父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月25日

2004-12-25 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
25日(木)晴れ 暑し

     ビナロナン宿営

起床五時。出発は六時三十分。戦砲隊は中隊
長の指揮でキャレプワンに向かひ本部
に追及。朝の中は涼しいので少し速度を増
す。南下するに従い、道路の両側に馬の屍が
棄ててある。クサって臭気鼻をツク。砲兵隊は野
重八が一ヶ大隊我々の先に行ってゐる。昨夜
出発したのだ。経路はダルモティスから左折
ロザリオ、--キャレプワンーーアゴットーー
シソンーーボゴナレーーポゾルビオ・を経て
ビナロンレに至る。途中ロザリオの手前の吊橋
が破壊されたのを修理してあり、最徐行。
キヤプワレの吊橋も同じく応急修理の橋で
火砲を外して○○で通過する。此処で野重八
に追いつく。シーソレ、ギブナン附近は激戦
が行はれたらしく、土民兵の死体が道端に
数多コロがってゐる。皆土民兵ばかりで○○たる
米人は一人も死んでゐない。土民兵こそ可哀想だ。
土民は全部逃げてしまってゐて一人も居ない。ビナ
ロナレに近くなってやっと土民を見るやうになった。
空の民家には水牛、豚。鶏等が主人を失って
日本兵に驚いて飛び廻ってゐる。道路はNatio-
nal Roadでアスファルトの立派なものだ。自動
車専用道路らしい。カレプワレの所の国道は
新道は橋を破壊されてしまってやむなく○道を
通ったので吊橋が危険だったのだ。シーソレ
附近で野重八を追ひこす。8SAは牽引車が
全部ガソリン機関なので過熱してしまって早く
走れないやうだ。道路がいゝので全く自動車
部隊はいゝ。それに土が乾いてゐて火砲も
決してもぐらぬ。途中、約一時間毎に小休止
して行進、休止の度に附近の空いた民家へ行
って兵たちは何か探して来る。フィリッピンの土人
はなかなか生活程度が高いらしく、どんな家に
もミシンがある。もう前の部隊が盛に暴れた*
あとだ。
ビナロナムに着いたのは三時頃、此処に□司令
部があり、ISA本部、I本部等もゐる。今夜は此
処に宿営と決る。第一線はまだ南方らしい。
ビナロナンは此の附近ではなかなか大きな町らし
い。住民は土民が僅かきりゐない。町の中の
空いた民家に宿営する。豚や鶏が澤山ゐる
ので飯のお菜には不自由しない。民家へ入ると食
物が澤山ある。砂糖は実に澤山ある。
自動車が澤山棄ててあり先に行った部隊が
皆徴発してしまふ。ISAでも乗用車や貨車を徴
発して使用しなければ積載品が多すぎて仕様が
ない。もうおそいので使えるやうな車は置いてない。
今日指揮小隊でフォードの乗用車を拾った。まだ
使へる。中隊長車とする。
夜崎山中尉が話に来る。民家の庭でローソクの灯
で日記を書き12時頃寝る。民家には座ブトン位
の大きさのフトンが澤山あるのでそれを敷いて寝る。
昨夜寝られなかったので今夜はぐっすりと寝る。
今日、ビナロナンの歩兵□司令部に米人将校の捕虜
がゐて、取り調べを受けてゐた。米人を見たのは始めて
だ。

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