世の中、そうそう期待通りにはいかないものである。“期待”と“現実”は様々な場面で私達の心を翻弄する。
会社では課長・部長クラスになると、フォローアップ研修のようなものがあって、その事前資料として部下に上司に対するアンケートをとることがある。皆に部の方向性を伝えられているか、上司として部下に適切な指導をしているか、など質問が並び、五段階評価する。その結果をベースに、上司自身が思っている像と、部下が感じている像のギャップを図り、今後の行動に生かすという研修だ。
このアンケート、無記名だが、人数がそれほど多いわけではないのである程度誰が書いたか察しはつくと思われる。上司はその現実の結果を見た瞬間に、自分がどう期待されているのかを知ることになる。
他者に対する信頼は、その人への“期待”と、実際にその人が起こした“現実”のバランスによって変化する。
「期待」=「現実」であれば、信頼は保たれ、
「期待」>「現実」であれば、信頼は下がり、
「期待」<「現実」となれば、信頼は高まる。
色々な場面でうまくいっている人、信頼されている人というのは、相手の自分に対する“期待”が、自分が相手にしている“現実”とマッチしているのかどうか強く意識しているし、よくわかっている。
例えば営業やサービス業では、お客さんのニーズを見つけ期待通りの提案をし、対応することで顧客満足度は高まる。車の販売で、ディーラーが十分に車の知識を持ち、お客様がどう使用したいのかを読み取ってタイミングよく情報を伝え提案すればお客もディーラーを信頼し購入を考え、結果店ももうかる、といった具合。
上司と部下の関係も同じで、部下のニーズを見て(どう仕事したいか等)指示を出すことで信頼は高まり、部下はいい仕事をしてくれる。社会に出ると、学歴だけでは語れないことがよくある。頭がよくても、人の気持ちや周囲の空気を読み取ることに疎い人、不器用な人というのがいる。
けれど、本当の意味で優れた人はそれだけに留まらないようだ。ニーズに対応した上で、相手の“期待”よりちょっと上回ることをする。小さなサプライズ、驚きは相手に“信頼”の上に“喜び”を与える。私自身も思いがけないお誘いや言葉、贈り物等には嬉しくてウキウキしてしまう。相手の“期待”を掴み、それを上回る“現実”を示し、更に小さなサプライズを起こすというのが人心掌握の基本なのかもしれません。
こんな風に言葉にしてしまうと少々いやらしい感じがするし、誰しも日々そうそう意識して行動をおこしているわけではなく、仕事と日常生活では意識の仕方も違ってくるものですが、要は全ての人間関係やコミュニケーションは相手の気持ちを察すること、信頼し合えること、これに尽きるのでしょう。あとは相手に過度に期待しすぎないこと、これも大切なことですね。一人ひとりのお互いの思いやりが温かい社会を作っていくように感じます。
相手の気持ちを察することは茶道の様々な場面でも重要なこと。でも、それ以外に、サプライズがあった時、茶席はもっと楽しくなるのだなぁ、と思いました。自分が茶事をするようになったら、当たり前のように準備すること以外に考えよう、小さなサプライズ!一体何ができるかしら。
皆さん、茶席や日常生活の中で思いがけないサプライズに会った経験がありますか?是非教えて下さい。
会社では課長・部長クラスになると、フォローアップ研修のようなものがあって、その事前資料として部下に上司に対するアンケートをとることがある。皆に部の方向性を伝えられているか、上司として部下に適切な指導をしているか、など質問が並び、五段階評価する。その結果をベースに、上司自身が思っている像と、部下が感じている像のギャップを図り、今後の行動に生かすという研修だ。
このアンケート、無記名だが、人数がそれほど多いわけではないのである程度誰が書いたか察しはつくと思われる。上司はその現実の結果を見た瞬間に、自分がどう期待されているのかを知ることになる。
他者に対する信頼は、その人への“期待”と、実際にその人が起こした“現実”のバランスによって変化する。
「期待」=「現実」であれば、信頼は保たれ、
