NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#361 サニーボーイ・ウィリアムスン・アンド・ザ・ヤードバーズ「Out on the Water Coast」(Fontana)

2024-04-01 08:12:00 | Weblog
2024年4月1日(月)

#361 サニーボーイ・ウィリアムスン・アンド・ザ・ヤードバーズ「Out on the Water Coast」(Fontana)







サニーボーイ・ウィリアムスン、66年1月リリースのライブ・アルバム「Sonny Boy Williamson & The Yardbirds」からの一曲。ウィリアムスン自身の作品。ホルスト・リップマン、ジョルジオ・ゴメルスキーによるプロデュース。63年12月録音。

米国の黒人ブルースマン、サニーボーイ・ウィリアムスンIIについては「一曲」の方で3回取り上げたが、久しぶりに再クローズアップしてみたい。

サニーボーイ・ウィリアムスンII、本名アレック・ミラーは1912年ミシシッピ州グレンドーラ生まれ。生年については諸説あり、墓碑銘には1908年とあるが、最近の調査では1912年が定説となっている。

プランテーションに生まれ、独学でハーモニカを学び、30年代からミシシッピ州周辺を放浪、ミュージシャンとして生計を立てるようになる。

彼の名を世間に広めたのは、41年から始まったアーカンソー州ヘレナのラジオ番組「キング・ビスケット・タイム」。盟友ロバート・ロックウッド・ジュニアと共に出演して、演奏を披露し続けたのである。

初のレコーディングはウィリアムスン30代末の51年、トランペットレーベルにて。エルモア・ジェイムズらがバックをつとめた。

55年、チェス傘下のチェッカーレーベルと契約、メジャー・アーティストへの道を歩み出す。同年リリースのシングル曲「Don’t Start Me to Talkin’」がR&Bチャートで3位のヒットとなる。以降、ヒットをいくつも出し、アルバムも59年の「Down And Out Blues」を皮切りに、60年代は数枚をチェスレーベルよりリリース。米国を代表するブルース・ハーピストへと成長する。

50代に入った彼は、63年に初めてヨーロッパ・ツアーを行う。欧州でもブルース・リバイバルの気運が高まっていたからだ。アメリカン・フォーク・フェスティバル、そしてこのヤードバーズ、アニマルズ、ジミー・ペイジ、ブライアン・オーガーらとの共演を果たす。

アメリカン・フォーク・フェスティバルの仕掛人であるドイツの音楽プロデューサー、ホルスト・リップマン、そして当時はレコードデビュー前の新人バンド、ヤードバーズのマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーが手を結び、ウィリアムスンの英国での数回の公演を、ヤードバーズがサポートすることになった。

本日取り上げた「Out on the Water Coast」はその最初の公演、サリー州リッチモンドのクロウダディ・クラブで行われたライブレコーディングからの一曲である。

当日はまずヤードバーズが前座として「Smoke Stack Lightnin’」「I Wish You Would」など6曲を演奏。その後ウィリアムスンが彼らに加わって、10曲あまりを演奏した。

「Out on the Water Coast」はアップテンポのシャッフル・ナンバー。ここでギターでウィリアムスンの歌のオブリ、あるいはソロを弾いているのが、他ならぬエリック・クラプトンである。ときにクラプトン、弱冠18歳(!)であった。

対するウィリアムスンは、51歳。世間的にはもう少し年寄りだと思われており、すでに立派な壮年である。親子かそれ以上年が離れているわけで、まぁ、二者はかなり違和感のある組み合わせだったのは間違いあるまい。

クラプトンは15歳くらいから本格的にギターに取り組んだとはいえ、まだ数年しか経っていなかった。それで、天下のブルースマンと共演とは、かなりプレッシャーを感じたはずだ。

それでもクラプトン、若さゆえの向こう見ずで、自分が年若い英国人でも結構ブルースを知っているんだとアピールするために「あなたの本名はライス・ミラーではないですか」と、ウィリアムスンにうっかり尋ねてしまったという。

この結果、ウィリアムスンはいたく機嫌を損ねてしまう。「若造のくせに、何を言うか」みたいな感じだったろう。

教訓。沈黙は金。そのひと言が、命取り。

簡単なリハーサルの後、彼らは本番のステージにおもむいた。その内容は、あまり芳しいものではなかった。実際に音源を聴いてみれば、それはまる分かりだろう。

ウィリアムスンはウイスキーを飲んでかなり酔っており、まさにグダグダのステージ。ヤードバーズとうまく息があっていたとは、到底言えなかった。

だから、この音源もレコーディング後しばらくはお蔵入り。もし出来が良かったら、「Five Live Yardbirds」(64年12月リリース)に先立ってリリースされていたかもしれない。

現実には、ウィリアムスンが65年に亡くなり、ヤードバーズが「For Your Love」のヒットでメジャーブレイクした後の66年1月に、ようやく日の目を見ている。

気合いの感じられない演奏とはいえ、人気バンドの無名時代のお宝音源ということで、マニアにはそこそこ売れたようだ。そして、ブルースをろくに知らないロック・ファンにとっては、ブルース入門盤的な役割を果たしていると言えるだろう。

かなり否定的な評価先行で書いてしまったが、もちろん聴くに値するものもある。それはやはり、18歳のクラプトンの演奏ぶりである。

事前にウィリアムスンのレコードを相当聴き込んだのであろう、クラプトンはロバート・ロックウッドのプレイを意識したフレーズをしっかり織り込んでおり、ウィリアムスンらしいサウンドを演出しようという努力のあとが垣間見られる。

もちろん、後々のクラプトンの神がかったプレイに比べれば、相当見劣りはする。まだまだ、ヒヨコの域である。

だが、果たして自分なら、ギターを初めて数年でこのレベルまでブルースを弾けるようになるかというと、絶対否である。やはり、クラプトンの人並みはずれた才能は、この青臭いプレイにさえ、感じとられるのである。

まだまだ駆け出しの新人バンド、ヤードバーズと、老獪を絵に描いたようなブルースマン。異色の取り合わせによるライブ。

未完成ながら、なんとか一曲一曲をきちんと仕上げようという若者たちの奮闘が、このアルバムには詰まっている。

いかにも未熟だけど、どこか愛おしい作品。

どんなミュージシャンも、最初はアマチュアというあたり前の「原点」を、この一曲に感じとってほしい。

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