愛しのロニー/My Dearest Ronnie

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ギーザ・バトラー インタビュー 2011.6.6 その1

2011年07月21日 21時38分42秒 | ギーザ・バトラー
ギーザって芸名なんだねえ。知ってました?
本名テレンス・マイケル・ジョセフ・バトラー。

For Bass Players Onlyがインタビューをしました。
とりあえず長いので、2つにわけることにします。


FBPO:あなたの受けた音楽教育や背景を教えて下さい。

GB:公式の音楽教育は何一つ受けてないよ。最初に音楽に触れたのは7歳か8歳の時だったと思う。当時イングランドではスキッフルが流行っていて、ベースプレイヤーは茶箱とかほうきの柄とか糸でベースを作っていたんだ。俺はクリスマスにもらった大工道具セットがあったから、2つの木辺と釘とゴムバンドでギターを作ったんだ。

俺の本当に最初のギターはアコースティックで、11歳の時に学校の生徒から買ったんだ。それには弦が2本付いてて10シリング(約75セント)だった。俺はいつもビートルズのヴォーカルのメロディを弾いてたよ、コードじゃなくてね。俺が真剣に弾こうとしてるのを兄貴が段々と分かってくれて、俺に新しいギターを買ってくれたんだ。ちゃんと6本弦がついてる、8ポンド(約12ドル)するギターで、俺が13歳の時だった。
Bert WeedonのPlay In A Dayの本を見ながら、主にビートルズの曲のコードの弾き方を覚えたよ。

学校の仲間たちとグループを結成してThe Ruumsと名乗った。
俺はそのうちHofner ColoramaのエレキギターやSelmerのアンプを買った。
俺達は誕生会とか結婚式なんかで少し演奏したよ。
ギタリスト、Roger “Dope” Hope、俺は真剣にバンドに打ち込みたかったから、ドラマーとベースプレイヤーを取り替えて、ヴォーカリストは募集をした。段々演奏がヘヴィになっていってブルース志向になっていった。バンドの名前もThe Rare Breedに変えた。
俺達はバーミンガム辺りでギグをやってたんだけど、当時にしては風変わりなステージングのせいで二度目のお呼びが掛からなかった。
俺達は絶望して、一時的にバンド名をThe Futureに名前を変えた。
でもその名前でギグに出たら、プロモーターが俺達だって気づいてしまって、演奏を断られてしまってね。とうとうシンガーは辞めて、オジーが替わって入った。
俺達は1つか2つのギグをやったけど、その後で解散したんだ。

FBPO: メインの楽器としてベースを選ぶいきさつはどのようなものでしたか?

GB: バンドを組んだ時はリズムギターをやってたんだけど、バンドが徐々にブラック・サバスに変わって行く頃にベースに転向したんだ。俺達がやってたジャンルでは当時リズムギターは必要なかったんだ。クリームや、ヘンドリックスがギター、ベース、ドラムのラインナップを開拓していて、俺がやりたいのはそういうスタイルだった。

FBPO: 若い頃に影響を受けたアーティストは誰でしたか?

GB: 俺は大家族の出身でね。兄弟が3人、姉妹が3人いたんで、いつも家の中では何かしら音楽が鳴ってたよ。両親は伝統的なアイリッシュ音楽を好んだ。兄弟たちはエルヴィスやバディ・ホリーを聴いていたけど、俺はビートルズを聴いた時に本当に繋がってしまったんだよ。その後はストーンズや、the Kinks, the Who, Muddy Waters, Dizzy Gillespie, John Mayall, Cream, Hendrix, Zeppelin, Zappaなんかを聴くようになった。俺のベースに一番大きな影響を与えたのはジャック・ブルースだったね。

FBPO: "Black Sabbath"という名前はどんな由来があるんですか?

GB: 俺の兄貴が60年代の初頭にBlack Sabbathっていうホラー映画を見たことがあって、彼はしょっちゅうその話をしたんだ。俺はずっとバンドにつけるにはいい名前だと思っていた。俺がEarthっていうバンドに入った時、名前を変えなきゃならなくて、Black Sabbathはどうかって提案したらみんなが気に入ってくれたのさ。

FBPO: ブラック・サバスが立ち上がった時、あなたはとても若かったですね。バンドの成功はあなたが予想していたものと比べてどうでしたか?

GB: 1968年6月のバンド結成時に俺は18歳だったよ。成功することをいつも夢見ていた。このバンドに入ることが俺の運命だと知っていたような気がするけど、俺達の誰一人としてこんなに成功して寿命の長いバンドになるとは思いもしなかった。よく持ちこたえたよ!もしあの時25歳を超えていたら、ロックンロールをやるには年を取りすぎてると思っただろうね。そうであれば俺達あと5年も頑張れたら、御の字だなと思っただろう。

FBPO: 自分たちがうまく行き始めたなと思ったのはどの時点でしたか?

GB: イングランドのノッティンガム・ボート・クラブっていうクラブで演奏するのに、そこへ「到着」した時に感じたよ。ギグをしに行くのに車で行ったのは初めてだったんだ。いつもはバンの後ろで機材の上に座っていたからね。クラブに到着すると、楽屋にでっかいマリファナの塊が置いてあって、出演料を125ポンドもらった。それまでで一番の大金だった!それに観客が素晴らしくて、俺達をヒーローみたいに迎えてくれたんだ。

FBPO: Paranoidが出てしまったら、後戻りはできませんよね。

GB: 俺達について来てくれる誠実な支持者が増えていった。ほとんどが口コミだった。イギリスのレコード会社はシングルにParanoidをリリースして、段々とRadio 1で流れるようになると、すごいヒットになったんだ。アルバムもUKチャートのNo.1になって、世界中でいつのまにか数千万枚を売り上げていた。それから40年経っても、ParanoidやIron Manはまだ世界のどこかで毎日流れてるんだから驚きだよ。



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