海も近くに有り本当にのどかな生活が送れます。
車で30分ほど行った処にはLEGAZPI空港も有りマニラやCEBUに行くのも便利な住まいの地です。

敷地はハイウエーに面した1.200平方メートルでジャックフルーツ・マンゴや
パイナップル・パパイアなどが実るそんな庭で母屋は屋根下140平方メートルの広い家です。

テラスも広くプールを配したそんな家です。
自然災害からも守りも考慮して建築しています。



















売却物件 Address Malilipot Albay州 Philippines
建築 2009年10月
鉄筋コンクリート
敷地面積 1.200平方メートル

家屋 屋根下140平方メートル 寝室・居間・リビングダイニング・メードルーム
シャワートイレ 2か所(水洗トイレ)
庭施設 KUBO及びスイミングプール・物置小屋


如何でしょうか・・・・売却金額は相談で決めさせて頂きますが法的書類も問題有りません。

詳しくはEメール ma_mamaya@yahoo.co.jp又はfacebook popci(今清)のコメント
メッセージ・Skype ma_mamayaでご連絡宜しくお願い申し上げます。


遣れねえーフィリピン田舎暮らし(kuboは風雨との闘いだ)

2017年10月30日 08時58分25秒 | 日記
Kubo・・・・・タガログ語では小屋と言う意味なんですが

南国では日中の暑さ避けや夕涼みの場所として庭の一角にはkuboが建っています。

我が家のkuboは埋め立てて間もない2010年に母屋から15m程離れた表庭に最初に掘っ建て小屋を建てました。

ルソン島の南部の当地は台風と雨の多いビーコル地方として名が通っています。

そんな自然環境の厳しい処のkuboの維持は結構大変なんですね。

今回はそんな我が家のkuboの移り変わりを取り上げて見ました。




2010年8月に道路に面した前庭にkubo(掘っ建て小屋)を建て始める。
庭に穴を掘って小屋の柱を立てる穴掘りから始める。

オーナーの指示をしっかりと伝えないといい加減な彼ら流のkuboを建てられて仕舞う。


私の指示通りに穴を掘り丸太の柱を立てる。
この頃で直径10cmを超す丸太が3.5mで日本円で200円位でした。


屋根を載せる角材はヤシの木の角材でツーバイ4(4cm×4cm×3.5m)程で一本100円位でした。


こんな形でヤシの木の角材で屋根の骨身を造りました。
その上にバラと言う竹を割った竹を均等に張って行きました。
後でヤシの葉を載せ止めて行く為です。


こんな形で保々屋根の骨組みは完成です。
此処までの作業は3人で半日チョットの作業で出来ます。


屋根葺き用のテクラッドと言う材料でヤシの葉に似た葉です。
作業は簡単ですが風雨には長持ちせずに1年も経たないで屋根の葺き直しに成りました。


こんな感じで作業人3人で2日間で出来上がりました。
費用は工事人の日当を含め日本円で2万円以下で出来ました。


床もセメントで仕上げて行きました。


こんな感じの内部の仕上がりです。


2010年8月に完成した我が家の最初のkuboです。
母屋から離れて居るので庭の作業時の臨時休憩所と暑さ避けの小屋に成りました。




2011年の11月に第1回目の屋根の吹き替え工事を致しました。
今回はヤシの葉に似たアナハウと言う材料を使いました。
このアナハウと言う材料は最初に屋根を葺いたテクラッドより長持ちし約2~3年位持つとの事でした。
アナハウは一束50枚程で日本円で100円程で我がkuboの屋根は2000枚近く用意しました。


こんな感じでアナハウで屋根を葺いて行きました。
アナハウは太いナイロン糸で屋根に這わした竹に止めて行きます。











外側から見るとこんな感じで屋根を葺いて行きました。
屋根を仕上げるのにベテランの工事人で2日程度で仕上げられました。


屋根裏の仕上がりは造形美に満ちたこんな感じの仕上がりです。





屋根が強風で飛ばされない様にネットを屋根の上から被せ仕上がりです。
こんな感じのkuboを建ててから2年目の様子です。


2013年6月~7月に掛けて2回目の屋根葺きと屋根下の改装を実施しました。


kuboの廻りを囲った竹囲いを撤去してブロッグ積みのPタイル仕上げを遣りました。


こんな感じの作業です。


Pタイル仕上げのkuboの屋根下はこんな感じに仕上がりました。


外からの感じはこんな感覚に成りました。



屋根下の改装が終わったので屋根の吹き替え工事に着手しました。


毎度の事ですが古く成ったアナハウを屋根から取り外しに時間が掛かります。
勿論、アナハウを太いナイロン糸で屋根の竹材に止めて居ますからナイロン糸を切って撤去ですから時間が掛かります。


アナハウを撤去した屋根はこんな感じです。





新しくアナハウを屋根葺き竹材に止めて行きます。







こんな感じにアナハウ葺きの屋根はは仕上がって行きました。


2013年7月に屋根葺きの仕上がったkuboの様子です。



2015年7月に当地を襲った台風で見事に倒されたkuboです。
丸太は矢張り南国の風土では5年チョットで駄目に成りました。
勿論、丸太を食い荒らすシロアリに遣られた感じですね。


綺麗に屋根を撤去しkuboが建ってた感じはこんな感じなんですね、


直ぐに今度は出来合いの竹で作ったkuboを購入しました。
フィリピン・ベソで16.000ベソで日本円が100円が45ペソとすると日本円で約35.500円位です。
結構、出来上がりは重たく大人6~7人位で運び入れました。


屋根下はこんな綺麗な仕上がりに成っています。


テーブルもこんな竹でセットして有りました。


2015年7月に新しく成ったkuboです。
前の丸太で建てたkuboより此方の方がメンテでは安く成りますね。




2017年10月の現在のkuboの様子です。
メンテでラッカーを塗りをしました。


現在の我が家のkubo何度も台風に遭っても2015年に購入したkuboはこんな感じに自然の猛威から何とか
持ち応え現在に
至ってます。
我が老いた体はこんなkuboとの毎日が有ります。