お稽古している方は必ず問答で出てくる“利休形”・“利休好み”。それらの道具にどういう印象を持っていますか。利休様が関わる道具には、好まれたもの、作られたもの、見立てたものの3つがある。
利休様が好まれた素材は、木地、黒・朱の塗り、無地。まさにシンプル。柄のものはほとんどなく、余計なものを全て削ぎ落とし完成したSIMPLE IS BESTの世界といった感じ。今もそれが大切にされる理由は何に使ってもフィットするということも大きいと思う。利休様という方は今風に言えば時代の最先端デザイナー、アーティストだったのではないでしょうか。
さて、まず好まれたものについて。これは利休様本人が好み、職人方に作らせたもので、今もデザインの原型が残っていて模すことができる。
”利休好みの中棗でございます”
薄茶平点前の道具拝見問答の基本として習ったと思うが、これは利休様が好んで、宗哲に作らせたベーシックな形の中棗のこと。千家十職の塗師中村家には、利休好みの寸法・型が、型紙や木型の形できちんと残っているそうだ。三代宗哲による利休十二器というのを写真で見たことがあるが、並んでいると美しい。十二の名称は、一服入、小棗、中棗、大棗、大雪吹、小雪吹、面中次、茶桶、スンキリ、下張、白粉解、薬器。聞いたことがあるのではないでしょうか。
また、中村家には利休形手燭の寸法も伝わっている。夜を演出する灯として、主客の間で行き交う手燭、ぎりぎりまでシンプルにしたデザインと機能性を持って美しい。
木地の釣瓶水指。通常木地の道具は一回限りの使用だが、今日庵には利休様の花押と宗旦の添書のある木地釣瓶水指が利休様所持の形見本歌として残っており、千家十職指物師駒澤家ではこれにならって今も作っているという。
また中でも楽茶碗は利休様が想いを託して作らせた道具として名高い。長次郎と出会い、手づくねで作って生まれた存在感。“無一物”や“大黒”。利休好みの集大成とも言えるでしょう。
他、懐石道具の黒椀(一文字椀、上り子椀、丸椀)、朱引盃・盃台、利休箸、釜(阿弥陀堂、四方、布団、雲龍、尻張、丸など)、黒塗手桶水指、露地下駄など利休形と呼ばれるものは多岐に渡る。これらは今も使われていて、用と美を兼ね備えたものと感じるし、今尚古びた感じがしない。
茶道を習っていない方には、利休箸が一番見ている可能性が高いと思います。これは和食やさんで結構使われています。両端がすぼまっていて、上下どっちでも使える真中がふくらんでいる杉の箸、覚えがありませんか?あれは利休様のデザインです。
次に、利休様自身が作られたもの。茶杓や花入といった竹で作ったものが多く残っています。例えば、先日三井美術館で見た茶杓もそうでしたし、徳川美術館にあり、利休様切腹の最後の茶会に用い、古田織部に与えたといわれる茶杓“泪(なみだ)”、利休様から細川三斎に形見としておくられたとされる茶杓“ゆがみ”、竹花入“尺八”など。
そして見立てたもの。有名なのは、桂川で漁師が使っていた魚篭を譲り受けて花入に見立てた“桂川籠花入”。これは、以前“忠臣蔵と宗偏流”の中でもご紹介しましたが、討ち入り当日の吉良邸の茶会で花入に使われていたものとしても有名です。
他、根津美術館蔵の井戸香炉“此世”は朝鮮半島では塩笥(塩を入れる入れ物)だったのを香炉に見立てたもの、瀬戸獅子香炉は神前に備える狛犬の焼き物を口から香をはかせるようにして香炉として仕立てたもの、高麗茶碗や井戸茶碗は朝鮮半島では飯茶碗として使われていたものを茶碗に見立てたもの。
見立ては日本人の審美眼の表れとでもいえるでしょうか。本来あるべき姿ではなく、別のものとしてみる。利休様の時代から周囲にあるものを工夫して使用してきたと考えると、海外などでいわゆる茶道具がなくても周囲にある食器や道具を見立てて茶会をすることもできるし、それこそが利休様が求めた道具ではない心を大切にせよとの茶の世界に通じるのかもしれません。
これほどにたくさんの好みや道具を利休様が作り出されたのは、何故か。
堺の町衆という立場から様々な優れた人と交流できたこと、それなりの経済力があったこと、いいものや珍しい輸入品等を見る機会に恵まれたこと、創造力があったことなどの理由からでしょう。我々も積極的にいいもの、様々なものを見る方がよさそうです。
先日、本屋さんで利休形・利休好みのものだけ集めた写真集を見ました。1万円もする本だったので購入はしませんでしたが、大きく写された道具は本当にシンプルで美しく、見入ってしまいました。本当にいいものというのは時代を超えて残っていくのだと思います。
利休様が作ったものを手にする機会に私が巡り合うことはないでしょうが、せめて利休形の道具を見、触れることで利休様の心を感じたいと思います。でも、叶うならば利休様が作らせた長次郎の本物の楽茶碗を持ってみたい、その茶碗で抹茶を頂いてみたいという気持ちがあります。多分、茶碗は見るだけと手にとれるのとでは全く違うと思うから。
利休様が好まれた素材は、木地、黒・朱の塗り、無地。まさにシンプル。柄のものはほとんどなく、余計なものを全て削ぎ落とし完成したSIMPLE IS BESTの世界といった感じ。今もそれが大切にされる理由は何に使ってもフィットするということも大きいと思う。利休様という方は今風に言えば時代の最先端デザイナー、アーティストだったのではないでしょうか。
