母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

walkingtour

2010年02月26日 00時33分39秒 | 日記
あるブログで紹介されていた動画です。
「とても有名な動画」ということですが私は知らなかったのでとても胸にくるものがありました。
観たことのない方は是非。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.html



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母の病気経過帳より (11)

2010年02月19日 14時49分26秒 | 日記
「21年11月14日(土)
今朝5時に目がさめてしまいK(註・K療法)をかける
10時15分頃お腹がいたくなり1時間たってもなおらないのでオキノームを
10時15分と11時20分に飲む
その後痛くならないので風呂の掃除をして後Kをかける N也来る

21年11月15日(日)
昨夜はN也が来てくれてアパートの税金の事で色々やってくれたが私はつかれた
12時頃腹痛が来てオキノームを飲んで眠った

21年11月16日(月)
朝の目ざめは良かったが口の中はまずい
朝10時やはりお腹が痛くなりオキノームを飲む ロキソニンテープを貼る
今日Rさん達(近県に住む兄弟達)が見舞いに来てくれる

21年11月17日(火)
今朝はHさんの旅行の事で早くおこされ体の調子は良くなかった
腹がいつもうずいている

21年11月18日(水)
今日は耳鼻科とR(補聴器屋)に行った
耳のピーピーいうのはとれて良く聞こえる様になった
帰って来てから体調が悪くなり食事が摂れない

21年11月19日(木)
ゆうべはお腹が痛くて3回もオキノームをのんでしまった
今日午前中はいたくならない

21年11月20日(金)
先生が来てくれた 夜は良く眠れた

21年11月21日(土)
散歩が出来たが疲れた
今朝はお腹が痛くて座薬を使ったら後調子がよかった

21年11月22日(日)
オキシコンチンが3錠から4錠に2回飲むようになったためか
朝から眠ってばかりいた」

(経過帳はここで途切れ以下空白になっている)




母が亡くなった11月28日の2週間前からの日記だ。
この頃小康状態が急激に崩れ始め、痛みの増幅、食欲減退など悪化の症状が次々に母を襲う。
それでも母はこの週、補聴器屋に行ったり散歩に行ったりできていたし家の中でも簡単な家事は努めてするようにしていた。

しかし繰り返しくる痛みに応じて鎮痛剤を増やしたためか11月22日の日、初めて1日中ほとんどベッドの上で寝て過ごす。
この日を境に「この病気はガタガタッとくると早い」と言われてきた、その「ガタガタッ」が現実に起こる。
翌日23日の母は見るからにひどく具合が悪く、とても起きられる状況ではなかったのだがそれでも必死の抵抗を試みる。
午前に無理にホットミルクに口をつけ、戻してしまう。午後は天気が良いからと言って散歩に出るがすぐに息切れがして家に戻る。
戻ってすぐにベッドの横に崩れるようにひざをつき顔をベッドにうつ伏し
「もうっ!どうしてこんなになっちゃったんだろうっ」と目を潤ませた、その姿と悲痛な声が胸に突き刺さり忘れられない。

恐らくこのときに母は自分が長くはないことを悟ったのではないか。
そしてこの日から経過帳をつけるのをやめた。
体がつらくて書く気力がなくなったのかもしれないが、もうひとつのノート(体温、食事、薬などを時間ごとに記録したもの)は25日までわずかながらも書き入れているのを見ると
やはり意識的にやめたのだと思う。

ダイニングの椅子の背にかけたままになっていた母のいつも着けていた割烹着を、この日父は
「こんなものも、もう着けることはないんだな」と涙を落としながら畳んでかたづけた。

そして私は24日からの詳細な日記はつけられていない。
急激な悪化にともない、母に起こる変化を間近に見続けて
出来ることなら父のように涙を流したい、いや、わあわあ泣き叫んで母にすがりつきたい気持ちを必死に抑える。
現実的にこの先必要になる介護を考えいろいろな準備もしなければならない。

私自身いっぱいいっぱいだった最期の数日間の出来事を詳しく記憶できてはいないのだが
覚えている限りで記録しておかねば、と思う。



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母の病気経過帳より (10)

2010年02月09日 13時45分19秒 | 日記
10月23日に抗癌剤(ジェムザール)治療を止めると担当医師からの説明を受けた母は
見た目はそれほど落ち込んでいるようには見えず、むしろ辛い治療から逃れてサバサバしているようだったが
日記が10月24日で途切れ、次の30日まで間が空いているのを見るとやはり内心は落胆していたのかと思う。
そしてこの後の日記は3,4行の簡単な覚書のようになり心情のようなことはあまり書かれなくなった。
(母の記録なのですべて転載しますがあまり読むべきものはありません)


「21年10月30日(金)
食事もだいぶとれるようになって嬉しいです
K療法(註・カーボンを使って光線を照射する民間療法)を始める
手、足、背中、お腹を暖める 気持ちが良い

21年10月31日(土)
今日はK療法を3回やった 温かくて気持ちよくて腹も痛くならなかった

21年11月2日(月)
今日もK療法を3回やった
お腹も痛くならず良かった
自宅療養(註・在宅ケアのこと)の先生が明日来てくれる様子
主人とS子と一緒に買い物に行った

