12日付けの新聞に気になる記事を見つけました
豊臣秀吉が、関ヶ原以後に建立した 京都 方広寺の鐘の銘文 に関しての記事です
大学時代の友人を京都観光に連れて行った時に
方広寺を訪れ、この鐘の写真を撮っていましたので、
記事に掲載された写真を見て 「あれっ、あの鐘じゃないの?」 となった訳です
この鐘には白線で囲まれた箇所に
「君臣豊楽」 と 「国家安康」 の文字が見られます
徳川家康は 『家』 という文字と 『康』 という文字が離れている
つまり、「家康という名を引き裂いて、呪詛(災いがかかるよう祈る)するもの」 として
これをいいがかりに、1614年 大坂冬の陣を起こした とされています
ちなみに1614年が「冬の陣」で、翌年1615年が「夏の陣」です よく間違います
しかし、この いいがかり が実際には筋が通っている抗議であり、
“いいがかり”ではない との見方ができるとの掲載でした。
というのは、当時はその人を 諱(忌み名:イミナ) で呼んだり、
ましてや無断で鐘銘に使うことは極めて礼を失する行為であったようです
しかし、この鐘の銘文を選んだとされる 文英清韓 が「かくし題」として
「家・康」の文字を意図的に鐘銘に入れて、呪意を込めたのでは
と解釈できるとのこと・・・
なるほど
この鐘は、奈良の東大寺・知恩院の鐘とともに
日本三釣鐘(重要文化財)に指定されていますよ
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