父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月14日

2004-12-14 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
上陸訓練もなく暇そう
戦果の拡張に はやくフィリピンへ行かないと
出番がなくなると焦っている。



14日(月)曇り 雨 風稍あり

昨夜R本部へ連絡に行った木村大尉、一門主計其の他
下士官兵十数名は昨夜波が大きくて帰れず、馬公
へ泊って今朝帰って来た。帰りにはものすごい風波で
小発動艇はすっかり波をかぶってしまひテンプクの
危険があったさうだ。命を拾ったと皆言ってゐた。
昨夜は夕方膨鼓島地区空襲警報が発
せられ二、三時間で解除になった。今日のラヂオで
高尾附近へ偵察機らしきものが現はれた
が直に姿を消したと報じた。
今日は終日小雨。
船の中は相変わらず何もする事なくて飯を食って将ギをさし
て、雑誌を読んで昼寝するだけ。もう神武○を出発
してから一ヶ月になる。陸海軍の精鋭はどんどん戦
果を拡張してゐるし、我々が上陸する頃はフィリッピン
も敵がゐなくなってしまふ。船の中で○を撫して
焦れるばかりだ。
今日は日直。十三時に工兵を交替しただけで大した
用事なし。水の使用が多すぎて此の先が心配
だから節約して呉れと輸送副官から注意される。
今日の大きなニュースはマレー半島上陸の陸軍は
敵の機械化一ヶ師団を撃滅したと、口獲兵キ
は戦車20・速射砲16門・貨車60輌と。

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○ *などは 読めない漢字 不確かな文字などです。


平成16年 12月14日の新聞から

今年の世相を象徴する漢字は 「災」