父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月28日

2004-12-28 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
米軍は撤退 我が軍は前進!



28日 (日) 晴れ 暑し

  ビナロナン出発

七時起床、今日は午前中は兵器の手入れ、整備を
やらせる。今日は午后か、明朝早く出発するとか言ってゐ
たが 17.00出発と決る。今迄の前進方向はTayugから
Covanatuan方面。右継隊*に入って前進だと。
昨夜ISTで貰った陣中新聞 ”南十字星”によると、敵は
動揺の色濃く、マニラの軍隊は撤退を準備してゐるらし
い等と報じてゐる。米政府はマニラを無防備都市と宣
言するやう考慮中たとか。とに角敵はCavonatuam
附近に陣地を構築シ此処で主抵抗をなしその間
にマニラの軍隊を船に依り撤退するらしいと見られる。
マニラには輸送船が40数隻準備してあるとか。いくら
船で逃げやうとしてもマニラ湾外には我が潜水艦が
腕をさすって待ってゐるだらう。
此れからの主なる戦斗はCavanatuan附近で行
はれ此処が終ったらマニラは無抵抗に陥るだらふ。
今日、土橋兵団長より皇軍の徳を発揮せよとの訓示が
ある。土民をいたはれ、民家を荒らすな。等々。
毎日、よく晴れて暑い日が続く。フィリッピンの十二月はこん
な気候なのかと思はれる。土民は昨日あたりから続々
帰って来てゐる。顔をみると真黒で目ばかりぎょろぎょろと大
きく、身体はやせて細い手足をしてゐる。我々日本軍をみ
ると、日本指をあげてそれから両手をあげる。日本万才
と言ふ意味だらう。考へてみると土民等も可哀想な
ものだ。アメリカに踊らされ日本と戦ひ敗戦の憂
き目に遭ひ、兵隊は殺され妻子は困窮する。敗戦
国にはなるべからず。だ。
出発は午后になる。17.00出発と言ってゐたが段々おくれ
て20.00になる。早く夕食を済ませて暗くなってから出発。
指揮小隊は大隊指揮班と供に行動する。我々の方
面は左縦隊で我々は第二梯団。梯団長は入江
大佐、ISA、8SAの各一大隊が主力だ。各二大隊は右
縦隊でUldanedaの方向に今日昼頃出発した。
今日の命令では我々第二梯団はAsiuganを先頭
として決められた行軍部署により行軍隊形を作るべしと
言ふのだ。Asugan出発は明朝になるのに部署につく
各隊の車輌が混雑して今夜一晩中かゝってしまふ。
明方二時間位の休止があったが休止とも何とも命令され
ないので少しも休まず、兵は疲れてしまふ。8SAの貨車が溝
に落ちて操縦手が怪我をしたとか。

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○ *は 読めない漢字 不確かな文字などです


「敗戦国にはなるべからず」
負ける戦はしてはいけない 戦争には勝たなければいけないのだ。
しかし勝ち続けることは不可能だ。数年後には正に「敗戦国日本」となった。
そのとき父は何を思うのだろう?

「土民をいたはれ 民家を荒らすな」にはホッとする
土民とはどういうことか。
侵入しておいて いたはれ と言っても...