母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

ありがとうございました

2009年11月28日 11時46分05秒 | 日記
本日11月28日深夜1時12分
母は息をひきとりました。

母はとても幸せそうな安らかな顔で眠っています。
母との最後の3ヶ月はとても充実した時間を過ごせました。

今は胸がいっぱいで何も語ることができませんが
応援してくださった皆様ありがとうございました。
皆様の言葉の一つ一つに励まされ支えていただきました。


                         りりぃ。


雪崩のように

2009年11月26日 23時43分00秒 | 日記
11月24日~26日
この三日間で雪崩のように母の病状が進行し
そのあまりの急激な変化についていけず頭の中はパニック、心の中は土砂降りですが
体が忙しくてまぎれている感じです。
書きたいことは山ほどあるのですが短い間にいろいろなことがありすぎて
咀嚼したり整理するのがとても追いつきません。

{現在の母の状態}

眠っていることが多いですが起きているときの意識ははっきりしています。
腹水と足のむくみが増大し、黄疸も出始めて利尿剤を処方されると今度は脱水が進み
今、自宅で水分補給の点滴をしています。
トイレまで歩くのも難儀で近くにポータブルトイレを置き本人の希望でおむつもつけました。
体のだるさ、不自由さで切羽詰っていますがそれほど落ち込んでいる感じはありません。
今後の希望を訊くと入院より家にいたいということなので介護ベッドの手配もしました。

また時間ができたらもう少し詳しい日記が書きたいと思います。


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急すぎる症状の悪化

2009年11月24日 23時25分02秒 | 日記
11月22日(日)
今日は朝からひどく調子が悪そうに見える。
食欲が全くないし眠くて頭がぼんやりしている感じだ。
また、口が渇いて舌が口腔にへばりつき、滑舌が悪い。

オキシコンチンを増やしたせいか、一日中眠気がとれずベッドの中で過ごす。
そのかわりに痛みは出ず、気持ちよく眠れるようだが
昼も夜も野菜ジュースやヨーグルトの他はほとんど口に入れることができない。

夜、兄夫婦が来るがベッドから起きることなく
ベッドの脇の炬燵で父、兄夫婦、私が喋っている間もうつらうつらしていて
そのうち眠ってしまう。

11月23日(月)
朝は早くに目が覚めても体が重くて起きられなかったと言い、
母は私が階下へ下りた8時ごろの少し前にやっとベッドから離れて食卓についた。
つい先週までは5時や6時に起きてK療法(機械でカーボンを燃やしその光線を当てる民間療法)を1時間かけて行い、
朝食の用意をしていたのだが、もう食卓に座っているだけでせいいっぱいのようだ。

食欲はないのだが薬を飲む前に何か胃に入れなければという気持ちがあって
父が電子レンジで暖めた牛乳とヨーグルトを目の前の食卓に置き、思いつめたようにじっと見ている。
意を決したように牛乳を喉に流し込む。が、急に立ち上がり庭側のガラス戸を開け
サンダルを履いて1歩出るまもなく飲んだ牛乳を戻してしまう。

私も慌てて外に出て背中をさする。
飲んだ牛乳はわずか20ccくらいのもので、ほとんど出るものがないのだが
なかなか吐き気が治まらないのか何度もえづき、苦しそうで見るのもつらい。
やっと落ち着くと「水で流しておいてね」と私に言い、よろめきながら家の中へ戻る。
このことで体力を消耗し、母は「疲れた」と言ってベッドに横になる。

11時ごろ在宅ケアの看護士さんがみえる。
前回、1週間前に来たときとはまるで様子が違いベッドに寝たまま迎える母にも
看護士さんは驚く様子も見せず
進んだ症状への細かな対応の仕方を母と私に指示する。


吐き気のあるときは吐き気止めの座薬を使うように。
口の渇きには、グリセリンを車に取りに行き500ccのペットボトルに溶液を作る。
これにうがい薬のハチアズレを溶かして口をすすぐように。
「太白」という無味無臭のごま油を買ってきて口の中に塗ると滑らかに動くようになる。

