月曜日。晴れ!ずっと雨、雨、雨のはずだったのになあ。起床は午後12時半。ここんところ2人
ともよく眠っている。ワタシの方で仕事がぎゅうぎゅうに詰まったせいで、四六時中ひとつ屋根の
下にいるのに2人が別々のバブルの中にいるような感じだから、食事時と寝しなはクオリティタ
イム。特に就寝前のひとときは、寝酒とおつまみで(たいてはカレシのだけど)とりとめのないお
しゃべりをしてリラックスする、安眠のためにも大事な時間。それで就寝が少し遅くなって、それ
につれて起床も遅くなっているというのが現状なんだけど。
ニューヨークからフィードバックがあって、「もう少し原文に忠実に」とのこと。ワタシとしてはいつ
も「英語らしく、ナチュラルに」を心がけてきたのを、訴訟の資料なんだからとかなり逐語訳に傾
いたつもりだったけど、まだ意訳っぽいところがあるということか。なるほどなあ。ま、これも利用
者のニーズに合わせて仕事をするということだから、きちんとフィードバックしてくれるこの会社、
うん、気に入った。実際のところ、逐語訳の方が深く考えなくてもいいので割と楽ちんだから、仕
事のピッチを上げられそうでいいか。サイモン&ガーファンクルの歌が聞こえてくるような。(バカ
にされても、罵声を浴びせられても)Just trying to keep customers satisfied(お客を満足させ
ようとしてるだけさ)・・・。
あれはかなり含みのある歌だけど、いるよなあ、どこへ行っても、何をしても、何を言っても嫌
われてしまう人。誰が見ても明らかに他人に害を及ぼす悪人なんだったらともかく、客観的に見
たら悪い人間ではないのに、嫌われたり、いじめられたりする人(whipping boy)がどの社会に
もいる。そういう人を攻撃する方は必ずと言っていいほど攻撃される方が「悪い」と言う。性格が
どうのこうの、言動がどうのこうの、過去の行いがどうのこうの、親兄弟がどうのこうの・・・。要す
るに「多数の規範」から外れているということかな。単に「嫌い」というのなら人間の性で済ませら
れるけど、「自分はああいう(悪い)ことをしない/言わないからいい人間だ」と自己評価の道具
に使う人もいるから、「嫌われ者」にはとんだ迷惑。同じことは大から小まですべての「人間集
団」についても起きることで、歴史を見渡すと、いつの時代にも「嫌われ者」人気ランキング1位
がいる(ある)から、人間てのはおもしろい生き物だと思う。
懐かしい歌の歌詞を思い出していたら思考があらぬ方向に行ってしまったけど、小町に子供が
検査で発達障害ではないと言われたのに幼稚園から(集団生活に問題があると)しつこく検査を
要求されて困っているという相談があって、最近どうも自分の配偶者、家族、義家族、友人、同
僚について「発達障害」を疑うトピックが増えて来たなあと思っていたところだったので、ちょっと
重なったんだろうな。ワタシは生まれついてこの方日本の「多数の規範」(常識?)にうまく適合
できたことがないので、日本で暮らしていたら「発達障害だ」と思われているかもしれないな。た
しかに、発達障害には無数の原因があるそうだし、「ここから先が正常」という明確な基準点が
ない無限の「スペクトラム」だから、ワタシにもひとつやふたつ該当するところがあってもぜんぜ
んおかしくないな。たぶんあるんじゃないかと自分でも思うけど、まあ、カナダ版の「多数の規範」
にはかなりうまく適合できているようだから、「問題なし」として良さそう。
その発達障害だけど、アメリカの精神医学会がその診断基準ハンドブック(DSM)の改訂で、自
閉症の診断基準の範囲を狭めるというニュースがあった。DSMはカナダでも使われているから、
カナダの教育界や社会福祉団体などが診断基準を満たさなくなって療育の支援を受けられなく
なる子供が出ると騒いでいる。だけど、診断基準には性格が原因で表れそうな行動項目もあっ
て、濃から淡に移り変わるスペクトラム。その果てしなく淡くなる方を詰めようということらしいか
ら、うがった見方をすれば、教育界や社会福祉団体にとっては「障害」を診断される子供の数が
増えればそれだけ予算や補助金の増加や教員の増員(つまり、教員組合にとっては雇用創出)
を要求できるわけで、それがなくなるということでもある。単にわがままな子や親が扱いにくいと
思っている子にまで「発達障害」のレッテルを貼るのはどうかと思うけど、教師も一介の生活者
だから、そういう発想がないとは限らない。(小町の相談でもあまりにもしつこく検査を要求する
ので、補助金目当てではないかという疑いを持っているという母親がいた。)
それにしても、大人の社会で(往々にして自分の思い込みでしかない)多数の規範にピシッとは
まらない人を発達障害じゃないかと疑うような風潮が出てきているしたら、怖いな。ひょっとした
