母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

いままでの経緯 (18)

2009年09月29日 10時23分03秒 | 日記
9月24日(木)
父はお彼岸のお墓参りに朝から出かける。
父と母は同じ県出身なのでたいてい墓参りは二人で一緒に行き双方の家の墓を回るのだが
先週母は迷った末、今回の墓参りをあきらめ父に一人で行って来るように頼んだ。

しかし母はこの日は朝から気分が良いと言い、朝昼の食事も半分くらいは食べられた。
散歩がてらに徒歩10分の郵便局まで用足しに行ったりして前日とは違う穏やかな日を過ごす。

夕食は大根と豚バラ肉の煮物、きゅうりと若布の酢の物、冷奴と里芋の味噌汁。
このうち酢の物と冷奴は母のリクエストだった。さっぱりした冷たいものが食べやすいのだ。
2階で夕食後、食器を洗っていると母が階段を上ってきた。煮物の量が少し多かったので、私に返そうと持ってきたのだ。
「大根は柔らかかったけど、ちょっと甘かったね。お砂糖入れたでしょ。」
「あっ、そうか。甘い味はだめなのね。そんなに砂糖は入れてないんだけどな。」
「酢の物は味付けしてなかったの?ポン酢をかけたら味がちょうど良くなったわ。」
「…三杯酢で味付けたんだけど、薄かったかしら?」
文句をつけ過ぎたと思ったのか、母は最後に
「冷奴は美味しかったわよ。パパも美味しいって言ってた。」と言い、私は苦笑する。
「冷奴が美味しいって…それは豆腐の味じゃない。」母も笑って、とにかく今日の夕食はいっぱい食べられたと言う。

母が階下へ下りた後、食器洗いを続けながらほっとして目頭がじんとしてくる。
味付けはどうあれ、母は夕食が食べられたことを喜んでいる。昨日の泣き顔と対照的な今日の笑顔。
涙が一粒こぼれると、さまざまな感情の嵐が押し寄せて堰を切ったように次から次へと溢れて流れ落ちる。
母の癌がわかって以来初めて、思う存分泣いた。

9月25日(金)
3回目の抗がん剤を受けに病院へ行く。

診察の最後に女医のM先生が
「次回から担当が代わります。私は緩和ケアの方へ異動なので」と言い、母も私も少しがっかりする。
女医の先生だけあって、患者の話を面倒くさがらずによく聞いてくれる、気さくで感じの良い先生だった。
今度の先生は男の先生だけどとても優しい方ですよ、とM先生は言っていた。母と相性が良ければいいのだが。

点滴後、弟が顔を出す。ちょうど1時ごろだったので一緒にどこかで昼食を食べないかと私が誘うと応じてくれ、
近くの和食処に3人で行き二人は金目鯛の煮付け定食を、私は海鮮丼を注文する。

母が手洗いに行っている間、弟に父が母の病気についてあまり理解してないことなどを話す。
弟は父にわからせる必要はない、と言うが私は父が病気の母に依存していることを話す。
それはいまさら直らない、と弟は断言する。

弟と別れると、病院から車で10分ほどのところにある歴史の古い神社にお参りし
家の近くのスーパーで買い物をして家に帰ると夕方の5時を回っていた。
家に着くとすぐに大量の薬を薬ホルダーに仕分ける作業を母と二人でする。
「今日はお雑煮にする。簡単だから私が作るから。」
お雑煮?ずいぶん季節はずれな、と思うが餅好きな父母は正月以外にも時々作って食べているらしい。
疲れているから休んでから作るように母に言って私は2階へ上る。

あとで様子を見に行ったとき母から聞いたところによると、母は私が言ったにもかかわらず
時間を気にしてすぐに夕食の支度を始めようとした。
この時初めて父が母を気遣って食事はいつでもいいからまず休むようにと言ったらしい。
さすがの父も昨夜の出来事で心を入れ替えているようだ。
母は満面の笑顔で
「お雑煮が美味しくってお餅を2個も食べちゃった。パパも驚いてたわ。」
3回目の抗がん剤は副作用が強く出ると聞いていたが、今のところまだ現れていないようだ。
このまま副作用が出ずに過ごせますように、と祈らずにはいられない。

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