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中村真一郎「青春日記}/一過性の同性愛となるのか

2012年07月26日 07時13分06秒 | エッセイ

                         

 

前の記事で名前の出た、福永武彦、中村真一郎。 彼らは、偶然ながら同じ年、同じ月の生まれ。旧制の開成中学から第一高等学校と同窓。その福永は、36歳の1954年に作家としての地位を確立したとされる「草の花」を発表。一高生の美少年の下級生への恋、そこには胸の焦がれるような、恋する若者にある当然の思いが感じられるのだけれども、その年齢に至ってそうした作品を発表したということ。そこには現在の作者の事情はともかく、自身の青春の時代にあった体験的な真実、それにきちんと向き合い形として残したいという思いの強く働いたという面も、確かにあったように思われる。寮生活の高等学校を終え、大学へと進むにつれその心が女性へと向けられるようになる。大方の場合、そうしたことのようで、世に知られるようになる作家たちなども、旧制の中、高生の頃。女性との恋の前にそうした同性愛体験なども持ったもの、ということが知られていたりなどする。福永の場合にしても、同じようにして関心は女性の方に移っていったのであろうし、一過性のようなものとしてはるか遠い過去のものとなったからこそ、ホモセクシュアルではない自身の立場で、こうした作品にもとりかかることができたのだろうと常識的には考えられる。公にもできたのだろうと思う。実際、三十代の半ばに至っても同性との愛を求めている人であったとしたら、先ずはこうした作品を発表することをしてはいないだろう。むしろ隠したい、秘密の過去の部分になるはず。

そうしたことなど思いつつ、中村真一郎の場合はどうかということなども、思う。そのような過去に触れたことが作品の上に分かる形で触れたことがあったのだろうか。彼の表現活動の内容に入っての知識が殆どないのでそこのところが全く分からないのだけれども、なんにしても亡くなった後で日記が公刊され、その十代の頃の同性愛のことが、知られるところとなったということ。その当時の赤裸な心情が一般読者の前にも示されるということになったという事実。生前の彼がそれを望んだということはないと思われるのだけれども、可能性は頭の何処かにはあったのにちがいないとは想像される。残されたものが整理されるに当たって、日記もその手に渡ることは当然考えただろうから。そして青春時の日記を自身最後まで残し続けたということは、大切な記録としての思いがあったということ。だから、それがこうした形で公になることへの覚悟もあったのだと、それは思われる。福永の場合と同様、その後帝大生となり、彼の関心の中心が自然と異性の方に移り、ホモセクシュアル、あるいはバイセクシュアルとして過ごすことはなかったのだろうと想像するけれども、相手が同性であったという記憶、その心情が偽りのないものであったということへの思いは、後々まで強く残るものであったのではないだろうか。

日記は、志の高い秀才男子の勉学方面他、多様な関心に触れた内容になっているものだけれども、その中の恋の部分に触れている部分の一部を、書き出してみたいと思う。1935年の11月辺りから。日付がフランス語。第一高等学校一年の彼、17歳時。

 

Le 17 Nov                                                                                                                                                                                                                 愛は、常に嫉妬を含む。私は、A.Qが、K.と肩を組んで歩くのを見て胸がつぶれる思いがした。K.がA.Qに鉛筆をけずってやるのを見て泣きたくなった。

Le 18 Nov                                                                                                                                                                                                   しかし、あんなに澄んだ美しい純な眼が他にあろうか。赤ん坊の眼そのままで、黒いところは真黒で、真白なまはりと、はっきりとした境がついてゐる。その美しい眼が長い長いマツ毛で翳ってゐる。A.Q、A.Q.美なるものよ。

Le 25Nov                                                                                                                                                                                              僕のA.Qに対するamourは確かに本当のものだ。何処に行ってもA.Qに似た顔が眼についてしかたがない。(しかし、A.Q以上に純粋な眼を持った美しい人は居ないのだが)、又、A.Qに始終逢ふ。今夜、僕は心の中にA.Qの像を画き、これをあちこちから見つめて歩いてゐた。僕は、食堂の前まで来た。そのとき、急に、闇の中へ、ふはりと、A.Qの顔が浮び出た! その美しい澄みに澄んだひとみがぢっと此方を見てゐた。僕の心は喜ばしさでおどった。僕はA.Qの肩に手をかけた。A.Qの真赤な唇がほかとあいて、あのとけ入る様な声が、あまえた声が流れ出た。A.Q、A.Q.かくも美しい瞳をもったものが二人と居ようか!

Le 26 Nov                                                                                                                                                                            ああ、俺はたまらない。A.Qか゜今僕の部屋へ来た。すぐにとんで帰って行った。貸してくれた赤と黒の中でささやかれてゐる恋が現実の自分と全く混同してしまって、自分も、ソレルもマチルドも少しも区別がつかない。一体僕の心はどうなってしまったのか!

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A.Q.!  Ich liebe mir dich. ああ、あの笑、あの笑顔、あの唇、あの頬、一瞬でも、一刻でも、見ずに過せるか!

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A.Q.がまた来た。どうして今夜二度も僕の部屋に来たのだ。ああ、もっと来て!

