先日、義父の七回忌法要がありました。
お坊さんのお話は心に残るものでした。
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回忌は何のためにあるのか。
それは生きている人のためにあります。
3回忌、7回忌、13回忌と、
その方が亡くなってからの2年間、6年間、12年間、どんな風に過ごしましたか。
これから始まる3年目、7年目、13年目をどのように過ごしますかと
考える節目にするのです。
亡くなった人は姿としては見えないけれど、生きている皆さんが幸せであるように
いつも見守っている。
亡くなった人は、もう美味しいものも食べられないし、お金も意味もない、けれど、
それをお供えすることで、生きている人が嬉しい気持ちになる、
日々ありがとうという気持ちで過ごせる、それを望んでいる。
「「ありがとう」という言葉の反対語を知っていますか?
他の国の言葉、例えばthank you や謝謝にはその反対語はないんですよ。」
「あたりまえ」です。
「ありがとう」とは、有り難いが変化した言葉。
有り難いの反対は、有るのが普通、つまり、「あたりまえ」。
「あたりまえ」になると人は感謝を忘れる。
例えば、電車が遅れてきたとする、その後、乗れて、目的地に遅刻して到着した、
その時、どう考えるか。
一人の人は、電車が遅れたけれど、何かあったのかしら、大丈夫かしら?電車がきてよかった。
遅れちゃったけど、無事到着してよかったわ~。
もう一人は、なんで遅れるんだ?運転士は何をやっているんだ?遅れたせいで仕事に遅れたじゃないか!
前者は感謝している、後者は電車は遅れないのが当たり前で文句を言っている。
どちらが幸せか。豊かか。
それから、お互いを敬うことも大切です。
勿論、全員とソリが合うわけではないので、必ず仲良くしたり、
尊敬したりしなくてもいいんだけれど、
自分と合わないなあという人も、こういう人なんだ、私とは違うなと
敬う=認めることが大切。
その上で、合わないなら距離を置く。
何事も自分だけではできなくて、お互いに出来ることを精一杯やって、世の中は動いている。
だから、「あたりまえ」と思わずに、やってもらって「ありがとう」と感謝して生きる方が、
人生はもっと豊かになります。
今日からまた何事にも感謝して過ごせたらいいですね。
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子供達は、驚いたように頷いて聞いていました。思うところがあったようです。
本当に、自分が今、食事ができること、水が簡単に飲めること、なんでも、それを整えてくれる人がいるからこそ。
では、自分が誰かのためにできることは何か?
そう考えて、行動出来たら、世の中は穏やかにみんなで幸せになれるんだなあと改めて思いました。
自分の心持ひとつで、自分も穏やかに過ごせるし、相手にも嫌な思いをさせなくて済む。
これは、茶道の考え(=禅の教え)にも通じています。
『茶遊庵』の体験にいらした方には一番最初にお話するのですが、
茶道には四規七則という大切にしている教えがあります。
四規 = 和敬清寂 わけいせいじゃく
互いに和し合い、敬い合い、清らかに素直な心で、どんな時も動じない心で。
七則 = 茶道をする上で心得ておくべき一番大切なことは何ですか?との弟子の問いへの利休様の答え。
茶は服のよきように点て
炭は湯の沸くように置き
花は野にあるように
夏は涼しく冬は暖かに
刻限は早めに
降らずとも雨の用意
相客に心せよ
当たり前のように思えるが、それを難なくすることこそ難しく、普段からの心がけが大切。
茶道では、自然であること、相手を大切にすること、を基本に行動します。
季節がくれば咲く花を見て、自然の偉大さを感じ、掛軸の言葉を味わって、
様々な邪念に振り回される自分を振り返ります。
相手が心地良く過ごしてもらえるように考えて準備をします。
お客様はその準備に感謝してお茶を楽しみます。
いろんな邪念に振り回されている私ですが、
お坊さんの話を聞いていて、
有り難いと感謝し、「ありがとう」を沢山言えるような日常にしていきたいと改めて思いました。
時々、振りかえること、これが必要なんだ、回忌の意味が本当の意味でわかった七回忌となりました。
お義父さん、ありがとう。