ら、それも今どきメディアの煽りの産物なのかもしれないけど、そうだったらよけいに怖い・・・。
ともよく眠っている。ワタシの方で仕事がぎゅうぎゅうに詰まったせいで、四六時中ひとつ屋根の
下にいるのに2人が別々のバブルの中にいるような感じだから、食事時と寝しなはクオリティタ
イム。特に就寝前のひとときは、寝酒とおつまみで(たいてはカレシのだけど)とりとめのないお
しゃべりをしてリラックスする、安眠のためにも大事な時間。それで就寝が少し遅くなって、それ
につれて起床も遅くなっているというのが現状なんだけど。
ニューヨークからフィードバックがあって、「もう少し原文に忠実に」とのこと。ワタシとしてはいつ
も「英語らしく、ナチュラルに」を心がけてきたのを、訴訟の資料なんだからとかなり逐語訳に傾
いたつもりだったけど、まだ意訳っぽいところがあるということか。なるほどなあ。ま、これも利用
者のニーズに合わせて仕事をするということだから、きちんとフィードバックしてくれるこの会社、
うん、気に入った。実際のところ、逐語訳の方が深く考えなくてもいいので割と楽ちんだから、仕
事のピッチを上げられそうでいいか。サイモン&ガーファンクルの歌が聞こえてくるような。(バカ
にされても、罵声を浴びせられても)Just trying to keep customers satisfied(お客を満足させ
ようとしてるだけさ)・・・。
あれはかなり含みのある歌だけど、いるよなあ、どこへ行っても、何をしても、何を言っても嫌
われてしまう人。誰が見ても明らかに他人に害を及ぼす悪人なんだったらともかく、客観的に見
たら悪い人間ではないのに、嫌われたり、いじめられたりする人(whipping boy)がどの社会に
もいる。そういう人を攻撃する方は必ずと言っていいほど攻撃される方が「悪い」と言う。性格が
どうのこうの、言動がどうのこうの、過去の行いがどうのこうの、親兄弟がどうのこうの・・・。要す
るに「多数の規範」から外れているということかな。単に「嫌い」というのなら人間の性で済ませら
れるけど、「自分はああいう(悪い)ことをしない/言わないからいい人間だ」と自己評価の道具
に使う人もいるから、「嫌われ者」にはとんだ迷惑。同じことは大から小まですべての「人間集
団」についても起きることで、歴史を見渡すと、いつの時代にも「嫌われ者」人気ランキング1位
がいる(ある)から、人間てのはおもしろい生き物だと思う。
懐かしい歌の歌詞を思い出していたら思考があらぬ方向に行ってしまったけど、小町に子供が
検査で発達障害ではないと言われたのに幼稚園から(集団生活に問題があると)しつこく検査を
要求されて困っているという相談があって、最近どうも自分の配偶者、家族、義家族、友人、同
僚について「発達障害」を疑うトピックが増えて来たなあと思っていたところだったので、ちょっと
重なったんだろうな。ワタシは生まれついてこの方日本の「多数の規範」(常識?)にうまく適合
できたことがないので、日本で暮らしていたら「発達障害だ」と思われているかもしれないな。た
しかに、発達障害には無数の原因があるそうだし、「ここから先が正常」という明確な基準点が
ない無限の「スペクトラム」だから、ワタシにもひとつやふたつ該当するところがあってもぜんぜ
んおかしくないな。たぶんあるんじゃないかと自分でも思うけど、まあ、カナダ版の「多数の規範」
にはかなりうまく適合できているようだから、「問題なし」として良さそう。
その発達障害だけど、アメリカの精神医学会がその診断基準ハンドブック(DSM)の改訂で、自
閉症の診断基準の範囲を狭めるというニュースがあった。DSMはカナダでも使われているから、
カナダの教育界や社会福祉団体などが診断基準を満たさなくなって療育の支援を受けられなく
なる子供が出ると騒いでいる。だけど、診断基準には性格が原因で表れそうな行動項目もあっ
て、濃から淡に移り変わるスペクトラム。その果てしなく淡くなる方を詰めようということらしいか
ら、うがった見方をすれば、教育界や社会福祉団体にとっては「障害」を診断される子供の数が
増えればそれだけ予算や補助金の増加や教員の増員(つまり、教員組合にとっては雇用創出)
を要求できるわけで、それがなくなるということでもある。単にわがままな子や親が扱いにくいと
思っている子にまで「発達障害」のレッテルを貼るのはどうかと思うけど、教師も一介の生活者
だから、そういう発想がないとは限らない。(小町の相談でもあまりにもしつこく検査を要求する
ので、補助金目当てではないかという疑いを持っているという母親がいた。)
それにしても、大人の社会で(往々にして自分の思い込みでしかない)多数の規範にピシッとは
まらない人を発達障害じゃないかと疑うような風潮が出てきているしたら、怖いな。ひょっとした
ら、それも今どきメディアの煽りの産物なのかもしれないけど、そうだったらよけいに怖い・・・。