愛しのロニー/My Dearest Ronnie

LONG LIVE RONNIE JAMES DIO。永遠にあなたを愛しています。

2003年ロニーインタビュー(4) ルーツについて

2010年03月08日 13時57分52秒 | RJD INTERVIEW
しば~らく更新をさぼっておりました。
ロニーの病状についても、先回お伝えした通り、ウェンディとロニーが忙しく慌ただしくしているしているため、
何度も更新はされませんので、進捗は入ってきません。
一か月に一度、ということなので今月はそろそろ来ますかねえ。
ウェンディが倒れてしまっては、大変なことになるので、疲労している彼女に頻繁な更新は私も望みません。
治療が順調な限りは。
ロニーの味覚はまだメタルなのかな。ちゃんと食べているといいな。
てなわけで、久々にロニーインタビュー行ってみましょう。
前回(どれ?)からの続きですが、ロニーが自ら自分の音楽のルーツについて語ってくれています。



KNAC.COM: あなたはイタリア系アメリカ人一世ですよね?
DIO: そうだ。でも二世だよ。両親はアメリカで生まれたからね。
KNAC.COM: そのことでどのくらいの影響がありましたか?
DIO: 大きいよ。計り知れないくらいね・・・。
KNAC.COM: あなたはトランペット奏者で、のちにロックバンドに転向しましたね。今と随分時代が違っていましたが・・・あなたのヒーローは誰でしたか?
DIO: 俺の時代には、今みたいなロックはもちろんなかったよ。こんなにヘヴィじゃなかった。ギターはディストーションをかけたりしなかったしね。ディストーションをかけるには、ただアンプから真空管を引き抜けば、”ガーー”っていう音を出せたけど、そんなことをすればもちろん他の全部の真空管も焼けてアンプは飛んでしまう・・・。俺たちは出したい音が分かっていたけど、当時の音楽は今みたいなヘヴィなものじゃなかったから、やらなかったんだ。
でも俺が子供の頃に聴いた最初の音楽は、祖父と祖母がいつも聴いていたオペラだった。俺のヒーローはマリオ・ランツァっていう歌手だった。俺は彼が大好きで、彼が歌うのを聴くと、「ワオ!なんてすごいんだ」って思ってたよ。
俺の父もすごくいい歌い手で、プロじゃなかったけど、素人のレベルなんかじゃなかったんだ。俺は父が歌うのをいつも聴いていて、「わあ!こいつは素晴らしいな」と思っていたよ。
俺はスポーツ選手になりたかった。バスケットボール選手になりたかった。でも見ての通りの具合で、うまくいかなくてね(笑)。
野球選手にもなりたかった。フットボール選手にもね。そういう競技の選手になりたかったのさ。俺にとってスポーツ選手ってのは・・、ほらよくロックアーティストになりたいスポーツ選手とかがいるだろ?それと同じさ。ある夜マイク・ピアッツァがショーを見にやってきて、びっくりだったよ!アルビー・ロペスも来たんだ。俺は出て行って、「サインをもらえませんか?」って言ったんだ。そしたら彼が俺に「なんで俺のサインなんか欲しいんだ?」って。だから俺は「そりゃあ、あなたが俺のヒーローだからさ」と言ったら、もう互いにその応酬になっっちゃってね。「あんたが俺のヒーローだ!」「違う!あんたが俺のヒーローなんだ。サインしてくれ!」・・(笑) こんな風に互いに尊敬しあうような感じなのさ。デイビッド・ウェルはロックファンだし、シド・フェルナンデスが現役の頃はいい友達だったよ。だから俺は彼らを通じて言わば代理で自分の人生を生きているようなところがあるのさ。彼らをテレビで見る--俺はバスケットの試合を見ながら曲を書くんだ。試合には音楽がないからね。俺は、彼らにしか出来ないこと--俺がやりたいことを--をやっているのを見ている・・・つまり目の前で俺のファンタジーを見るわけだ。そうして俺はファンタジーを書くのさ!そういうわけで、彼らは俺を鼓舞してくれるスポーツ選手を尊敬しているんだ。