さて、まず好まれたものについて。これは利休様本人が好み、職人方に作らせたもので、今もデザインの原型が残っていて模すことができる。
”利休好みの中棗でございます”
薄茶平点前の道具拝見問答の基本として習ったと思うが、これは利休様が好んで、宗哲に作らせたベーシックな形の中棗のこと。千家十職の塗師中村家には、利休好みの寸法・型が、型紙や木型の形できちんと残っているそうだ。三代宗哲による利休十二器というのを写真で見たことがあるが、並んでいると美しい。十二の名称は、一服入、小棗、中棗、大棗、大雪吹、小雪吹、面中次、茶桶、スンキリ、下張、白粉解、薬器。聞いたことがあるのではないでしょうか。
また、中村家には利休形手燭の寸法も伝わっている。夜を演出する灯として、主客の間で行き交う手燭、ぎりぎりまでシンプルにしたデザインと機能性を持って美しい。
木地の釣瓶水指。通常木地の道具は一回限りの使用だが、今日庵には利休様の花押と宗旦の添書のある木地釣瓶水指が利休様所持の形見本歌として残っており、千家十職指物師駒澤家ではこれにならって今も作っているという。
また中でも楽茶碗は利休様が想いを託して作らせた道具として名高い。長次郎と出会い、手づくねで作って生まれた存在感。“無一物”や“大黒”。利休好みの集大成とも言えるでしょう。
他、懐石道具の黒椀(一文字椀、上り子椀、丸椀)、朱引盃・盃台、利休箸、釜(阿弥陀堂、四方、布団、雲龍、尻張、丸など)、黒塗手桶水指、露地下駄など利休形と呼ばれるものは多岐に渡る。これらは今も使われていて、用と美を兼ね備えたものと感じるし、今尚古びた感じがしない。
茶道を習っていない方には、利休箸が一番見ている可能性が高いと思います。これは和食やさんで結構使われています。両端がすぼまっていて、上下どっちでも使える真中がふくらんでいる杉の箸、覚えがありませんか?あれは利休様のデザインです。
次に、利休様自身が作られたもの。茶杓や花入といった竹で作ったものが多く残っています。例えば、先日三井美術館で見た茶杓もそうでしたし、徳川美術館にあり、利休様切腹の最後の茶会に用い、古田織部に与えたといわれる茶杓“泪(なみだ)”、利休様から細川三斎に形見としておくられたとされる茶杓“ゆがみ”、竹花入“尺八”など。
そして見立てたもの。有名なのは、桂川で漁師が使っていた魚篭を譲り受けて花入に見立てた“桂川籠花入”。これは、以前“忠臣蔵と宗偏流”の中でもご紹介しましたが、討ち入り当日の吉良邸の茶会で花入に使われていたものとしても有名です。
他、根津美術館蔵の井戸香炉“此世”は朝鮮半島では塩笥(塩を入れる入れ物)だったのを香炉に見立てたもの、瀬戸獅子香炉は神前に備える狛犬の焼き物を口から香をはかせるようにして香炉として仕立てたもの、高麗茶碗や井戸茶碗は朝鮮半島では飯茶碗として使われていたものを茶碗に見立てたもの。
見立ては日本人の審美眼の表れとでもいえるでしょうか。本来あるべき姿ではなく、別のものとしてみる。利休様の時代から周囲にあるものを工夫して使用してきたと考えると、海外などでいわゆる茶道具がなくても周囲にある食器や道具を見立てて茶会をすることもできるし、それこそが利休様が求めた道具ではない心を大切にせよとの茶の世界に通じるのかもしれません。
これほどにたくさんの好みや道具を利休様が作り出されたのは、何故か。
堺の町衆という立場から様々な優れた人と交流できたこと、それなりの経済力があったこと、いいものや珍しい輸入品等を見る機会に恵まれたこと、創造力があったことなどの理由からでしょう。我々も積極的にいいもの、様々なものを見る方がよさそうです。
先日、本屋さんで利休形・利休好みのものだけ集めた写真集を見ました。1万円もする本だったので購入はしませんでしたが、大きく写された道具は本当にシンプルで美しく、見入ってしまいました。本当にいいものというのは時代を超えて残っていくのだと思います。
利休様が作ったものを手にする機会に私が巡り合うことはないでしょうが、せめて利休形の道具を見、触れることで利休様の心を感じたいと思います。でも、叶うならば利休様が作らせた長次郎の本物の楽茶碗を持ってみたい、その茶碗で抹茶を頂いてみたいという気持ちがあります。多分、茶碗は見るだけと手にとれるのとでは全く違うと思うから。
名前がついているというのはすごいことですね。
400年くらいもずっと伝わってきてるってことでしょ?
偉大な人だったんですね。
裂地 も 利休間東 や利休緞子
いずれも渋い!! 利休間東 欲しいデス
そう、400年以上伝わってきてるってすごいよね。
音楽、絵画、小説など、本当にいいものってずっと伝わっていくんだよね。
利休様の作ったもの、好んだものは本当にシンプルで美しいので、今度図録で見て見てね。
そうですね、色も裂地にもありますね。
利休と名のつくものを並べていったら面白そうですね。
すっきりとして、品がよく、私も欲しいです!