21年11月3日(火)
自宅療養の先生が来てくれた
良い先生でよかった

21年11月4日(水)
ケーズ電気で空気清浄機と電気ストーブ買う 高島屋カードで
夜中12時頃腹痛でオキノームのむ
よく眠れなかった

21年11月5日(木)
昨夜お腹が痛くなったためよく眠れなかったため今日は頭がぼーとしていて気分が悪い
夜は早めに寝ることにする

21年11月6日(金)
今日は朝から少しお腹が痛かった
10時40分頃にオキノームを飲んだが中々なおらなかった
だんだん悪くなるのかな。
先生が来てくれて丸山ワクチンをT也がメールでたのんでくれたらしく
丸山ワクチンを注射することになったらしい

21年11月7日(土)
今日は朝から調子が悪くてお腹が9時頃から痛くなった
オキノームを9時と9時45分に飲んだが痛みがとれない
食事はおいしく食べられた

21年11月8日(日)
今日も朝からお腹が痛い
6時30分オキノームを飲んだが10時頃また痛くなりオキノーム飲む
中々なおらないのでロキソニンテープを背中にはる
Yさん(母の妹)見舞に来てくれる

21年11月9日(月)
今日から丸山ワクチンを注射した
夜2度腹痛がした
オキノームを飲んだ
一晩中お腹が痛かった

21年11月10日(火)
ゆうべからお腹が痛く11時までに3回オキノームを飲んだ
夜また飲んだので4回になった
今度痛んだら座薬

21年11月11日(水)
今日は一日雨
朝お腹が痛くなり(10時)オキノーム飲んでも痛く座薬をやる
5時頃便が少し出る

21年11月12日(木)
今日はお腹は痛くならないが口がまずく食欲がない
4時頃お腹が痛くオキノーム飲む

21年11月13日(金)
今朝は7時30分まで眠ってしまった 気持ちよかった
このまま痛くなければ良いが」






日記に書かれているのはほとんど毎日来る痛み、レスキューとして飲むオキノームのことだ。
しかし、この頃は抗癌剤のきつい副作用がなくなってそれなりに普通に近い生活を得た
貴重な日々だった。

表情に明るさが戻り、声に張りが出てまるで回復に向かっていると錯覚しそうなまでに元気になり、
電話で声を聞いたダンスの友達も驚いたほどだった。

化学療法の担当だった女医先生も、新たにお願いした在宅ケアの先生も余命1ヶ月と診断したが
こんなに元気の戻った母を見るととても信じられず、私は
(もともとダンスやウオーキングで鍛えた母だから予想に反してもっと長く生きられるに違いない)と信じていた。
余命宣告のことなど知らない母はもっと単純に、抗癌剤を止めたのだから元気が戻って当たり前、
むしろ食欲が元気な頃と同じようにならない、と不満に思っているくらいだった。

しかし後にこの元気は処方されている薬{ステロイド}の薬効で、
臨死期の前の「ステロイドハネムーン」と呼ばれる短い小康状態(に見える)時期だったのだと知る。



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「転移」 中島梓著

2010年02月04日 10時06分53秒 | 日記
中島梓、またの名栗本薫という人の小説やエッセイを私はこれまで読んだことがなく
記憶に残るのはずいぶん前の男女チームに分かれて競うTVのクイズ番組で、女性チームのキャプテンを務めていた姿だった。
しかしこの本の巻末に記されたおびただしい数の仕事の履歴を見ると作家としてはもちろん
舞台の脚本や演出、ジャズピアニストとしてのライブ活動などその才能の多岐にわたることに驚く。
そんな作者が2007年10月に体調を崩し癌が発覚、同年12月の手術により膵臓癌と確定、翌年4月のCT検査結果で肝臓への転移が確認された。
「転移」は2008年9月5日から亡くなる直前の2009年5月17日(26日に死去)までの生活を日記形式で記したものだ。

物書きを職業にしている人が書く闘病記であるからもちろん辛い症状や患者の心中はとてもわかりやすく描写されていて
徐々に悪化していく過程がリアルに晒されている。
にもかかわらず読んでいて暗さを感じず気が塞がれるようなこともあまりないのは本人の性格によるものだと思う。
精力的に量を書くタイプの作家らしく体の辛いときでもいつも仕事のことが頭から離れず執筆中の小説を書き進める。
良くない症状が新たに出ても癌の進行のせいとは思わず、寒さや疲れや食事などに理由を求め、将来的に改善されるものと信じて希望を失わない。
日常の小さな出来事やきれいなものや美味しい食べ物などに幸せを感じて感謝する。
自分の病気や他人や世の中を恨んだり呪ったりするようなネガティブさがない。

作者はいつも家政婦がいるような裕福な家で育ち才能に恵まれて、日記で読み取れるその生活は華やかで都会的で贅沢でうらやましい限りだ。
このような人だから病気の暗さとも無縁なのかと思えば、恵まれた人にはそれなりの悩みや葛藤もあるらしく
過去に何度か精神的な危機を経験しているらしい。そういう危機を乗り越えた人の優しさも文面から感じられる。
一方、癌患者である作者に対するお見舞いメールやファンレターが結局自分や自分の家族の癌の話で
「人が『好意』だと思って見せてくれるものが、病人当人にとっては好意でもなんでもなく、ただの押し付けであったり、共感の押し売りであったりすることも多い」
という一文には、自分も気をつけなければならないと痛切に感じた。

「転移」が出版されたのは母が亡くなった後で、つい最近この本の存在を知り書店にあったので買って一気に読み終えた。
惜しむらくは母がまだ生きているうちにこの本を読みたかった。そうすればもう少し母の気持ちに寄り添えたのではないかと思う。




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