でもオペラの場合は、歌っているのを聴くと「ワオ!なんて凄いんだ。ワオ!素晴らしい!」って思ったよ。だからいつもその手法を取り入れたいと思っていた。自分の曲を書くことになったとき、ロックにもその要素を取り入れてみたよ。もちろんコピーバンドから始めたわけだけど、最初はみんなそうだろ。それからどうにかして自分の技術を身につけるわけだ。だから俺はガキの頃、R&Bをたくさん歌って、自分で曲を書いたときは、もっとクラシカルなものを書いたよ。なにしろトランペット奏者だったからね。俺はいつもオーケストラ音楽を演奏していたから。当時の俺のヒーローたちはほとんどトランペット奏者で、Stan Kenton's BandからHarry James、Ray Anthonyといった人たちだった。Herb Alpertは嫌いだったね。お前はホルンで一体何をやってるんだ?ホルンを口で吹かずにケツに入れてるんじゃないのか!ってね。一流の奏者だけが好きだった。素晴らしい連中だけがね。
俺が育ったところでは、近所の子供たちもみんな楽器をやってた。みんなイタリア系だった。学校から帰ると、両親が言うんだ。「さあ!これを弾きなさい!あれを吹きなさい!」ってね。みんな何かしらレッスンを受けていたよ。
そういうわけだから、イタリア人てのは何かしら音楽に親和性を持っているんだ。俺の故郷からも大勢の偉大なプレイヤーが生まれていたし、実に最高のプレイヤーばかりだった。だから俺は彼らのようになりたいと思ったのさ・・・。
でも俺はロックを聴いたときに、「これだ!」って思ったんだ。
それでクラシックのアイデアやオペラのアイデアをみんなつぎ込んだんだ。おそらくロックにそうしたものを持ちこんだり、それまで読んできた物語を詞の部分で利用したのは、結構気の利いたやり方だったと思うよ。ほんの子供の頃、俺は書物を貪るように読んだんだ。
今でもそうさ。ウォルター・スコットやエドガー・ライス・バロ-ズ、マーズシリーズのジョン・カーターなんかを読んだよ。バローズが書いたような物語はずっと好きだったし、そういう素晴らしい作品が俺の想像力を鍛えてくれたんだろうね。チャージする騎士団を知ってるかい?誰もそんなもの見たことがないんだから、知らなかったさ。ドラゴンだって誰も見ないだろう。だから俺は自分の心の中で創りだすしかなかったのさ。そして「おお!こいつは凄い!」って自分で思ったんだ。だから曲を書く機会に恵まれた時、俺はそうした自分の人生における想像の産物を全てまとめてつぎこんで、”RONNIE JAMES DIO" - "MISTER FANTASY"を創りだしたんだ。それはまさしく彼そのものだったし、俺が成功してきた理由の一つなんだ。誰でも途中で辞めたり、変えたりするときは、「ああ、この音楽はこれ以上成功しないな・・・。俺たちはこっちの方向でいく方がマシだ!」という具合にするだろ。でも俺は「違う。俺がやりたいのはたった一つだ。これからやっていくのもたった一つだ。だから俺のファンはずっとそこにいてくれるんだ。彼らは俺が横道にそれたりしないのを知っているからね。俺は俺の好きな、そして奴らの好きな一つの道を行く。だから俺たちはずっと一緒にやってきた。こうやって俺は自分の人生を創ってきたのさ。(にっこり)


★★★★★

まさに血と地のなせる技ですかねえ。ロックをやるために生まれてきたイタリア人・・・。
俺は俺の道を行く・・・。Oh that's what I need now!!!


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2 コメント

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おしゃべりなロニー (マーズ・タリス)
2010-03-09 00:18:48
いつも、翻訳ありがとう!
ロニーのルーツ、好きなものがよくわかりますね。オペラ、オーケストラ、ファンタジーそしてロック。こちらもにっこりな感じ。
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ロニーはいつもおしゃべり (R)
2010-03-10 16:08:20
どういたしまして。つたない&仕事中の片手間の翻訳ですが(汗。
スポーツも異常に好きなのが分かりますよね。スポーツ万能って素敵^^
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