TBA

(仮)

平成で一番驚いたニュース…

2018-01-08 | 本と雑誌

調べたら平成って数えきれないくらいの

いろんなことがあったんだな。

日本だけでなくて世界中で、

いろんなことが大きく変わった時代だったんだろう。

世界では平成とか関係ないけど。


いちばんおどろいたのって、

簡単にはあげられないし、

ひとつっていうか時代の変化そのものっていうか、

いままであたりまえに感じてたことが、

ぽろぽろと崩れていったこと。


未来に対して安心できなくなると、

そりゃあ、お金は使わなくなるだろうし、

こどもも作らなくなるのはしかたないなあと思う。


元号が変わると、

いい時代になればいいなと思う。

元号ってそういう意味もあると思うし。




きょうはむだに早起き。

夜中にトイレに起きなくなったのはいいことだけど、

逆にちゅうとはんぱに早起き。


おかげで、平野レミさんの「タイのケバブ」見られたけど。

「~したい」にひっかけられるっていうところでは、

めでたい料理なんだろうな。

結婚式には向かなそうだけど。

途中からだったのが残念だったし、

わいわいうるさくてよくわからなかった。

録画して見たかった。


なんか見てておもしろかったのは、

はちゃめちゃなレミさんに波長があっていく人と、

逆にちゃんとしないとって思うのか、

すーっと冷めて冷静になっていく人。

吉田羊さんってやっぱりおもしろそう。




「職業としての小説家」を途中まで。

今までのエッセイでも読んだことのある話と、

そうなんだ、っていう初めて読む話。


ちょっと異質な感じのする『学校について』で、

引っかかってしまった。


日本の社会のシステムに問題がある、

というような内容だと思うんだけど、

なんていうか、ちょっと残念な、

あるタイプの人にありがちな発想なのかな。


そういうシステムにあわない人もいるだろうけど、

そういう「システム」という枠がないと、

どう生きていいのかわからない人もいるのでは。

というか、むしろほとんどの人がそっち側なような。


たぶん、いまの日本の学校っていうのは、

他人と協力することや、

最低限の我慢するということを覚えさせる場所であって、

なにかを学ぶとか、育てるという場所ではないのかもしれない。

でも、日本人が勤勉で規律正しくて、っていうのは、

こういうシステムで作り上げられてきたものでもあるはず。

学校で耐えなければいけないようなものよりも、

もっと大変なことが社会にはたくさんあるし。


学校っていうようなものは、

自分で自分を律することができる人にとっては、

苦痛でしかないのかもしれないけれど、

そういう人はそれほど多くないのだと思う。


そういう人たちが必要以上に、

苦痛を感じないようにつらい思いをしないように、

配慮するのはとても大事なことだと思うけれど、

そうでない多数派の人たちに自律を求めるのは無理があるのかも。

ほとんどの人は枠がなければ自分を保てない。

文壇、というのもそうなのだろう。


自分にとって簡単にできることが、

他人にとっても簡単なこととはかぎらない。


小説の書き方でそんなことを書いているのに、

学校のところでは真逆のことを書いているように思える。


無意識なのかもしれないけど、

ちょっと「市民」と「大衆」を、

分けて考えてしまう人たちのにおいがする。


「大衆」を啓蒙すれば「市民」になるわけではないし、

「市民」のほうがランクが上なわけでもない。


新しい元号の世の中では、

ふつうの人がふつうのままで、

しあわせに生きていけるようであればいいんだけど。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« つまみ読み | トップ | 発足 終結 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本と雑誌」カテゴリの最新記事