そして週に医師1回、看護士1回計2回の往診を医師2回、看護士2回計4回に増やしましょう。
明日火曜に先生が来るので腹水を診てもらって利尿剤を出してもらいます。


さすがに在宅ケアの看護士さんは母のような症状に慣れていててきぱきと話を進める。
毎日つけている母の日誌を見て、日曜に眠気が強かったのは土曜にオキシコンチンとアンペック座薬を使った回数が多く
麻薬の全体量が急に増えてしまったためだと言う。
座薬は1錠が10mgで、使っているオキノームの倍量なのだそうだ。

看護士さんが帰ると母は横になったまま
「今日は天気がいいから散歩に行こうか」と言う。
「大丈夫!?」「大丈夫よ。少し運動すれば食べられるかもしれない。」
こんなに具合が悪くなっているのにまだ散歩に行こうとする母。
症状の悪化、体の衰弱に必死で戦いを挑んでいるように見えて胸がぎゅっと痛くなる。
「じゃ、この前のコースはちょっと長すぎたから短めにしようね。」

しかし、前回土曜日に散歩したときに比べても足元がふらふらしている。
車道を渡るときには私の袖をつかみ、並んで歩いていても体が左右にぶれてぶつかってくる。
50mほどでもう息切れが始まる。ごく近所を一回りして家に帰ると母は業を煮やしたように
「もうっ!どうしてこんなになっちゃったんだろうっ」と目を潤ませてベッドに倒れこむ。
「とてもお昼はたべられないわ。寝る。」と目をつぶってそれ以上何も言わない。

母はきっともう散歩に行こうとも言わなくなるだろう。
そう思うとどうしようもなく寂しくて悲しい。
あれほど健脚だった母なのに、歩けなくなる日がもうすぐそこまで来ている。


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「ステロイドハネムーン」は終わってしまったのか?

2009年11月23日 03時02分42秒 | 日記
11月19日(木)
朝、いつものように階下に様子を見に行くと父が母を指して
「ゆうべは痛くて眠れなかったんだって。」と言う。
母は顔色も悪く皺が一段と深い。
「そうなのよ。オキノームを飲んでも治らなくて3回も飲んじゃったの。」

オキノームを飲んでも痛みが治まらないときには座薬を使うように医師から言われているが
モルヒネの鎮痛剤を含め5種類の座薬が冷蔵庫に保管してあるので母が取り違うのが心配だ。
なので夜、座薬を使うときには私を起こすように言ってあった。
しかし母は起こすほどの事はないと遠慮し、そのうち治まるだろうと我慢していたらしい。

11時から銀行員さんが来て細かい内容のやりとりをするのに私を呼び一緒に聞いて対応してくれという。
銀行員さんが帰った後母はまた神経を使って疲れたと言い、ぐったりした様子で横になる。
また、K療法という健康器具に使うカーボンの在庫が足りないといって不安が増し私に急いで電話で注文するように言い
私は言われたとおり3~4万円ぶんのカーボンを注文する。

どちらも今まで自分一人でできていたことで、私は関知していないことを急に頼られて戸惑う。
確実に「一人で出来ること」が少なくなってきているのだ。
カーボンに関しては、後でよくよく見たら在庫がまだあったそうで自分で電話しなおして注文を取り消したと言い
「ない、と思ったら慌てちゃってSちゃん(私)に電話させたりしてごめんね。」と私にあやまる。
きっと私が母にせっつかれて嫌そうな顔をしたからだと思う。そのせいで母も自分が迷惑をかけていると思い情けなく思ってしまうのだろう。
病気だからそうなっているのにそんな悲しい気持ちにさせて申し訳ない、つくづくダメな娘だと思う。

11月20日(金)
今週に入ってからずっと母の食欲が低下している。口の中が渇き、食べ物を見ると吐き気がするようになったようだ。
今朝はホットミルクをじっとみつめ「飲めるかな?」と言い口をつけると
「あ、飲める飲める」とうれしそうに飲み、目玉焼きも「食べられる!」と言いながら口に運んでいた。
毎回の食事が食べられる、食べられないで一喜一憂する母を見ていると
小康状態の時期を終えて下り坂になっているという気がしてならない。

このあと洗濯物を干すために外に出たらひどい寒気に襲われてからだが震え、気分が悪くなって寝込んでしまった。
「部屋の中から急に寒いところに出たからよ。体温の調節ができなくなっているみたい。」と母は言う。

