母が抗癌剤治療を中止し、緩和ケアを始めるときに
在宅ケア医院からいろいろな資料を手渡されました。
その資料の中に薄くて小さな冊子がありました。
ブルーの表紙には「旅立ち 死を看取る」という題字と帆船の絵があり
下の方に著者名、訳者名と
「(財)日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団」という発行所名があります。
私は何気なく手にとって開き、読み始めると衝撃を受けました。
この冊子には、人が死にゆく過程で見られる「死の兆候」を
「3ヶ月前から1ヶ月前」「2週間前から1週間前」「2日から1日前」と順を追って
具体的に書かれ、説明されていました。
私は身近な人の死に直面し、その過程を見るということがそれまで一度もなかったので
母がこれから死ぬのだということも漠然と捉えていて具体的なことはわかっていませんでした。
そして病気の症状を詳しく書いてある本やウエブサイトはたくさん有りますが
死に至るまでの経過を書いたものを目にすることはあまりありませんでした。
そんな私にはこの小冊子に書かれていることはあまりにも生々しすぎたのか
動悸と軽い吐き気を感じながら最後まで読み、寝室の棚の上に放り出して、しばらく置きっぱなしにしていましたが
冊子が目に留まるたびに寒気を覚え、なにかそのまわりに禍々しい空気が取り巻いているようにさえ感じられて
本棚の本と本の間に差し込んで見えないようにしました。
やはり私はいくじなしで「母の死に直面」という近々必ず起こる事態から目を背け、逃げていたのだと思います。
そして、母の場合この死の3ヶ月前から直前までの兆候が死の一週間くらい前から凝縮して現われ、
冊子のことを思い出す暇もなくあたふたとしている間に逝ってしまいました。
母が亡くなって1週間くらい過ぎた頃、ふと冊子のことを思い出しましたがどこにしまいこんだかも忘れていて
やっと見つけてもう一度読み返すと、あの気分の悪さ、禍々しさはもう感じられません。
むしろもっとちゃんと読んでおけば、急激な症状の悪化にももう少し冷静に対応できたのかなと反省しきりです。
例えば死の直前には尿の量が少なくなる、ということは母の死後知ったのですが
自分の勉強不足を棚に上げて「そうならそうと看護婦さんも教えてくれていたら良かったのに」と思ったものですが
ちゃんとこの冊子に書いてありました。
そして最後のページにあるのがこの詩です
私は海辺に立っている。海岸の船は白い帆を朝の潮風に広げ、紺碧の海へと向かって行く。
船は美しく強い。私は立ったままで眺める。
海と空が接するところで、船が白雲の点となりさまようのを。
そのとき海辺の誰かが言う。「向こうへ行ってしまった!」。
「どこへ?」。
私の見えないところへ。それだけなのだ。船もマストも、船体も、
海辺を出たときと同じ大きさのままだ。そして、船は今までと同様に船荷を目指す港へと運ぶことができるのだ。
船が小さく見えなくなったのは私の中でのことであり、船が小さくなったのではない。
そして、海辺の誰かが「向こうへ行ってしまった!」と言ったとき、向こう岸の誰かが船を見て喜びの叫びをあげる。「こちらに船が来たぞ!」。
そして、それが死ぬということなのだ。
ヘンリー・ヴァン・ダイク
この冊子は、日本では平成14年に発行されたものです。
ここでだいたいの内容が読めます→死を看取る
昨日、母の闘病中から拙ブログにご訪問いただきおつきあいいただいていた
ミケさんのお母様が旅立たれました。
お母様の闘病中はとても細やかな心配りでお母様をサポートされ
最期にはずっと病院に詰めお母様のそばについて看取られました。
お母様もミケさんも精一杯頑張られ、母娘の濃密な時間を過ごされていたことは私と同じで
とても幸せなことだったと思います。
心からお母様のご冥福をお祈りします。
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いつも応援ありがとうございます
在宅ケア医院からいろいろな資料を手渡されました。
その資料の中に薄くて小さな冊子がありました。
ブルーの表紙には「旅立ち 死を看取る」という題字と帆船の絵があり
下の方に著者名、訳者名と
「(財)日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団」という発行所名があります。
私は何気なく手にとって開き、読み始めると衝撃を受けました。
この冊子には、人が死にゆく過程で見られる「死の兆候」を
「3ヶ月前から1ヶ月前」「2週間前から1週間前」「2日から1日前」と順を追って
具体的に書かれ、説明されていました。
私は身近な人の死に直面し、その過程を見るということがそれまで一度もなかったので
