父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月24日

2004-12-24 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
今日はクリスマス
そんなことは戦争中の日本の軍隊には関係ないか

さあ上陸だ



24日(水) 晴れ 風 海は至っておだやか

戦砲隊 指揮小隊上陸

今日こそは上陸出来なくてはと考へてゐると、朝
船を岸に近く移動させる。昨日はアトラス丸が移動し
で撃たれた所。真直ぐに岸に向かふと浅瀬がある
のでぐるっと遠廻りをする。岸へ2000米位の所。
各船が皆廻って来る。十時過ぎから上陸開始
になる。午后から大発が3台来たので非常にハカドル。
始めに中隊長と作業の兵20名が小発で先発、次に
牽引車を積んで僕*が行く。岸は遠浅でなく、水際の
五米位まで艇が行く。まだ何の設備もないので
自分で上陸せねばならぬ。牽引車は簡単に舟から上
がったが次に第一分隊の火砲は三尺位の水中に落して
しまって上げるのに苦労する。あと○○に上陸したが途
中から桟橋が出来て桟橋の着くやうになり楽
になる。戦砲隊の半分、指揮*小隊の大部が上った頃
大発三台を一台にヘラサレてしまってまたハカドラナクナル。
もう真暗になり、今夜どうしても三中隊全部上げてしま
ひたいので僕が旭光丸の独工の中隊長山本中尉
の○に舟を増して貰へるやうに連絡に行く。生憎留
守。大野中イ、クボ田少イ等に会ふ。再び陸へ帰って
九時頃。今夜は十二時頃迄一台で作業して段列貨
車四を残して全部上げてしまふ。上陸地点はサン
トマスではなくてダモルティスの○。北方二粁位の所。
今夜は○○の両側に露営。今日上ったのは
野重一ではR本部の一部。I本部の指揮班、及
三中隊の大○、○隊は一門の大砲が上がったヾけ。
他はまだ全仝上らぬさうだ。こんなにおそくなっても
三中隊が一番早いと言ふので安心した。
今日の上陸には中隊長はまるで兵隊のやうにシャツ一枚
サル又一つになって例の如く口ウルサク立ち廻ってゐる。
一人で分隊長も小隊長も兼ねてゐる。
陸にはヤシと甘藷が澤さんある。暑くて喉が乾く
ので甘藷をボリボリ噛んだり、ヤシの汁を吸ったり
する。ヤシの汁は酒のやうな味がして、あまりウマクない。
土民の家が澤さんあるが皆荒らされてしまって支那兵
略奪の跡のやう。日本兵もやはり盗むんだなと考
へた。而し土民が一人もゐない。空の家なので仕方が
ないかもしれない。船員達が澤さん降りて来て民
家からめぼしいものを取って持って帰る所を警備
の将校に叱られて没収されゐた。船員もなか
なかあくどい。
宿舎は土民の家で床が五六尺も高く、はしごで
上る。明日はうちと工本だけ出発するのださうだ。
十二時過ぎに寝たがなかなかねられない。

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○ *は 読めない漢字 不確かな文字などです



「日本兵も盗むんだな」「船員もなかなかあくどい」には
考えさせられる