貧乏だったけれど希望はあった時代
私が生まれて、育った高知は
テレビのチャンネルが、
NHK,NHK教育、日テレ系の3つしかなかった。
シャボン玉ホリデーのスリーファンキーズが好きだった。
小学5年生の時
野球が始まるとテレビがつまらなくて
たまたま、ラジオをつけたら
9500万人のポピュラーリクエストで
初めて聞いたポピュラー音楽が新鮮で
カルチャーショックだった。
それから、毎週聴くようになった。
今は亡き正統派ディスクジョッキーの小島正雄さんの
ソフトな声に少女の心はときめくのだった(笑)
小学6年生の頃は
午後11時からの
高知放送のラジオ番組
“ミッドナイトスタンド”を布団の中で聴くようになった。
オープニング曲が
グリーンオニオンだった。
スティーヴィーワンダーが
リトル・スティーヴィーワンダーって呼ばれていたような記憶がある。
6年生の終わりにビートルズを聞き
中学生になると、ローリングストーンズやリバプールサウンド
サム&デイヴ、オーティス・レディング
も聞くようになった。
日本ではグループサウンズが流行り
カーナービーツ、ゴールデンカップス好きだった。
そして、ジャニーズ、フォーリーブスもファンになり(笑)
フォーリーブスのファンクラブに入って
大阪までコンサートに行ったこともあった。
ラジオはもちろん、深夜放送
オールナイトニッポンだった。
高校生になると、ロックも聞くようになり
3年生の夏休みに
“ウッドストック”の映画を見に行った帰り
雨が降ってきたので
「台風がきてるみたいよ」と一緒に行った友達と家の前で別れた。
翌朝、上陸した台風でいきなり家が床上浸水してしまった。
3年生の冬休みに
吉田拓郎が来たので
受験勉強の息抜きに行ったら
泉谷しげるが、大暴れしていた。
横浜の短大に進学し
横浜文化体育館でのフォークコンサートで
吉田拓郎と六文銭の四角佳子が
お揃いのスニーカーを履いていたのに
気がついて、
古井戸のファンになった。
伊勢佐木町のデパートの屋上に
古井戸がラジオの収録できていたので
よく聞きに行った。
仲井戸CHABO麗市サンが好きだった。
短大卒業とともに高知に帰り仕事を始めた。
昼休みに行く、珈琲専門店のZUMZUMで
よくかかっていたのが、ユーミンだった。
姉の同級生がドラム
友達のお兄さんがベースの地元バンドが
上田正樹とサウストゥサウスの前座でやるので見に行った。
キーボードの中西康晴クンに一目惚れした(笑)
上田さんが、このバンドを気に入って
サウス解散後、高知で合宿に入った。
が、しかし、私は結婚のため横浜に。
家事、育児で音楽から遠のいた時期があったが
TVKテレビの音楽番組、FM東京、FM横浜を聴いていると
久保田利伸クンの“流星のサドル”、“TIMEシャワーに射たれて”に
衝撃を受けた。
その頃、夫がテニススクールに通っていて
若い仲間が久保田クンのCDをカセットにダビングしてくれたが
録音バランスが悪くて
CDを買いにCDショップに走った。
1987年の冬だった。