愛しのロニー/My Dearest Ronnie

LONG LIVE RONNIE JAMES DIO。永遠にあなたを愛しています。

トニーアイオミインタビュー

2010年07月12日 12時55分02秒 | BLACK SABBATH
Sunday Mercuryのポールコールが最近、BLACK SABBATH/HEAVEN AND HELLの伝説的ギタリスト、トニーアイオミにインタビューを行った。いくつか抜粋を下記に。

◆故ロニージェイムスディオについて:

「私はロサンジェルスのパーティーで初めてロニーに逢った。私たちは意気投合してね。私は彼のことが一目で好きになった。彼はこの世界の多くの人たちみたいに派手派手しくなかったんだ。彼はいい奴で、地に足が着いていた。

だからオジーとうまくいかなくなったとき(ロックの巨匠は信頼できない人物として1979年に解雇された)、私はロニーに電話をしてリハーサルに来ないかと誘ったんだ。彼はレインボーを辞めたばかりで、フリーだった。

運命と呼んでもいいよ。彼はとても良かった。私が作りかけの曲のギターリフをいくつか弾くと、彼はその場で歌を乗せてくれた。曲を作り終える頃には、私は彼が新しいBLACK SABBATHのシンガーだと思ったよ。

私たちは長いツアーに出て、ロニーにとってオジーの後釜に入るのは大変なことだった。
最初のうち観客は"オジー!オジー!"と声を上げていたが、ロニーは目がくらむほどのいいシンガーで、観客をうまくいなしていった。

数日のうちに、彼は受け入れられた。私たちはアメリカや、ヨーロッパ、オーストラリアや日本でも演奏したが、ライブごとに反応が良くなっていった。

ロニーは庶民感覚の持ち主だった。彼はバーボンやシャンパンより、本物のエールを好んだ。それにライブが終わると、ファンたちとお喋りしたり、写真撮影に応じたり、サインをしたりして何時間も過ごした。

彼がミッドランズにある私の家にリハーサルに来た時、彼は豪華なホテルに滞在することになっていたが、いつもホテルを抜け出してはさびれたパブを見つけて、そこの常連たちと喋りながら飲んでいたよ。

ロニーと一緒にやっていなかったら、BLACK SABBATHはそこで終わっていたと思う。

でも彼は独特の声の持ち主だったし、実にプロフェッショナルだったから、私たちは続けていくことができた。彼は新しい何かを私たちにくれたんだよ」

◆ロニーの死について:

「ロニーが胃痛を訴えていた頃、私たちは何か悪いことが起きるとうすうす感じた。
最初はみんなただの胃痛だろうと思っていた。最悪のことなんて予想しなかった。

ロニーは鎮痛剤を飲んでいたが、ちっとも良くならなかった。ある晩、ステージに上がる直前に私は彼に言ったんだ。「病院に行って、検査したいんだろう?」
すると彼は、時間ができたらそうすると言った。

数日、彼はステージで激しい痛みに襲われたが、淡々とこなしていた。
時々彼は疲れ果てているときもあったが、ツアーの一つ一つすべてのステージを完了させると言い張った。ロニーにとって、ショーは続けなくちゃならないものなんだ。

ツアーの後、私たちは休養を取った。私は左手の具合が悪かったから、幹細胞治療を受けて痛みが和らぐか様子を見ていた。

ロニーは私たちと分かれて、休みの期間にソロツアーをすることになっていたが、医者に見てもらうことにした。病院で検査を受けると、ガンが見つかった。彼の胃には腫瘍があったんだ。

私は信じられなかった。今でも信じられない。私は彼が亡くなる前の週までロニーと話していたんだ。彼は楽天的だった。化学療法はうまくいっているようだと言っていた。

腫瘍は小さくなっていて、彼はツアーに戻るぞという気持ちになっていた。

私たちの夏のツアーには緑信号が点り、彼とは電話で常に会話をし、どの曲をやろうかと話していた。

ロニーはとても興奮していた。私たちはいくつか新しい曲をやろうとしていた。バンドは結束が固く、燃えていた。彼はヨーロッパツアーをとても楽しみにしていた。また人生の新しい時代が始まるはずだった。

