愛しのロニー/My Dearest Ronnie

LONG LIVE RONNIE JAMES DIO。永遠にあなたを愛しています。

ギーザ・バトラー インタビュー全文

2010年12月10日 21時00分50秒 | BLACK SABBATH
3つ前に載せたギーザ・バトラーのインタビューの抜粋記事。
元文はもう少し長いので、改めてこちらに全文を掲載してみます。

Noisecreep:ギーザ、"Neon Nights"のDVDを収録したショーについて覚えていることはありますか?

ギーザ:ショーはドイツでWacken Festivalを撮影したものだ。ヨーロッパで一番大きなメタル・フェスティバルでね。とても寒くて雨も降っていたから、俺はコートを着ていたのを覚えているよ。ショーはいつもと何ら変わらなかった。"わあ、なんて素晴らしいショーなんだ"なんて驚くこともなかったしね。俺たちにとってはただのいつもと同じ夜だった。でも俺たちは多分いつもよりリラックスしていたと思う。こちら側では撮影はしていなかったので、映像が出ることになるとは思ってなかったからね。
毎年、Wacken Festivalを運営するプロモーターがショー全体を撮影していて、コンピレーションDVDを作るんだ。ヨーロッパでもとても大きなショーだからね。だから彼らが映像を持っていたんだ。

Noisecreep:誰がロニーの追悼作品にしようと決めたのですか?

ギーザ:ウェンディ・ディオがDVDにしようと決めた。去年の今頃のことだよ、ちょうどクリスマス前だった。俺たちはヨーロッパでツアーをやることになっていたから、当初は今年の夏のツアーの宣伝用にヨーロッパ限定でリリースする予定だった。もちろんロニーのことがあって、ツアーはキャンセルされた。それからロニーが亡くなって、結果的に彼と一緒に映っている最後の映像になったわけなんだ

Noisecreep: Neon Nightsは2009年の7月30日に収録されたわけですが、ロニーの具合が悪くなったのはどのぐらい後のことだったんですか?

ギーザ:彼はアメリカのツアーが後半に差し掛かった9月には段々と悪くなり始めていた。
アメリカツアーは2つに分けて行われる予定だった。最初の4週間ツアーをした後、トニーが手に支障をきたしてすぐに手術をする必要があった。だからトニーが手術を受けられるように、俺たちは2つ目のツアーを延期せざるを得なかったんだ。
ロニーの胃腸の具合はどんどん悪くなる一方だった。彼はヨーローッパでDIOのツアーをする予定だったから、そのリハーサルをしていたんだけど、胃の具合は悪化し続けていた。だから彼は医者に行ったんだけど、その医者は最初病状について何も語らなかったんだ。医者はただ便秘用の薬を出しただけで、彼はひどい便秘だと診断した。
それでロニーは専門医にかかって、胃ガンだと告げられたんだ。

Noisecreep: ロニーに胃ガンの兆候は見られましたか?

ギーザ:彼はずっと胃の痛みを抱えていたけど、ツアー中はみんながインフルエンザになったり、食あたりになったりしていた。1万人の人がいたとしたら、2千人がインフルエンザだったよ。細菌が蔓延していたから、ツアーに出るといつも病気になるんだよ。
で、ロニーは胃の痛みを抱えていた。ある晩は調子が良くて、翌晩は痛みが二倍になっていた。アメリカツアーの最終週には、激痛になっていた。俺がいつも思い出すのは、彼が最後のギグをやるために出てきたときに、俺たちが「なあ、ロニー、そんなに具合が悪いんだったら、ギグは辞めようじゃないか」って言ったときのことだ。
彼は言ったよ。「いや、ギグを辞めたりしないよ」その頃文字通り彼の痛みは倍増していた。それでも彼はステージを続けた。彼はショーをキャンセルすることは断固として拒んだんだ。だから彼はステージに出続けたので、俺たちは「ああ、なんてことだ。これからどうなるんだろう?」と思ったよ。でも俺たちの誰も彼がガンだなんて考えもしなかった。酷いウィルスにでもやられたんだろうと思っていたんだよ。
それから去年、ハロウィーンが終わったばかりの時に、彼は医者にかかってガンだと告知されたわけなんだ。そんなことになるとは思ってもいなかった。

Noisecreep:8月にあなたがたは、ヴォーカリストのグレン・ヒューズとヨルン・ランデと共にロニーの為に最後のHeaven & Hellのショーを行ないました。あれはほろ苦い体験でしたか?

