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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

番組紹介「忘れたい、忘れてほしくないー宮森小学校ジェット機墜落事故」

2012-10-28 | 沖縄

 

忘れたい 忘れてほしくない~宮森小 米軍機墜落事故から50年~
(1) http://www.youtube.com/watch?v=I4YcC01C0as 
(2) http://www.youtube.com/watch?v=PkfpLxkGHKc&feature=relmfu 
(3) http://www.youtube.com/watch?v=MEFWAqBtNUY&feature=relmfu

 「忘れたい、忘れてほしくないー宮森小学校ジェット機墜落事故」は2009年に放映され「テレメンタリー選集」に選ばれている映像です。

 1959年6月30日10時30分頃、米軍ジェット機がエンジントラブルを起こし、パイロットは脱出、無人機となったジェット機が市街地に突入、宮森小学校・民家を直撃し、18人が死亡、200人以上が重軽傷を負った事故のことです。

 映像は事故後50周年の2009年、事故を風化させてはならないと若者達が取り組んだ演劇の話、若者たちに背中を押されるように固く口を閉ざしていた遺族が口を開いた話に寄り添って編集されたものです。(1)部では主に小学2年の息子を亡くした喜納福常さんの話です。全身の火傷を負った息子さんに対面し、これ以上焼くのは可哀想と火葬を拒み土葬にした話、2年生の教室から火達磨の子供達が飛び出してくるのに何も出来なかったという教師の話など、遺族の方の瞼には当時がなまなましいまま残っていることが察せられます。

 (2)部では、事故後17年経って23歳になった息子さんを亡くした新垣ハルさんの話から始まります。全身の50%に火傷を負ったが、手術・リハビリで回復、体育教師を目指していたが、汗をかけない皮膚に起因する疾患で亡くなりました。しかし、当時は事故との関連を否定され、事故原因の究明もされず、責任も問われませんでした。 

 事故から3ヶ月後、地元市長が復興に貢献したと米軍に感謝しに訪れる姿は衝撃です。被害者が加害者に感謝しなければならない社会・政治情勢だったのです。心や身体に深い傷を負った遺族が口を閉ざさなければならなかった状況が察せられます。

 (3)部では、喜納福常さんの孫、吏一さんの弾く三線の散山節と話から始まります。この50年を顧みると、米軍基地にともなう事故は何度も起きています。2004年の国際大学ヘリコプター墜落、2008年セスナ機が学校近くに墜落・・。50年たっても変わらない沖縄の現実、遺族の想いも変わらない、平和への祈りはつづきます。と映像はむすばれています。

 今、沖縄への基地押しつけが強化され、その上、最も危険と言えるオスプレイが強行配備されています。映像のタイトル「忘れてほしくない」という言葉を重く受け止め、今の沖縄県民の総意を受け止めるためにもぜひこの映像を観て欲しいと思います。

 (アーさん)


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