 

ほんの一部であるけれども、次の記述などは興味深い。高等学校に入る以前のことに触れていることもあるし、同級生、福永武彦、あるいは他の中学の名も出てくる。フランス語で書いているUranismeは、"同性愛"のこと。ニーチェもワーグナーも同性愛者として、彼の知識にあったことがうかがえる。ヴェルレーヌやランボーはともかく、ニーチェ、ワーグナーなどについては、そこまでの知識のない私などはどのように知ったものかと、個人的には思う。

 

Le 14 Dec                                                                                                                                                                             VerlaineとRimbaud、NietzscheとWagner、Sokratesと̻□□□□□□□□、NeroとSokrates、皆有名なUraniste。開成中学は変なところである。僕がUranismeの味を知ったのは実にここである。T.H.M.皆、僕の対象であった。秀才は三年頃から(例えば、福永氏の★★君に於けるが如く)鈍才に至るも皆、五年頃までに、Uranismeは花を咲かせた。此の道に於いて、開成に比肩するのは、実に、慶応普通部、神戸一中あるのみである。Uranismeは確かにある意味に於いて、異性との恋愛よりもたしかに興味が深い。・・・・・・・・・・福永や齊藤が今なほ此の道ににいそしんでいることはよく判る。

Le 19 Dec                                                                                                                                                                                  僕は恋によって、全くromanticになってしまった。かつての恋のときも、自分がその人を悪漢の手から奪ひもどしねそしてそれを喜んでゐる恋人の胸にかへし、自分は淋しく、秘めたる恋を懐きつつ死んでいくなどと想像して、泣いたり悦んだりしたものだったが、今度もまた、A.Q.が何か病気にかかって、自分が前日病院へでかけ、ついに輸血の必要がおこるときに、敢然として、自らの血を捧げると云うやうなことをTagtraumして、一人でその感傷につつまれてゐる。(だが、しかし、試験の最中にこんなではこまる)

Le 24 Dec                                                                                                                                                                          今日一日、俺は果してA.Q.を愛してゐるか否かを考へてすごした。試験をやってゐる最中にも、自分の注意はA.Q.に統一される。だが、注意が常にA.Q.に統一されると云うことは、A.Q.を愛してゐると云うことになるだろうか?  A.Q.を愛しているががゆえに、A.Q.に注意を統一されたのが最初であったが、今、条件反射的にA.Q.に注意を集中されるばかりになったのではなかろうか。この問題は、随分考へ抜き、しまひには、俺はA.Q.を憎んでゐる。忌はしい存在とすら考へてゐるのではないかと思ひ出した。しかし、此れは、今、忽ち崩壊した。廊下でA.Q.に会ったのだ。A.Q.は笑って、俺に呼びかけた。・・・・俺は何とA.Q.を愛してゐることだろう!

 

 

"Tagtraum"は、ドイツ語で、"夢想"の意味。日記を読むと彼の読書量の多さ、作家、作品についての記述も多いし、知識豊かで聡明な若者らしさを感じさせる内容であることを感じるけれども、この恋し方。福永武彦の小説「草の花」の場合には、年下の美少年への恋、ということから同級の相手である中村真一郎のこの場合と少しちがうニュアンスになるところも思われるけれども、共通した何かしらは感じる。その対象に性別を超えた、美しいものに対する強い思いを抱いていること。その美しさに恋をしている、恋ができるという詩人的な、そして詩や文学によって磨かれた彼らの感性のことが、思われる。A.Qとの場合には、中村の片思いに終始しているような印象だけれども、現実的な行為として、この場合のことに限らず、彼らの間で旧制中学の頃から行われていた同性愛は、どのようなことを伴ったものだったのだろうか? 性について知り始める年齢であるし、初々しい好奇心、エネルギーにも充ちている。同性愛体験と言う時には、性的接触を含めてとみて良さそうに思える。中学生同士の場合でも。中村のように、Uranismeというような言い方でそのことに触れると、あくまでも精神的なもの、精神的に特別に恋愛的に結ばれた者同士、という印象も与え、そんなプラトニックな同性愛であったのかと思われもするけれども、普通にはそればかりてなかった部分は、容易に想像がつく。この日記でも、過去に恋した相手のいたことなども分かるけれども、どのような行為までがあったのかということは分からない。その時代だけに留まるものであったような同性愛経験が彼らの者ものであった、とすれば彼らをホモセクシュアルと考えるまではいかないし、実際の処、そういうことではなかっただろう。彼らの美しさに対する繊細な感性が、対象を背景的に たまたま同性である同年代の少年に向かわせたということである、というのが解りやすい。    

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このブログ2010年7月21日の記事で触れている、私の高校生時代、つきあった当時40代に入ったところだった検事は旧制の高等学校の出身。彼のその時代、十代の頃の同性愛的エピソードなど、きいたことはある。もうひとり、私の30代を通してつきあった私より30歳年上だった国立大の医学部教授も旧制のナンバースクール、高等学校の出身。医科大学に進んだ人であったのだけれども、彼からは特にはきかなかったように思う。ただ、彼がその時代、同性に恋をしただろうことは容易に考えることはできる。いずれも、当然のこと、結婚をしていたわけだけれども、同性愛からは後々まで離れることはなかったということになる。同性との関係、そしてセックスを求めつづけたということ。 いずれも社会的には立派な立場にあり、表立って同性愛に関心あることは知られず、息子や娘たちの普通の父親であり、外見的にも検事、医師に相応しい品性を持った人たちだったということ。たまたま私が彼らと出会い、気持の交流も持ち、セックスもあったということで、その同性愛傾向を知ったというだけのことで、人のことに関しては、知る人ぞ知る、ということになるだろう。それは、まさか彼はそういうことはしていないであろう、と思われる人が、実は同性愛にも関心が強いという辺りのこと、いくらでもあるはずのことであるから。だから、例えば中村真一郎が普通に結婚をし、父親ともなる人生を送っていたとしても、十代の頃の同性愛はその年代特有の一過性のものだった、などと推測することには殆ど意味はないと思う。その人の内のことは、誰にも分かるはずがないのであるから。何かはあったとしても、当事者たちにしか。  



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