愛しのロニー/My Dearest Ronnie

LONG LIVE RONNIE JAMES DIO。永遠にあなたを愛しています。

トニー・アイオミはなぜガン宣告を受けてもROCKすることを辞めなかったのか 

2015年01月15日 20時24分36秒 | BLACK SABBATH

1月7日にミラーにインタビューが掲載されました。

http://www.mirror.co.uk/lifestyle/health/black-sabbaths-tony-iommi-cancer-4937618

たちと共に新しいアルバムの制作を開始したのは、彼が血液のガン、リンパ腫であると診断された2012年1月のことだった。だが彼は体力を消耗する厳しい治療を受けることになっても、自身の活動を停止しないことを決心していた。
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医者にガンだ、と告げられた時、俺は「それならもうおしまいだ」と思ったんだ。
俺の知る限り、ガンは死だった。ニューヨークで自分の本の宣伝をしているときに、鼠径部にできた腫れ物が痛むことに気がついた。俺は前立腺がまた再発したと思ったんだが、オジーに検査を受けるべきだと言われてね。
イングランドに帰ってから前立腺の手術を受けた。それは無痛の処置だったんだが、その後でカテーテルを入れる必要があった。それで外科医の診察を受けたときのことだった。
「前立腺については朗報があります。通常の大きさまで切断することができて、経過は順調です。
ですが取り出した腫れ物を調べた所、濾胞性リンパ腫が見つかりました。非ホジキンリンパ腫です」

それからガンが広がっていないか検査をしたが、転移はなかった。でも俺はまだ前立腺の術後の経過に苦しんでいた。抗生剤や他の薬で身体も相当やられていたし、本当に体力も落ちて疲弊していたんだ。

バンドは最新アルバム「13」の制作に取り掛かったばかりだったから、俺はメンバーを集めてこの悪い知らせを伝えたんだ。オジーが言った。「ああ、そうかい。それでその病気で死に損なったのか?」それは俺が一番聴きたくない言葉だった。"まったく、能天気野郎だ"でもそれがオジーで、奴はいつもそういう発言をするんだ。
アルバム制作に取り組んでいることで、ただ黙って死ぬのを待っているんじゃなく、集中する対象ができて救いになった。幾日か参加できる日があるかと思うと、ひどく具合が悪くなる日がある。でもみんなはそういうもんだと分かってくれた。
オジーには本当に助けられた。この病気を経験したことのある人間が傍にいてくれて良かったよ。誰だってガンと聞けば最悪のことを考えて怖れてしまうだろう。
オジーは、シャロンが結腸ガンになってリンパ節にも転移したときに、そうした経験をしていたんだ。
俺が疲れてしまったときには、彼は、「シャロンもそうだったよ。少し横になって休んだらいい」と言ってくれた。
彼はお茶を入れると言ってくれたことさえあったんだ。でも奴はしょせんオジーだからね。3時間姿をくらました化と思ったら、何も持たずに戻ってきたよ。「お茶はどこだい?」と聞くと、「ああ、忘れてた」って。


前立腺の術後の経過を乗り切ると、化学療法が始まった。3週に一回、6クールの化学療法が必要だった。一回の投与に6,7時間かかるんだ。俺はスタジオも含めて、全部の生活スタイルを変えることを迫られた。今回の様子が、以前と比べてまるで違うと言って俺たちは笑ったよ。昔はそこら中にコカインがあったんだ。
なのに今回は紅茶やコーヒー、それに妻のマリアが用意してくれた健康ドリンクを飲んでいた。食事も変える必要があったからね。ありがたいことに赤ワインはまだ許可されていたけど。
そんな些細な楽しみをできるだけたくさん持っておこうと決めたんだ。
俺はまだ友人たちと夕食に出かけることもできるしね。Jasper CarrottやELOのドラマーのBev Bevanとも行ったよ。ただ最近は少しだけ早い時間にしてくれるように頼まなくちゃならないけどね。晩の7時に飯を食うなんて誰も慣れちゃいないけど、俺は遅い時間に夕食を採って夜中の2時まで飲み歩く体力はないんだ。早い時間に床に就かないといけないし。ちっともロックじゃないけど、自分の体のためなのさ。
アルバムをリリースした後、俺たちはツアーに出て28ヵ国で81回のライブをやった。本当に楽しかったけど、しんどかったよ。
病気になってから、本当に疲労が激しくてね。6週毎に治療を受けにバーミンガム市外のソリフルにあるパークウェイ病院に戻らないといけなかった。
そこでは点滴に繋がれて、ガン細胞を覆ったり、広がるのを防いだりする抗生剤を打たれていたんだ。
その後はバンドに戻るまで体力回復のために2,3週間は家にいなくちゃならなかった。バンドは俺の治療期間をはさんでツアーをせざるを得なかったんだ。
だから移動が本当に多かった。フライトが多かったせいで血球に悪影響が出ているんだ。
ホテルに着く頃には、不安や震えといったこれまでに経験したことのない症状が出るようになった。自分が治るのかどうか心配し始めるのが最悪だった。
ツアーが終わった後、体力が回復するまでに2ヶ月がかかった。医者は言ったよ「何を考えているんだ?こんなに無理ばかりして体に負担をかけて」ってね。


夏を越してようやく抗生剤による治療が終わった。今は体力が戻ってきて体調も良くなってきたけど、治療の効果があったかどうかはまだ分からない。俺は前立腺とリンパ節で同時に2つの治療を受けたし、去年はあまりにも多くの精密検査をして放射線も浴びすぎたからね。だからもうこれ以上の検査はできないんだ。毎日、こぶや塊ができてないかと手でさぐってみてるよ。胃に痛みを感じる度に、「まさか、ガンか」と思うんだ。恐ろしいね。夢まで見たよ。
でも今ではそれにも慣れてきた。外科医は、ガンは消えないもんだって言うんだ。再発しない確率は30%だそうだけど、再発する可能性の方がずっと高いし、それがいつでもおかしくない。
今は違う視点で人生を見つめているよ。あと10年生きていられるかもしれないし、たった1日かもしれないってね。
時々はもっと穏やかな人生を送るべきなんじゃないかと思うこともある。そんな時でも思うんだ、「病気に乗っ取られたくない」って。つまるところ、俺は今ある人生を楽しんでいるのさ。
コヴェントリー大学で名誉博士号を授与されて、特別講師を務めたりもしたんだ。
もしもこれが数年前だったら、そんな申し出は退けていただろうね。でも色々なことを経験して学んできたから、そういう体験もいいなと思ったんだ。学生たちもみんなファンだし、彼らと過ごす時間が大好きだよ。ここまでの人生を振り返ってみると、これで充分御の字だなと思うんだ。
 
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ここには書かれていませんが、ガンというだけで彼の中ではロニーがダブって見えたでしょうね。
そしてロニーがどんな心境で闘病していたか、ということも考えてしまいます。
あの頃は壮絶な闘病生活の中で、ツアーの日程が更新され続けていましたね。


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