「期待」>「現実」であれば、信頼は下がり、
「期待」<「現実」となれば、信頼は高まる。
色々な場面でうまくいっている人、信頼されている人というのは、相手の自分に対する“期待”が、自分が相手にしている“現実”とマッチしているのかどうか強く意識しているし、よくわかっている。
例えば営業やサービス業では、お客さんのニーズを見つけ期待通りの提案をし、対応することで顧客満足度は高まる。車の販売で、ディーラーが十分に車の知識を持ち、お客様がどう使用したいのかを読み取ってタイミングよく情報を伝え提案すればお客もディーラーを信頼し購入を考え、結果店ももうかる、といった具合。
上司と部下の関係も同じで、部下のニーズを見て(どう仕事したいか等)指示を出すことで信頼は高まり、部下はいい仕事をしてくれる。社会に出ると、学歴だけでは語れないことがよくある。頭がよくても、人の気持ちや周囲の空気を読み取ることに疎い人、不器用な人というのがいる。
けれど、本当の意味で優れた人はそれだけに留まらないようだ。ニーズに対応した上で、相手の“期待”よりちょっと上回ることをする。小さなサプライズ、驚きは相手に“信頼”の上に“喜び”を与える。私自身も思いがけないお誘いや言葉、贈り物等には嬉しくてウキウキしてしまう。相手の“期待”を掴み、それを上回る“現実”を示し、更に小さなサプライズを起こすというのが人心掌握の基本なのかもしれません。
こんな風に言葉にしてしまうと少々いやらしい感じがするし、誰しも日々そうそう意識して行動をおこしているわけではなく、仕事と日常生活では意識の仕方も違ってくるものですが、要は全ての人間関係やコミュニケーションは相手の気持ちを察すること、信頼し合えること、これに尽きるのでしょう。あとは相手に過度に期待しすぎないこと、これも大切なことですね。一人ひとりのお互いの思いやりが温かい社会を作っていくように感じます。
相手の気持ちを察することは茶道の様々な場面でも重要なこと。でも、それ以外に、サプライズがあった時、茶席はもっと楽しくなるのだなぁ、と思いました。自分が茶事をするようになったら、当たり前のように準備すること以外に考えよう、小さなサプライズ!一体何ができるかしら。
皆さん、茶席や日常生活の中で思いがけないサプライズに会った経験がありますか?是非教えて下さい。
どんなことがありうるんでしょう?
ちょっと見当がつかないのですが、
興味あります。
おしえてください。
日常生活の中でのサプライズ経験ですが、
仕掛けるほうでは、
●相手の好物や、「食べてみたい」と聞いていたものを手みやげに持っていく
●落ち込んでいる人に小さな花束をプレゼント
もらったほうでは、
●誕生日前後の会食で、デザートに蝋燭が!
です。今思い出せるのは。
仕掛け好きなので、もっと劇的かつ効果的なことをやって、はげしく驚かれつつ大喜びされたいという野望に実は燃えています。
虎視眈々と機会をうかがっているのですよ。ふふふ。
この年になると何事も期待しない癖がついてしまいました。
だからかもしれません、
何が起きてもあきらめ上手、喜び上手です。
お茶室でのサプライズ、難しいですね。お道具の取り合わせで思いがけない取り合わせがあったり、棗の蓋を開けたら裏に見事な細工がされているのを発見したり、見たこともないお菓子を出されたり、とやはり期待以上の珍しい出来事に出会った時ということになるでしょうか。大学の茶道部では学生ならではの斬新な趣向で茶会をしていたので、それはサプライズでしたね。
サプライズは日常生活のスパイス。平凡や当たり前なことは幸せではあるけれど、それだけじゃつまらない。
お互いをサプライズさせるような仕掛けを考えておくとしましょう。ふふふ。
なるほど、何事も期待しない癖、何が起きてもあきらめ上手、喜び上手。
含蓄のあるお言葉です。思いも及びませんでした。
私はまだまだだなあ。期待してはがっかりなんてことがたくさんあります。
なんでも喜び上手になりたいです。でも、誰かを喜ばせるサプライズは探し続けたいですね!
そうですね、人の気持ちを汲むことは忘れないようにしたいと思います。