ブログのコメントで教えていただいた薬のことに関してインターネットで調べていて、
あるサイト(病院のHP)のステロイド剤に関する記述が目に入り心臓がとん、と跳ねた。

{疼痛が緩和され、その他の症状もある程度コントロールされている患者でも確実に衰弱は進行する。
ステロイドがこのような患者の強い倦怠感に有効であることがある。
すべての患者に有効であるとはいえないが、残された時間が少なくとも1ヵ月以上あり、血液検査にてCRPの上昇をきたしている症例で効果があることが多い。
効果があると比較的短期間で食欲の増加、「元気のよさ」がみられるようになる。
しばらくの間効果は持続するが(多くは1ヵ月から3ヵ月)、効果が切れ強い全身倦怠を訴えるようになると比較的短期間で臨死期を迎える。当院では「ステロイドハネムーン」とよんでいる。}

「効果が切れ強い全身倦怠を訴えるようになると比較的短期間で臨死期を迎える。」

臨死期!?


夕方6時に緩和ケアの先生が来る。
母が食欲がなくなったと訴えると先生は
「この病気の方はみなさんそうなんですよ。でもIさん(母)は吐き気があまりないからまだいい方ですよ。」と言う。

診察のためベッドに横になり衣服を上げて腹部を出すとお腹が以前より膨らんでいて水風船のように揺れる。
「腹水が少したまっていますが苦しくないですか?ああ、苦しくない。
それならほっといて大丈夫です。もし苦しくなったら利尿剤を使いましょう。」

オキノームを使う回数が増えているのでオキシコンチンを朝夕3錠ずつから4錠ずつに増やし様子をみましょう、と言い
先生は追加分の処方箋を直接薬局に電話で伝える。
やっとオキシコンチンの量を増やしてもらえた。これで痛みが軽減される、と思い私はほっとする。

11月21日(土)
久しぶりに怖い夢を見て夜中に目が覚める。胸の動悸がなかなか治まらず
こんな夢を見たのはインターネットで見たステロイド剤に関する記述のせいだと思う。

母が抗癌剤を止めてから食欲も改善されて元気になったのは、抗癌剤の副作用から開放されたせいだけでなく
ステロイド剤によるものも大きかったのではないだろうか。
そして今、ステロイドの効果が切れ始めているのではないのだろうか?
夜中に寝床の中で考えることは悪い方へばかり向かってしまい、なかなか寝つかれない。

朝7時半、インターホンの呼び出し音で目覚める。
こんなに朝早く呼び出されることはないので何事かと思い慌てて受話器を取りに行くと
早く起きていた夫がインターホンに出て「お袋さんが呼んでる。辛そうな声だよ。」と言う。
階下へ行くと眉間に深く皺を寄せた母がお腹をさすりながら
「オキノームを2回飲んだけど痛みが引かないの。座薬を使おうかしら。」と言う。
私が冷蔵庫からアンペック座薬を出し渡すと母はトイレに行って座薬を入れてきて
ベッドに横になる。
「前は座っている方が楽だったんだけど、このごろ寝ている方が楽なの。すぐ寝たいなーと思っちゃって…
体力がなくなっているのね。」

確かに少し前まで母は正座して背中をまっすぐに伸ばし、こうしているのが一番楽なのと言っていた。
健康な私たちのだらだらした座り方よりよりよほど綺麗で正しい居住いだ、と笑っていたのだが
そんな母の姿も見られなくなるのだろうか。

日が昇ってくると気温が上がり春のような陽気になる。
「今日はお散歩に行こう。少しは歩かないと体力が落ちちゃうから。」
「えっ、大丈夫?」
座るより寝る方が楽だと言っていたのに、散歩などして疲れないのか心配だが
母の(このままでは弱ってしまうばかり)と焦る気持ちがよくわかるので一緒に散歩に出る。

「しばらく歩いてなかったせいね、なんだかフワフワする感じ。」と言いながら
それでも母は努めて早く歩こうとする。
「無理しないでゆっくり行こうね。」
「あれ?ぽろりクン(犬)は連れてこなかったの?」「…うん。」
ぽろりを連れていると母が万一途中で歩けなくなったりしても動きがとれない。
「あ、そうか。私が久しぶりだから心配よね。また何回か散歩すれば一緒に連れて来れるわね。」
何回も…ずっと散歩に来れればいいのに。と思い私はまた胸が痛くなる。

