父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月17日

2004-12-17 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
17日 (水)曇ったり晴れたり 涼し

朝 昨日R本へ連絡に行った中隊長が帰って来る。
出発手当の残額を貰って来て呉れた。130円。金ばか
り300円以上も今持ってゐても使ふ所がない。貯金
も出来ず。
午前中は停電で何も出来ず。
昼から船倉へ下りて車輌の上陸順序等を研究する。
夕方 中隊長に呼ばれて上陸について研究する。我々の
上陸には大発一と門橋一きり使へないのでなかなか大
変だ。十回往復しなければ全部上陸出来ない。それに
門橋の寸法 能力も不明だし、揚陸の設備も
はっきり連絡して来ないので計画がたてられない。
中隊長が連絡に行ったのならもっとはっきり連絡
して呉ればいいのに、全く駄目だ。上から言はれ
た通りはいはいと申受けて来るから、我々がやりにく
くて仕様ない。
夜九時頃迄上陸計画の作製にかかってしまった。
愈愈明日正午出発だ。フィリピンに向かひ輸送
船団の出発。我々輸送船団は馬公と基
隆と高雄の三ヶ所から集まって行くのださうだ。総隻
72隻とか。大したものだ。

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