というわけで、奈良関係のニュース、今年後半分です。。
・東大寺の石獅子 材料は中国産? 記録裏付ける研究(2008/8/10)
南大門にある「石造獅子」(重文、十二世紀末)の石材(凝灰岩)が、
中国浙江省産の可能性が高いことが分かった。
寺の記録を裏付ける研究結果だそうです。
・輝く飛鳥大仏 西陣織で再現(2008/8/19)
・キトラ古墳「朱雀」増を公開 担当者「劣化していない」(2008/9/11)
文化庁は昨年剥ぎ取った朱雀像を公開。
漆喰のひび割れを防ぐために部分的に紙を張って表面を保護。
数百箇所で斑点状になっている、表面を覆うゲル状物質(カビや細菌の混合物)は
除去作業をはじめるが、全体を覆う泥は顔料より粒子が細かく、除去は難しいそうです。。
・(体験ボランティア) 英語で名所案内(2008/9/15)
奈良で英語で外国人観光客を案内する、関西外国語大学四年の中山枝莉子さんが
写真入りで紹介されていました。
・渡来系有力豪族 東漢氏の住居跡か 奈良・檜隈遺跡群(2008/9/26)
檜隈寺跡から南に200メートル離れた場所にあり、建物跡は計五棟分。床張りとみられるとのこと。
・藤原宮に新たな運河跡 総延長500メートル超に(2008/9/28)
運河跡は「朝堂院」下層から出土。運河は飛鳥川などにつながり、川を使って
資材を運び入れていたと見られる、とのこと。
・泥ごとしっくいはぎ取り調査 キトラ古墳残存壁画(2008/10/9)
残っている可能性がある十二支像は、西壁の「申(さる)」と東壁の「辰(たつ)」、
南壁の「巳(み)」
・高松塚古墳に地下排水溝(2008/10/18)
・最古の万葉木簡 歌集編さんの60-70年前 奈良・明日香村で出土(2008/10/18)
石神遺跡で2003年度に出土した7世紀後半の木簡に、文字が刻まれていることが分かり、
左側から読むと、万葉集の和歌になるそうですが、左側から読む例は珍しいそうです。
・8世紀後半の万葉木簡出土 京都 馬場南遺跡(2008/10/24)
(※奈良県とは関係ないですが、時代的な関連で・・・)
万葉集を記した木簡は今年に入って発見が相次ぐ(これで3例目)
・新薬師寺の金堂跡 発見 創建時 大仏殿に次ぐ大きさか(2008/10/24)
現在の新薬師寺本道から約150メートル西の旧境内地で
金堂(七仏薬師堂)の跡が発見。
東西50メートル(後の調査で焼く68メートル)を越す基壇と外装の切石列、
雨落ち溝などが見つかった。
八世紀の「東大寺山堺四至図」などの絵図や文献では、新薬師寺金堂は
東大寺法華堂のほぼ真南にあり、また記されていた九間という規模などあわせ、
遺構と位置や構造が一致するとのこと。
規模も、当時の東大寺大仏殿(約85メートル)、江戸時代に再建された
現存の大仏殿(57メートル)や、平城宮大極殿に匹敵する規模と見られている
そうです。
朝のフジテレビの「得ダネ!」でも放送されてたのでw、かなり大ニュース扱いでした。
・両陛下、奈良入り(2008/10/31)
奈良国立博物館の「第六十回正倉院展」見学などのため、陸路で奈良入りされた。
・キトラ古墳「朱雀」の右端 表面覆う泥に転写(2008/11/1)
朱雀像の右端が、幅1センチにわたり、泥に転写して残っていたがわかったとのこと
・新薬師寺金堂、より大きく 基礎部分、東西68メートル 現在の大仏殿上回る(2008/11/14)
先月見つかった創建時の金堂(七仏薬師堂)の基礎部分の東西幅が
発見当初の想定より大きく、68メートルだったことがわかった。
これで、現在の大仏殿(57メートル)を越える大きさということになる。
・唐招提寺金堂 創建時の構造判明(2008/11/29)
創建時(八世紀末)の屋根を支える骨組み構造が、従来の推定と異なり、
梁の上で二本の材を逆V字形に組み合わせる「叉首組(さすぐみ)」と呼ばれる
簡素な構造だったと発表された。
また、現在の金堂解体修理はほぼ終了し、現在は堂内に仏像を搬入し組立作業中。
落慶法要は2009年11月1-3日の三日間執り行うと発表されました。
・縄文晩期の大集落か 奈良・橿原(2008/12/4)
橿原市・御所市の京奈和自動車道建設予定地で、縄文時代晩期中ごろ(約三千年前)の
集落跡が見つかった。
・「せんとくん」と、「まんとくん」「なーむくん」が七日、桜井市のイベントで初共演(2008/12/8)
3人が仲良く並んでいる写真入りで掲載されていました(´-`)
・古代のため池跡 経緯記す木簡も 奈良・高取(2008/12/10)
・高松塚壁画に傷 文化庁調査中 2週間報告せず(2008/11/10)
東壁の女子群像の一部を、ファイバースコープの機材で
長さ約3ミリ、幅1ミリ傷つけてしまったそうです…(;´Д`)
・高松塚の傷は修復不可能(2008/12/11)
欠け落ちた部分は見つからず。修復は無理と判断。
損傷部分に色を補うなどの措置はしない方針。
以上、抜けがあるかも知れませんがご容赦のほどを。
それにしても奈良はいまなお多くの謎の解明が続いているんですね…
ホント、目が離せません。。
ていうか、覚え切れません…(;´Д`)