父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月29日

2004-12-29 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
夜を徹しての行軍
橋は徹底的に壊されているらしい



29日 (月)晴れ 暑し

夜は大分冷える。ぢっとしてゐると寒い位。
今日は一日中行軍。殆ど休止もせずに行軍。大部隊の
行進なのでなかなか速度が出ない。戦砲隊の最後
尾を続行する3中隊は行進しにくゝて、休止としても先頭
部隊が休止する時間だけ休止出来ず。苦労する。橋梁
と言ふ橋梁は皆破壊されてゐて、工兵が作った假
橋を通るのだが此の度に我々重車輌は苦労する。敵
の奴、よくこんなにまで橋をこわして逃げたものだと感心す
る。今日の行軍は50粁進んだが殆ど敵影をみず。
Cavanatuan附近で敵は一大抵抗をするかとみえたが
これも断念したらしい。我々は敵を急追、急追して一揆
にManilaを衝く如く南下すると言はれた。
Binalonan-S.Manuel-Asingan-
Tayug-S.QuitinーUmingan-Lupao-
S.Jose-Munos-Balocと言ふ経路を取って
南下、食事の為にも僅か10分位の時間きり休止wpせ
ず。Uminganでは軽車両が準備した湯茶で喉を
湿す。此の町はなかなかきれいないゝ町だ。古い教
会や大きな建物等がある。住民も大分帰って
ゐる。S.Joseで夜の10時30分、12時迄の間
に食事二食分を準備と命ぜられで急いで飯
を炊く。此の町もなかなか大きい。鉄道の終点
になってゐるらしい。昨日から行軍続きで自動
車手は疲れてゐるので少しの時間でも假眠させる。
SanJose出発明け方の2.00 Munosを通って
 (以下 30日に連続)
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