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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

想像力

2010年03月07日 20時22分50秒 | 二分脊椎
日本と海外両方を経験したものに、たいていあるカルチャーショック。
もちろん私にもあった。でも、車椅子の私には日本→ニュージーランドは、身体も心も楽になる、いいショックだった。

ニュージーはまあ、ヨーロッパ系だから、仕事がのんびり(要するに遅い)とか人によってやり方がさまざま(要するに効率が悪い)とか、日々のストレスはあったけれども、二分脊椎だからとか車椅子だからというストレスはあまりなかった。
かえって、日本に帰国した後のことを考えて、鬱になっていた。そんな私が日本にいるのは、じょくそうと精神的なもので勉強が続けられなくなったからと、大学の先の就職の希望が見えなかったから。
そして今は子供に英語を教えている。
日々小さなことに喜びを感じて生きて生きたいと思うけれども、今は逆カルチャーショックに悩む日々。

今はバリアフリーといわれているけれども、建物はバリアフリーになってきても、こころのバリアがまだまだあって、それが大変。
きっと小さなころから障害者と接していないからだろうけれど・・・
それに日本では指示を出されたことを守ることが良いことなので、与えられた場でどう行動すべきか、どのように自分を役に立たせるか考えたり、想像したりする力が少ないのかな・・・

まず私は外見上、ペンギン歩きをしていたり、車椅子に乗っていると特にこの時期挨拶代わりに言われることが「寒いと痛む?」
寒くなくても一年中痛いし、冷えると良くないけれどそれはどの女性も同じだと思う。
障害者である前に、「今日は寒いね」「かぜ引いてない?」という普通の会話がしたい。

さらに前回の手術の時には、年上の男性に「どんな手術?何科?股関節?」と聞かれて本当に困ってしまった。心配していただいてるのかも知れない。挨拶かもしれない。
だけど私は30代の女性。あちらは50代の男性・・・
さらに私を不愉快にさせたのが、彼が福祉にかかわる職業人だったこと。
職業柄、障害者の私の状態に興味があるんだろうけれど、バリアフリーというなら私の二分脊椎を見ないで、私の中の「ぺんぎん」を見るべきなのではないだろうか・・
私はまず女性として、あまり親しくない彼に股関節の状態を聞かれたのが不快だったのだけど、私の中の日本人の部分が年上の彼の質問に答えなければと言ったので答えてしまった・・・
ここは「そういう質問にはお答えできません」と言えるようになろう・・・
きっとそういう質問をするのは失礼だと思ってないのだから・・・

次に、なにか私がみんなと一緒のことが出来ないとき、ニュージーではみんなと同じ事で私も出来ることをみんなでやった。それも自然に。
でも日本では私がみんなにあわすように育てられたし、それで身体も無理がたたった。
みんなと同じことが出来ないときは
はいいよ。自分が楽な方法で」
「いいよ、やらなくても。の代わりにするから」
これでいつも私は社会に参加しにくいなと思う。
きっと「自分たちと違うを受け入れる」のがバリアフリーだと思ってるんだね・・
でもどういう風に伝えればいいのか、いつも困ってしまう。
本当に身体がしんどいときには人と違うことをしなくてはいけないのだから。

月に一度の御受難会の聖書の分かち合いのとき、まだクッションは来ていないし、いすに座ってしんどくなると床に寝そべって話を聞いていた。
みんなが椅子に座ってだけ床に寝そべると、見える景色は足と、脚だけ。
きっとペットの犬や猫はこんな気持ちになるんだろうなあ。
もちろんさんは一緒に床に座ってくれたけれど、そのおかげで「甘やかしすぎ」という声もあった。
ところが御受難会にはほかの教会の方もいらっしゃるのだけど、数ヶ月前にさんと二人で床に座っていたら、ある方が床に座って話を聞いていた。
別に私は彼女に一緒に床に座ってくださいとは言わなかったけれど、私は同じことをやってくれて(やってくれたつもりはないのかもしれない)本当に嬉しかった。
そして前回の集まりは、車椅子を持っていけない所だし、クッションもまだ届かないし、でもアクセスが悪くいけない場所がまだまだ多い中で、無理をすればいける場所なら行こうと思って行った。
床にはさんも座ってくれるのだけど、今は冬。
寒いのでお願いしなかった。
でもやっぱりみんな椅子の中、一人床に寝転ぶのは悲しくて・・・

集まりが終わった後、その同じある方が、次回からはアジア式に机も椅子もどけて、みんなで床に座りましょうと言って下さった。
本当に嬉しかった。みんなと一緒。

小さなころから人に助けてって言いなさい、と言われてきて、でも同時に一人で何でもやりなさいと言われて混乱してきた。
ニュージーでは人々もこちらが言う前にさっと自然に手を貸してくれた。
自分で何かが出来るように、手を貸してくれた。
でも日本はそうじゃない。
最近は車椅子でスロープを押してくれる方も増えた。
だけどそういう物理的なことだけじゃなくて、私たちが健常者に合わせて同じ事をするんじゃなくて、見えない手助けを、私たちもみんなと同じことが出来るようになる手助け、それを頼まなくても自然に可能な世の中・・・
障害を意識せずに済む世の中・・・

これが実現しないと私のカルチャーショックは終わらないと思う。
本当に文化の違いだと思う。
障害に限らず、外国の血が入っていたり、アレルギーや宗教で食べられないものがあることで、自分が人と違うと思わずに済む世の中・・・

もっと言えば、違いをお互い克服するような世の中じゃなくて、共通項を見つけられる世の中・・・
豚が食べられないならみんなで牛肉を食べ、ベジタリアンなら雑食の人はそのときだけベジタリアンになり、行けない場所があるなら行ける場所に行き、そういう風に想像力を働かせて一緒に生きていける社会・・・

だからこそ、ほかの人となんら変わらないと知らせるために、私は外に出ないといけないんだと思う。

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