母がこれから死ぬのだということも漠然と捉えていて具体的なことはわかっていませんでした。
そして病気の症状を詳しく書いてある本やウエブサイトはたくさん有りますが
死に至るまでの経過を書いたものを目にすることはあまりありませんでした。
そんな私にはこの小冊子に書かれていることはあまりにも生々しすぎたのか
動悸と軽い吐き気を感じながら最後まで読み、寝室の棚の上に放り出して、しばらく置きっぱなしにしていましたが
冊子が目に留まるたびに寒気を覚え、なにかそのまわりに禍々しい空気が取り巻いているようにさえ感じられて
本棚の本と本の間に差し込んで見えないようにしました。
やはり私はいくじなしで「母の死に直面」という近々必ず起こる事態から目を背け、逃げていたのだと思います。
そして、母の場合この死の3ヶ月前から直前までの兆候が死の一週間くらい前から凝縮して現われ、
冊子のことを思い出す暇もなくあたふたとしている間に逝ってしまいました。
母が亡くなって1週間くらい過ぎた頃、ふと冊子のことを思い出しましたがどこにしまいこんだかも忘れていて
やっと見つけてもう一度読み返すと、あの気分の悪さ、禍々しさはもう感じられません。
むしろもっとちゃんと読んでおけば、急激な症状の悪化にももう少し冷静に対応できたのかなと反省しきりです。
例えば死の直前には尿の量が少なくなる、ということは母の死後知ったのですが
自分の勉強不足を棚に上げて「そうならそうと看護婦さんも教えてくれていたら良かったのに」と思ったものですが
ちゃんとこの冊子に書いてありました。
そして最後のページにあるのがこの詩です
私は海辺に立っている。海岸の船は白い帆を朝の潮風に広げ、紺碧の海へと向かって行く。
船は美しく強い。私は立ったままで眺める。
海と空が接するところで、船が白雲の点となりさまようのを。
そのとき海辺の誰かが言う。「向こうへ行ってしまった!」。
「どこへ?」。
私の見えないところへ。それだけなのだ。船もマストも、船体も、
海辺を出たときと同じ大きさのままだ。そして、船は今までと同様に船荷を目指す港へと運ぶことができるのだ。
船が小さく見えなくなったのは私の中でのことであり、船が小さくなったのではない。
そして、海辺の誰かが「向こうへ行ってしまった!」と言ったとき、向こう岸の誰かが船を見て喜びの叫びをあげる。「こちらに船が来たぞ!」。
そして、それが死ぬということなのだ。
ヘンリー・ヴァン・ダイク
この冊子は、日本では平成14年に発行されたものです。
ここでだいたいの内容が読めます→死を看取る
昨日、母の闘病中から拙ブログにご訪問いただきおつきあいいただいていた
ミケさんのお母様が旅立たれました。
お母様の闘病中はとても細やかな心配りでお母様をサポートされ
最期にはずっと病院に詰めお母様のそばについて看取られました。
お母様もミケさんも精一杯頑張られ、母娘の濃密な時間を過ごされていたことは私と同じで
とても幸せなことだったと思います。
心からお母様のご冥福をお祈りします。
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いつも応援ありがとうございます
葬儀も滞りなく終わり、今、火葬場で母を待っています。
やっと母は家に帰ることができます。
小さな箱に入って…。
私が潰れることなく冷静に事態を受け止め、ここまで来ることができたのも、りりぃさんという先輩がいたからです。
walkng tour も大変感動しましたが、この小冊子も驚きでした。
私も母のこれからが知りたくて、母の傍に付きながら、携帯で臨死についてネット検索をし、このような情報を手に入れてました。
だからこそ、母との別れの瞬間に拘り、片時も母から離れられなかったのだと思います。
母を看取れたことが達成感となり、これからの私の生きる支えになるでしょう。
母の最期の満足そうな顔が目に焼き付いていますから。
りりぃさん、これからもご教示よろしくお願いします。
なんとか状態を改善してもう一度家に帰りたかったのに、とうとう旅立ってしまいました。
入院から11日目、昨日のことです。
今は安らかに眠っているようです。
このゴールはわかっていても今はただただ悲しくて悲しくて。。。
りりぃさん、これまでありがとうございました。どんなにか励まされました。
これからはいつでも心の中の母とお話をすることにします。
emuさんに以前、何度かコメントを頂いていたミケです。
emuさん、お母さまのこと、私も大変ショックを受けています。
私の母も急に衰弱し、2週間の入院で亡くなりました。
母が亡くなって、まだ20日ですが、日を追って悲しみと寂しさが深まる毎日です。
emuさんのお気持ちお察し致します。
