父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月30日

2004-12-30 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
昼夜の行進は眠くて危険
敵の攻撃はない



30日 (火) 

  バロック着

SanJose出発明け方の2.00。Munosを通って
Baolocへ。此の間約20粁を二時間で来てし
まふ。随分速度を出した。Balocで大休止、4.00
頃からずーっと休止しで朝食、昼食は此処で取る。
午后になって、又二食分準備を命ぜられ準備す
る。出発は今夜になるらしい。
Binalonanを出発して以来此の附近は殆ど
戦斗は行はれないらしく、敵の死体等は殆どみない。
AgnoRの傍に一寸あったヾけだった。敵は殆ど抵
抗せずにマニラ迄逃げてしまったのだらう。ルソン島の
南から上陸した北上軍と我々南下軍と何
方が先にマニラを陥れるか、その先陣争ひでこん
なに忙しい行軍をやるのだらう。もうCavanatuan
まで40~50粁だ。大隊副官中佐中村中尉の話
によれば又右縦隊のTarlak方向へ進行す
るらしいと言ってゐる。道路の状況で右の方へ転進
するのか。
此処Balocでは朝から夕方迄充分に休養した。又今
夜から夜行軍で24時間位続いて行進するのだらう。
昨夜などは分隊長以下全部眠ってしまひ操縦手も
時間眠って牽引車が路外へ落ちさうになる。自分も
眠くてし方ないが、危険で眠る所でない。
Balocは午后出発。1SAはtarlack方面へは転
進せず、8SAの一部が此の方面へ行ったらしい。
Taranerla - Cavanatian - S.Rosa -
を経てGapanに至る。例の如く○○所の橋梁は破
壊され通過するに大変時間と兵力を要する。
Cavanatuan附近の橋梁は立派な橋だが
完全に破壊され、工兵の手になった仮橋を通過
する。行進は殆ど100m行っては一時間休止し
また200m行っては一時間休止すると言うやうな工
合で一日に僅かに30-40km位きり走れぬ。そ
の間道路には他隊の貨車、戦車等副奏し、こんな
所を敵機に爆撃されたら大損害を蒙るに決っ
てゐるが幸ひにも敵の空中勢力が全く壊滅に
状態にあるためか殆ど敵機は飛来せず、対空
には殆ど顧慮外なので助かる。実際我々は戦争
をしてゐるんだか、難路行軍の演習に来てゐる
んだか分らぬ。敵弾がとんで来るわけではなし我
々が前進するよりも前に歩兵はどんどん進んで行っ
てしまふし、こんな呑気な戦争はない。兵隊がのんび
りしてしまって仕様がない。此の頃は月がだん
だん大きくなって今夜辺りは十二、三日頃か、道路
が明るくて工合よい。
Cavanatuanを過ぎて停止。夜明けまで
休止。食事は大概昼に乾パン、朝夕は米を
炊く。お菜の配給がないのでかく編成毎に勝
手に鶏などをつかまへて殺して食事にしてしまふ。 
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