結構前に読了していた本ですが、重すぎてレビューをまとめるのに時間がかかってしまいました。
一言で言うと、SFではないです。ギリシャ悲劇のようです。
デューン 砂漠の救世主〔新訳版〕 上 /フランク・ハーバート、酒井 昭伸訳(ハヤカワ文庫SF)
デューン 砂漠の救世主〔新訳版〕 下/フランク・ハーバート、酒井 昭伸訳(ハヤカワ文庫SF)
前作の感想はこちら。
前作のレビューでは、「SFならではの世界観とガジェットを深く堪能する楽しみ方もできるが、誰が読んでもその人なりの視点で楽しめる、典型的な貴種流離譚で昔からよくあるフォーマットの一大エンターテインメント」と評価させていただきました。その後、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による素晴らしい映画化もあり、SFにあまり興味がない人にもある程度知られた作品になったのではないかな、と思います。
・・・が、前作の新訳版や映画から「デューン 」の世界に入った人がこれ読んだら、驚くだろうなぁ。
前作から続く独特の世界観と社会描写を背景としたSFではあります。が、読了して「あー、SF読んだなぁ」という実感はありません。ギリシャ悲劇かシェークスピア悲劇を観たかのような、運命的な悲壮感だけが心に残ります。
前作のラストにおいて、主人公のポール・アトレイデスはコリノ公家の独裁体制を打破し、フレメンを含む全ての人類が適切に穏やかな生を送ることができる世界を目指して、自ら皇位の座を欲したのだと、鴨は理解しています。
しかし、前作から12年後の本作において、ポールは独裁者と化し、フレメンは全宇宙で”聖戦<ジハード>”と称する征服戦争を繰り広げ、民はポールと妹のアリアを神格化しています。現体制を打破せんと暗躍するベネ・ゲセリット、ベネ・トレイラクス、名目上の皇妃であるイルーラン。ベネ・ゲセリットの一員でもあるイルーランは、救世主クイサッツ・ハデラックであるポールの遺伝子を純粋なまま後世に引き継ぐべく、フレメンであるポールの愛妾チェイニーが彼の子を産むことを阻止しようとしますが、チェイニーが懐妊したことがわかり、惑星アラキスは風雲級を告げる事態に・・・。
と、結構大変なストーリー展開ではあるのですが、ポール自身は何をしているかというと、悩んでいます。ただひたすら悩んで右往左往して、政治的な決断等はほとんどしていません。このポールの心理描写が物語の大半を占めていて、これがまぁ重い重い(^_^; 前作にあった戦闘シーンや生態系の描写シーン等は、ほとんどありません。しかも、予知能力を持つポールが見る予知世界が100%クリアなものではなく漠然としたイメージのみのため、この先どうなるのか皆目分からずに読者もポールと一緒にひたすら悩み続けることになります。
そして、最終的にポールが下した決断は、フレメンの掟に従ったものだとはいえ、まるで何もかもを投げ出してしまったかのようで、フレメンもそれ以外の民も、そして読者も、これで納得するんだろうか・・・?と思いました。前作のポールの輝かしい英雄ぶりを思い起こすと、隔世の感がありますね。
ドゥニ・ヴィルヌーヴは、この作品までを映画化したいと考えているそうですが、これ、映画にするの難しそうだなぁ(^_^;
作品的には、次の「砂漠の子どもたち」で一応3部作が完結するのですが、そこまで新訳版をだしてほしいなぁ。ハヤカワさん、お願いします!
一言で言うと、SFではないです。ギリシャ悲劇のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/88/283088de9ff0a0e341f702cf90fa7ab1.jpg)
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前作の感想はこちら。
前作のレビューでは、「SFならではの世界観とガジェットを深く堪能する楽しみ方もできるが、誰が読んでもその人なりの視点で楽しめる、典型的な貴種流離譚で昔からよくあるフォーマットの一大エンターテインメント」と評価させていただきました。その後、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による素晴らしい映画化もあり、SFにあまり興味がない人にもある程度知られた作品になったのではないかな、と思います。
・・・が、前作の新訳版や映画から「デューン 」の世界に入った人がこれ読んだら、驚くだろうなぁ。
前作から続く独特の世界観と社会描写を背景としたSFではあります。が、読了して「あー、SF読んだなぁ」という実感はありません。ギリシャ悲劇かシェークスピア悲劇を観たかのような、運命的な悲壮感だけが心に残ります。
前作のラストにおいて、主人公のポール・アトレイデスはコリノ公家の独裁体制を打破し、フレメンを含む全ての人類が適切に穏やかな生を送ることができる世界を目指して、自ら皇位の座を欲したのだと、鴨は理解しています。
しかし、前作から12年後の本作において、ポールは独裁者と化し、フレメンは全宇宙で”聖戦<ジハード>”と称する征服戦争を繰り広げ、民はポールと妹のアリアを神格化しています。現体制を打破せんと暗躍するベネ・ゲセリット、ベネ・トレイラクス、名目上の皇妃であるイルーラン。ベネ・ゲセリットの一員でもあるイルーランは、救世主クイサッツ・ハデラックであるポールの遺伝子を純粋なまま後世に引き継ぐべく、フレメンであるポールの愛妾チェイニーが彼の子を産むことを阻止しようとしますが、チェイニーが懐妊したことがわかり、惑星アラキスは風雲級を告げる事態に・・・。
と、結構大変なストーリー展開ではあるのですが、ポール自身は何をしているかというと、悩んでいます。ただひたすら悩んで右往左往して、政治的な決断等はほとんどしていません。このポールの心理描写が物語の大半を占めていて、これがまぁ重い重い(^_^; 前作にあった戦闘シーンや生態系の描写シーン等は、ほとんどありません。しかも、予知能力を持つポールが見る予知世界が100%クリアなものではなく漠然としたイメージのみのため、この先どうなるのか皆目分からずに読者もポールと一緒にひたすら悩み続けることになります。
そして、最終的にポールが下した決断は、フレメンの掟に従ったものだとはいえ、まるで何もかもを投げ出してしまったかのようで、フレメンもそれ以外の民も、そして読者も、これで納得するんだろうか・・・?と思いました。前作のポールの輝かしい英雄ぶりを思い起こすと、隔世の感がありますね。
ドゥニ・ヴィルヌーヴは、この作品までを映画化したいと考えているそうですが、これ、映画にするの難しそうだなぁ(^_^;
作品的には、次の「砂漠の子どもたち」で一応3部作が完結するのですが、そこまで新訳版をだしてほしいなぁ。ハヤカワさん、お願いします!
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