お母さまのご冥福を心よりお祈り致します。
合掌。
私もりりぃさんやミケさんのお母様のように急に悪くなる日が来るのだろうと覚悟はしていました。
最期はとても辛そうでした。「もういい」と何度も言いました。ごめんね母さん。意識を落としてもらってからは話もできませんでしたが、苦しい顔もせずに眠るように息を引き取ったのがせめてもの救いです。
葬儀も済みましたが、実家は母の物でいっぱいなのに、今までと同じなのに、母だけがどこにもいない・・・不思議な空間です。
母の居間にいると、「来ていたの~?」と今にも帰ってきそうです。
まだまだ泣いてばかりです。とても寂しいです。8ヶ月まえの元気な頃の母にあいたいです。
emuさんのお気持ち、よく分かります。
私も全く同じです。
私も母のいない実家に行きます。
母の遺影とお骨に会いに行ってます。
母はいないけど、母が生きていた時と何も変わらない実家です。母の声が聞こえます。
本当に寂しいです。
もう一度母に会いたいという想いは日に日に募ります。
emuさん、寂しい時は、また私のブログに来て下さい。emuさんのブログがあるなら、教えてください。
母への想いを話し合いたいです。
私は仕事にも復帰し、日常が始まりました。
でも、一日として母のことを考えない日はありません。
前向きに生きていきたいけど、母との日々を振り返ってばかりいます。
母との闘病生活は、私にとって、人生最大の試練でした。でも、母のいない人生を生きていかなくてはならない、これからが、更なる試練のような気がします。
りりぃさんは、この悲しみを乗り越えられたのでしょうか。
お母様のご冥福を心からお祈りしています。
3月6日に記事を書いて少ししてから身辺がとても忙しくなってしまい
パソコンを開く時間がとても減って
記事を書いていない自分のブログのチェックはすっかり忘れていました。
その間にまさかコメント欄にお母様の訃報をいただいていたとは…
長く気づかずにいて本当に申し訳ありませんでした。
お母様が亡くなられて3週間=
実感の湧かない時期を過ぎ、だんだん現実的な悲しみが胸を刺すようになられているのではないでしょうか。
故人を思い出して泣くことは自分のために必要で、故人への供養でもあると私は思います。
悲しさや寂しさは必ず時間が癒してくれますから
どうぞご無理のないよう、ゆっくりと乗り越えてくださいね。
ミケさん
ご無沙汰してしまい、すみません。
私が自分のブログをチェックしない間もご訪問くださり、
emuさんの書き込みに私の代わりのようにご返事いただき、本当にありがとうございました。
私も毎日朝晩母の遺影とお骨(事情あってまだ納骨していません)に手をあわせ
声に出して話しかけています。
朝は「今日も明るく頑張るから見守ってね」と。
夜は「おかげで今日も一日有意義に過ごせてありがとう」と。
まだまだ悲しさ、寂しさが襲ってくることもありますが
「walking tour」のように、いつかまた母に会えると信じて
その時に褒めてもらえるように頑張らなくちゃ、という気持ちになれました。
「emuさんの書き込みに私の代わりのようにご返事いただき」
という言い方は語弊がありました。
ミケさんはもちろんミケさんの思いをこの場で書かれただけで
もちろん私の代わりでもなんでもありません。
ただ、私がうっかりしていたのにミケさんが書き込みをしてくださっていた事に
とても感謝しています。改めてありがとうございました。
私のブログへのコメントもありがとうございました。
りりぃさんのブログの更新がなかったので、心配していました。
これからも拝見させて頂きますし、お話もしたいので、お時間があればまた近況などアップしてください。
私の先を歩いておられるりりぃさんの後を付いて行きたいと思っています。
辛い月日にここへ来て本当に励みになりました。りりぃさんやミケさんとは、苦しい時間を共有していた同志のような感があり、今は空虚な気持ちをわかってもらえる友達同士のようです。一歩先をいくりりぃさんのように、私も早く元気になりたいですね。
ブログから感じられるりりぃさんのお人柄、大好きです。ここのところは忙しくなられたとのこと、私はりりぃさんを近くに感じていたいので、本業?のブログを教えてもらえるとうれしいのですが。。。(笑)
emuさんとは色々共通点も多いし、お会いしたこともないのにとても身近に感じられました。
実は本業の(笑)ブログもまだお休みしたままです。
でも今は早く復活したい気持ちになりました。
http://ameblo.jp/lilymysteryflower/
http://lilymysteryflower.blog111.fc2.com/(こちらは3年以上放置^^;)
どうぞ今後ともよろしくお願いしますね^^