ギーザ:Heaven & Hellの曲をロニー抜きでやるのは本当におかしな感じだったよ。本当に奇妙だった。ある意味では素晴らしいと言えるものだったけど、別の意味でとても悲しいものだった。だから、そうだね、実にほろ苦いものだったよ。あれは元々Heaven & Hellがやる予定のギグだった。それでプロモーターが言ったんだ。「もしもロニーへの追悼としてやるのなら、私はDIO基金に寄付する金額を払うよ」ってね。
この提案は俺たちにとって意義のあるものだった。それにもしそのことで人々にガンについての気づきをもたらしたり、検査を受けるのを促すことができれば、素晴らしいことだからね。これも話していて奇妙だと感じることの一つだよ。

Noisecreep:ロニーが死んだ後、音楽に対する熱意はそがれてしまいましたか?何をしても彼を思い出しましたか?

ギーザ:彼に起こりうることはいつの日か自分にも起こりうるのだと分かるだけだよ。
実際俺は何も変わらなかった。変えることはできないんだ。だって自分の人生はまだ残っていて、できる限り全力で以前と同じように生きていかなくちゃならないんだから。
でも音楽に戻るまでにはしばらく時間がかかった。俺は自宅のスタジオにすら行かなかった。俺がまた曲を創り始めたのは3ヶ月くらい前のことだよ。それ以前は何も聴きたくなかった。このDVDでさえ見たくもなかった。まだ間もなかったから。
ただ徐々に元に戻りつつあるし、作品として出せたらいいと思っているよ。

Noisecreep: ブラックサバスはオジーと一緒にやるという報道がありますが、2011年には実現しそうですか?

ギーザ:それに関しては何が起きるか分からないね。来年には実現しないだろう。
オジーは来年は自分のバンドでツアーに出るしね。新しいサバスでツアーをやるという話はいつも出る。そうしようと思えばそうなっていた。本当に初期の頃はね。そういう話はいつも出るんだ。来年彼がツアーに出ている間は、彼は週ごとにイエスと言ったりノーと言ったりするのは間違いないよ。「俺は今後5年はツアーをするよ」と言っておきながら、始まって6週間もすると家に帰るのが待ち遠しくなってるのさ。だから俺たちは、オジーがツアーを終えたときにどう感じているかを聞いて見ないとね。

Noisecreep:曲を書いていると言いましたね。ソロアルバムですか?

ギーザ:次のGZRアルバム用にゆっくりと曲を作ってきたんだ。どんな形になるかはまだ分からない。今の所書き溜めた曲が20ほどある。だから1月か2月にはきちんとレコーディングを始めようかと思っているよ。

Noisecreep:そのアルバムは2005年にあなたが出した"Ohmwork"とはどう違うと思いますか?

ギーザ:難しい質問だね。始めは本当にブルージーな感じだったけど、今ではブルージーさは無くなって、また超ヘヴィでとてもダークな感じになっているよ。

Noisecreep:誰と一緒にやるのですか?

ギーザ:多分、ギターリストはペドロ・ハウスでドラマーはSt.Louisのチャド・スミスで、クラーク・ブラウンがまた歌うことになるだろう。でも恐らく何人かゲスト・ヴォーカルを呼んで来るつもりだ。誰になるかはまだ分からないけどね。

Noisecreep:ロニーをフィーチャーしているHEAVEN & HELLのリリースは今後ありますか?

ギーザ:ないよ。もう残っている曲はない。終わりだ。創りかけの曲はもうないんだ。
俺たちはDIO YEARSを出したいとレコード会社に言われたときに、再び一緒になったわけだからね。彼らは残っている曲があれば出したいと思っていたんだけど、俺たちにはオクラ入りした曲はなかった。作った曲は何にせよリリースしてきたからね。
だからこそ俺たちは3曲を新たに作るために再び集まった。その試みはとてもうまく行って、ツアーに発展して、もう一枚アルバムを創るまでに至ったんだ。素晴らしい時間だったよ。また曲を作る機会がもう巡ってこないなんてことは、想像だにしなかった。


インタビュー掲載ページはこちら


☆☆☆

ああ”長かった
このインタビュアー、ちょっと質問の仕方がきつくないですかね?

ロニーがいなくなっても、そりゃみんな同じように生きていかなくちゃならないよ。
でもそれで何も変わらないってのは、違うんじゃないか、ギーザ?
変わらないわけがないじゃないか。





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