だんだん母はハァハァと息切れするようになり、途中にあるベンチに座ってしばらく休む。



息が整うとまた歩き始めるが少しするとまた喘ぐように息切れするので休もうと言うが
大丈夫と言って家まで歩ききる。
しかし家に着くとやはり疲れたのかすぐにベッドに横になる。

昼、父が昨日のカレーが残った鍋とパック入りのうどんを1玉持って2階に上がって来る。
いつも昼食は母が簡単に作るから用意しなくていい、と言われているのだが
今日母が横になって寝ているので父が自分でカレーうどんを作ろうとしたら、母が
「カレーの匂いで吐き気がするから2階で作ってもらって」と言ったそうだ。
「日に日に、目に見えて弱っていくんだ。そばにいるとたまらないよ。」と父は
目をうるませている。

母が病気になる前の父は家にいるときはほとんど自分の部屋にこもってテレビを見たり寝ていたりして
母との会話も少なく、母はよく寂しいとこぼしていた。
しかし母が病気になってから、特に余命を知らされてから母に優しくなりまめに動くようになった。
それでも自分の部屋で一人でいるのが父にとっては一番楽なことには変わりない。
ここにきて元気がなくなった母のそばについていることが多くなり父も疲れているようだ。

私も今のところは1日に3回様子を見に行って話を聞く以外は、特に何かを頼まれなければ自分の家の家事や買い物に行くなどして過ごしている。
母も気を使っているのか、私が長い時間階下にいると
「やることがあるんでしょう、戻っていいわよ。」と2階へ行って自分の用事をするように促す。
しかしこれからはもっと母のそばについている時間を増やさなければいけなくなるだろう。
いずれブログを書く時間もとれなくなってくるのかもしれない。


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補聴器が直った

2009年11月21日 01時07分44秒 | 日記
11月18日(水)
気温は低いが、朝のうち残っていた厚い雲が昼までには綺麗さっぱりなくなって爽やかな秋晴れになった。
今日こそずっと延期されていた耳鼻科に行って、補聴器屋に行きうっとおしい補聴器の不具合を直す、と母は決めて
11時ごろに出るからそのつもりでいてね、と言う。

うーん。血液型B型(のせいかわからないが)の母はもともとマイペースな性格だが、病気になってからさらにそれが強調されて
私の都合や思惑など意に介せず一方的にああして、こうしてと指示することが多くなった。

耳鼻科は商店街のなかでも駅から歩いて10分以上かかるところにあり、駐車場もなく、
道も狭くて交通量は多いので路上駐車をして付き添うわけにもいかない。
本当は夫が休みの土曜日に運転手をしてもらって私は心置きなく付き添える方がいいのだ。

しかし、今日のチャンスを逃してまた延期すると体調や来客などもろもろの理由で
また延び延びになってしまう恐れがある。
もう何ヶ月もの間ピーピーとうるさい補聴器を我慢して使っている母をこれ以上待たせるわけにもいかない。

母一人耳鼻科に送り車を駅ビルの駐車場に置いてきて耳鼻科に歩いて戻り終わるのを待つ、というつもりで出かけたが
耳鼻科はすいていてすぐに終わるということだったので、短時間ならと耳鼻科の前に車をとめて乗ったまま待つ。
15分くらいで診察を終えて出てきた母を車に乗せて駅まで行き駅ビルに駐車すると
反対側の南口の近くにある補聴器屋まで歩く。
駅ビルの南北を繋ぐ通路はいつも人でごった返しているので
母の神経が疲れるのではないかと心配するが、母はやっと補聴器を直してもらえるうれしさで人ごみも気にならないようだ。

