今日は、「食堂車の日」。
入社してしばらくして2年後輩の者と出張したことがありました。
当時は新幹線に食堂車があって、二人で行った帰りのことですが、東京から
大阪までずっと食べ続けた訳です。彼は大学のボート部員にも負けなかったと
言い、当時私はラグビーをやっていて、負けん気一番。最後は、うどんの汁を
飲み干した私の勝ちになった次第です。瘦せの大食い、今は昔の思い出です。
きのうは、朝ドラが終わってから妻との短い1回目の散歩、2,300千歩でした。
涼しい時間帯のちょうど良い距離で、妻は気に入ったようです。
次に、歯科の最終調整に行き、ついでにロピアにあるダイソーで作品収納ケースを
買いました。北斎作品はこれに入れてホコリ防止です。
きのうは、計、6,365歩で目標達成でした。
日の入り後の富士山、久しぶりに見れました。
今朝はうっすらと見えるだけです。
今日は内科検診の日です。朝飯抜きで、血液検査です。
以下はネットに解説です。
今日は何の日 | 雑学ネタ帳 (zatsuneta.com)
1899年(明治32年)のこの日、私鉄の山陽鉄道(現:山陽本線)において、官設
鉄道・京都駅~三田尻駅(現:防府駅)間の急行列車に日本で初めて食堂車が
連結されて走った。
当時の食堂車は一等・二等車(現:グリーン車)の乗客専用で、メニューは洋食
のみであった。当時の列車は揺れが激しく、ゆったりと食事をするというものでは
なかったようだが、それでも「汽車で景色を見ながら洋食を食べるなんて、モダン
だ」と好評であった。食堂営業は山陽鉄道の直営の後、神戸の「自由亭ホテル」
(後の「みかど」)の請負いとなった。
官営鉄道(国鉄)に食堂車が登場したのは、それから2年後の1901年(明治34年)
12月15日のことで、新橋駅~神戸駅間の急行列車に食堂車が連結された。食堂
は東京・築地や上野で西洋料理店を営む「精養軒」により運営された。
その後、1906年(明治39年)4月1日に新橋駅~神戸駅間の三等急行列車に和食
堂車が初登場し、誰でも食堂車を利用できるようになった。日常の生活習慣などを
考慮してメニューは和食が主体であったが、一般に普及している洋食も提供された。
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