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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

11月21日 京都府宇治市宇治火薬製造所・伏見桃山陵フィールドワークに参加して

2021-12-17 | 催し
 11月21日、大阪狛犬会、1%の底地で朝鮮学校の民族教育を支える会の主催の「宇治火薬製造所・伏見桃山陵」のフィールドワークに参加しましたので報告します。テーマは、「軍需生産ラインと皇民化教育の痕跡をたどる」というものでした。12月10日~12日に開催される「アジアから問われる日本の戦争」展協賛企画にもなっていました。
 京阪宇治線黄檗(おうばく)駅に集合してフィールドワークは始まりました。すぐ近くに「陸上自衛隊宇治補給処」があります。案内の塚﨑昌之さんがフィールドワークの説明を担当していました。この自衛隊施設の正門が戦前・戦中の陸軍「宇治火薬製造所」と同じところでした。当時のレンガ造りの排気筒はそのまま残り、現在排気筒の頂上は展望台に改造され、使用されています。自衛隊が、戦前の陸軍施設をそのまま使用していることには驚きました。当時の火薬製造所で大爆発事故があり、7名が亡くなり、多数負傷者が出ました。300キロの鉄骨が吹き飛んだという威力にも驚きました。
 正門沿いの道路を南に歩くと東宇治中学がありますが、道路よりかなり低いところにあります。塚﨑さんは「なぜこのような地形になったのか、よく考えてみてください」と問いかけました。さらに南に歩くと、京都大学宇治キャンパスです。このキャンパスも宇治火薬製造所跡地に作られ、当時の建物が点在しながら残されています。宇治川より火薬製造所が少し高いところにあるのは、東宇治中学のある土地の土砂を削って、火薬製造所の土地のかさ上げに使用したとのことでした。宇治川の洪水から火薬製造所を守るためだそうです。この工事には、朝鮮人労働者があたったそうです。劣悪な条件なもとで、朝鮮人労働者は工事元請けの松村組と闘争して、賃上げや労働条件改善を勝ち取りました。この闘争が戦後の労働運動にも影響を及ぼしたといいます。戦前の労働運動の発祥地であったことにも感動しました。
 フィールドワークでは、JR黄檗駅から桃山駅に移動し、乃木神社、伏見桃山陵(明治天皇陵)に移動しました。乃木神社は、乃木希典を、祭神とした神社で、当時の京阪電鉄の社長村野山人が私財をはたいて造ったものです。乃木の功績をたたえるためのものでした。この乃木神社は明治天皇陵に対して北向きに造られ、天皇に対する服従関係がまともに表されています。明治天皇陵は、小高い山の山頂に造られています。山の下からは見ることが出来ません。石段を数百段登らないと、見ることが出来ないのです。崇高に見せる仕組みです。戦前・戦中の軍国主義教育の場所として使われました。当時のことを想像するだけでおぞましかったです。
 京都市伏見区から宇治市にかけて、戦前・戦中は「師団街道」と呼ばれたくらい陸軍の施設が集中していた。伏見区深草にある龍谷大学も陸軍師団の跡地に建てられたことも知って、現在との接点があることを気づかせられました。 

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1 コメント

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塚﨑昌之さんのご冥福をお祈り致します。 (KB)
2023-09-20 23:50:15
2023年9月16日立命館大学コリア研究センター研究員の塚﨑昌之さんがお亡くなりになったと知りました。大変なショックを受けました。ご冥福をお祈り致します。塚﨑さんにはフィールドワークで、たくさんのことを教えていただきました。教えていただいた多くのことを今後も勉強させていただきます。ありがとうございました。
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