でも5月の初め、ガンがロニーの肝臓に転移していることが分かって、事態は急速に悪くなった。私たちはツアーを全てキャンセルした。まだ彼が乗り切ってくれると願っていた。彼は戦士だったから。

そうはならなかった。ギーザバトラーはロニーのベッドの横に座り、病院で多くの時間を過ごしていた。彼はロニーと一緒に辛い時期を過ごし、最後の最後までそこにいた。

私はイギリスに帰らなくちゃならなかったが、電話やメールで連絡を取り続けた。
それから恐れていた電話が来た。ギーザが、ロニーはもう長くないと思うと言ってきたのだ。私は一番早いフライトで駆けつけようとしたが、間に合わなかった。

最後の別れを告げることができなかった。彼は5月16日に死んだ。結局、私は5月30日の葬儀に出かけて行った。私たちはみんな彼の死に途方に暮れていた。
彼は絶対に替わりの利かない、かけがえのない人物だった」

◆来る7月24日ロンドンのヴィクトリアパークでのHIGH VOLTAGE FESTIVALの追悼コンサートについて:

「これは私たちがHEAVEN & HELLとして演奏する最後のライブだ。私たちは、このバンドがアルバム"HEAVEN AND HELL"を創ったBLACK SABBATHのメンバーで構成されているから、この名前を選んだんだ。ロニーなしでこの名前の元に活動することはできないよ。それは正しいことじゃないし、私たちの誰もそれを望んでいない。私たち自身をBLACK SABBATHと呼ぶこともないだろうけどね。

◆追悼コンサートにグレンヒューズとヨルン・ランデを迎えるについて:

「グレンはロニーの追悼式で、"CATCH THE RAINBOW"を素晴らしく歌いあげていた。
ヨルンはMASTERPLANのシンガーとしてイギリスでは一番知られている。

彼はどことなくロニーの歌い方に似てるんだ。私たちは夏のツアーに控えとして彼を呼ぼうと考えていた。もしロニーがひどく弱ってしまったり疲れたときには、ジョーンに代役をやってもらおうって。でももちろんそれもなかった。

◆トニーアイオミの今後について:

「私たちは今後も演奏を続けていくつもりだ。でもどんな形になるか、誰をシンガーにするのかは、分からない。

ギーザが今週イギリスに戻ってきたので、追悼コンサートのリハーサルができるようになった。恐らく今後についても話す時間があると思う。

◆BLACK SABBATH再結成のカードを切ることについて:

「ロニーの葬儀の後で、ロサンジェルスにいる間、私はオジーと話した。彼は自分のツアーでイギリスに来たら連絡すると言ったよ。でもまだ電話はないな。

オジーと私はややこしい関係にあって、でもどんなことが起きていても、いつも連絡は取ってきた。オジーともう一度一緒にやるかって?誰にも分からないよ。それは私とオジーにとっても、奇妙なことだ。

そういうくだらないことが起きることがあっても、私たちが話すときは、何事もなかったかのように話すんだ。追悼コンサートが終われば、私たちは落ち着いてどうするか決めることができるだろう」

☆☆☆☆

新たに知る事実がたくさん入っていましたね。
改めて泣かないわけにはいかない内容でした。
「どうしてもっと早くに病院に行かなかったんだろう」
「なんで他のメンバーは引きずってでも彼を連れていかなかったんだろう」
だってステージ上で痛みに悶絶するような状況って、おかしいでしょう?
そしてそれはウェンディにも思ってしまう。
「なんでもっと早く病院に連れて行かなかったのか」って。

たくさんの人が周りにいたのに、みんながロニーを怪物だと思っていたんだね。
「死ぬわけがない」って。

トニーは、ロニーと話していたというけれど、病院で会っていたわけじゃなさそうですね。側にいれば、彼の状態は見ていて分かったはずだけど。
きっとガンを甘く見ていたんでしょう。恐らくは本人が一番後悔しているんじゃないかな。私だって甘く見てたんですもの。

それにしてもヨルン・ランデを控えにしようと考えていたとは、それも驚きだ。。

でも私はね、ロニー本人が一番分かっていたんじゃないかと思うんです。
胃痛が始まったときから、これはただ事ではないって。
今、ツアーを辞めたらこれっきりになってしまうと。
そして覚悟もできていたんじゃないかって。









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