補聴器屋は駅前の小さな雑居ビルの4階にある。
入って待合席に腰掛けるとすぐに年齢30代前半くらいの大柄な男性が来て座っている母の前にしゃがみ話しかける。
「こんにちは、お久しぶりですね。お風邪をひかれましたか?」
母がマスクをしているのを示して、マスクをつけるジェスチャーをしてみせる。
「あ、これは風邪を移されないために…実は私、悪い病気になってしまって。」
相手の男性は予想していたようにすかさず
「痩せられましたよね。いつから?」と言う。
「8月に病気がわかって、もう手遅れだったんです。
それでずっとこちらに来たかったんですけど来れなかったんです。」

聞きながら私はそこまで言わなくていいのに、相手も返す言葉に困るだろうと思う。
実際、男性は「えっ…」と言って気の毒そうな表情をしたきり続く言葉が出ない。
母は相手の反応を気にとめもせず補聴器の不具合について話し出す。
「もうね、ちょっと頭を動かすとピーピーうるさくて…
耳垢のせいかなと思って今耳鼻科に寄って来たんですけどまだ鳴ってるわ」と言って頭を左右に傾ける。
母の左耳に入った補聴器からかすかにピーという音が漏れ聞こえる。

わかりました、調整してきますと言って男性は母の耳から補聴器を取り奥に消える。
この後男性は補聴器を調整して持ってきて、母の耳に入れ具合を確かめてまた調整に持っていく、を10回くらい繰り返す。
その間に60代くらいの年配の店員さんも来て御病気なんですか?今は医学も進歩していて治療法がありますからね、
頑張って治してくださいねと励まし
「補聴器の調子が悪くなったのはたぶんお痩せになったからだと思いますよ。
とても繊細にできていますので太ったり痩せたり、ということで合わなくなってくるんです。」と言う。

母が気に病んでいる「痩せた」と言う言葉が他人の口から出ると私はヒヤヒヤしてしまうのだが
母は案外冷静に「そうですね、私もそうじゃないかとも思っていました。」と言う。

1時間余りでやっと完全に調整が終わり首を振っても雑音が出なくなった。
「これからもずっとよろしくお願いします。」
担当の男性が「ずっと」に力を入れて言い、エレベーターのドアが閉まるまで深々と頭を下げて見送る。

帰りに母がよく一人でランチしていた回転すし屋に寄って行こうかと誘うが母は
「うーん、まだあまりお腹が空かないからね…一皿くらいなら食べられるかもしれないけど」
「無理することないよ。じゃ、何か買って帰ろうか。」
駅ビルの地下の食品街に行くが、どの店舗を見ても母はあまり食べたい気が起きないと言い、
父用に小さな寿司の詰め合わせを1つだけ買って駐車場に向かう。
帰りの車の中で母はあれっ、と私の顔を見る。
「Sちゃん(私)の食べる分は買ったっけ?」
「私はゆうべのの残り物があるからいいのよ。」
「ごめんね。自分のことばかり考えていてSちゃんのお昼のことは忘れちゃって…」
母は何度もごめんねと謝った。
やっと気力を振り絞って外出しているのに、自分以外のことなんて考えられなくて当然だよ、と思うが
そう言うのも母を傷つける気がして口に出しては言えない。

夜8時ごろ弟が丸山ワクチンの接種のために来る。
弟は家に着くとすぐに手に持った紙袋を開けて中から細長いレトルトパックのようなものを3本出す。
「これはね、フコイダンって言って癌に効くって言われているお薬で副作用はないから飲んでみて」

2,3日前に「フコイダンのお試し品を頼んだので届いたら届いたら持っていく」と弟からメールをもらったがそのメールには
「どうも科学的根拠には欠きそうで、
一時流行した『霊芝』とか、『サメ軟骨』みたいな、はやりすたりのあるもののような気がしてならないけど、
まあ害はないと思うので、試してみたらどうかなという感じです」
ともあった。
しかし母に対しては子供に言い含めるように
「癌に効くって言われているお薬」と説明しているのが可笑しい。

弟はコップを出しフコイダンを1本あけて匂いを嗅ぐ。
「ちょっと匂いがあるけどどうかな」と母に差し出すと母は恐る恐る口をつけ
「大丈夫みたい」と全部飲み干す。
「1日1本、飲み続けられそうだったら言ってね。注文するから。」と弟は言って
丸山ワクチンをうち、急ぐ様子ですぐに帰る。
コップを片付けるとき、そっと匂いを嗅いでみたら海藻の香りがした。


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