母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

父の涙と母の躁状態

2009年10月27日 17時26分02秒 | 日記
10月24日(土)
朝階下に様子を見に行くと母が奥の部屋の押入れからダンボール箱を抱えてくる。
「海外旅行の写真がこんなにたまっちゃって…パパと一緒に見て思い出しながら整理しようと思って。」
ダンボールの中には「カナダ」「ドイツ」などマジックで書かれた紙袋がいくつか入っている。
父はあまり気乗りしなさそうに母が袋から写真を出すのを眺めている。
母が手にした写真をちらりと見ると両親がユングフラウをバックに並んで満面の笑みを浮かべている。
私は思わず目頭が熱くなって、洗濯物が途中だと言って2階に戻る。
あんな膨大な楽しい思い出を前に、父が気乗りしないのもわかる。涙が止まらなくなってしまいそうだから。

2階に戻って少したつとインターホンが鳴り、母が痛がっていると言って父に呼ばれる。
階下に行くと母が目をつぶってお腹を抑えている。昨日と同じようにかなり強い痛みがきはじめているようだ。
すでにオキノーム(鎮痛剤)は飲んだと言うので母の背中をさする。
両手で強めに上から下へとさすり、しばらくすると
「ありがとう。少し良くなってきたから。」と言い、もうさすらなくていいと言うが
さする手を休めるとお腹が痛くなってくるらしいのでまたさする。これを何回か繰り返すが一向にオキノームが効いてこない。
「こんなことが続くんじゃたまらないわ。T也に麻酔で眠らせてそのまま逝かせてもらえないかしら。」
「なに言ってるの!オキコンチンの量を減らしたからもたないだけよ。明日からもとの量に戻そう。」
オキシコンチン(モルヒネ)は眠気が強く出て頭がぼーっとすると言って、少し前に飲む量を減らしていたのだ。

電話がかかっている呼ばれ私が2階へ行く間は父が代わって背中をさすり、5分ほどして私がまた代わる。
通常30分で効いてくるといわれているオキノームが1時間経っても効かないのでもう一包飲み、
やっと痛みが治まってきたのは痛み出してから2時間後だった。痛みが治まると母は休みたいと言い安定剤を飲んで寝る。
「大変だったな。」と父がため息をつく。
「S子が2階に行ってる間さすってただけで肩がパンパンに張っちゃったよ。
本人も周りも地獄だな。」
父は2年前に腕の神経を痛めて一時両腕がまったく動かなかった。その後腕や手の力が極端に弱くなったので
力を入れてさするのは難儀だったのだろう。

夜、階下へ行くと母がちょっとそこに座ってと言う。
「今お葬式の話をしていたのよ。」
母は自分の望むお葬式やお墓の話をする。

私は賑やかなのが好きだからお葬式は盛大にしてね。
通夜振る舞いの料理は足りないとみみっちいから余るくらいにしてね。
お花が好きだからいっぱい飾ってほしい。写真は笑ってるのがいいわ。ううん、美人に写ってなくていいの。
私はいつもニコニコ笑ってるのがいいって言われるから笑ってる写真にしてね。
お墓はみんなが来てくれるように近くがいいわ。今ある田舎のお墓は遠くて、お墓参りが大変でしょう?そうするとだんだん誰も来なくなっちゃうのよ。
だからあそこは引き上げてこっちのお墓を買うわ。近くてこぎれいな墓地にしてね。
そうだ、今度一緒に見に行こうか…

母の話はどんどん膨らんでとどまるところを知らない。
私は自分の死んだ後のことはどうでもいい。残った人たちの好きなようにしてくれと思う方だが、
仕切り屋の母は死後のことまで自分で仕切りたいのかと可笑しくなる。
「わかった。全部ママさんの言うようにするからね。」

父は聞いていて耐えられなくなったらしく、急に立って洗面所へ走り目を赤くして戻る。
「どうしたの?」母はぽかんとしている。父の気持ちにまるで気づいていない。
「嫌な話ばかりで聞いてられなくなっちゃったんだ。」と父が言うと
「ごめんね。嫌な話しちゃって。」と母は言うがその口調にはあまり心がこもっていないように聞こえて、あれっと思う。
癌が発覚してすぐの頃母は一時的に躁状態になったが、今の母はその時と似ている。
明るくなってよく喋るのだが聞く側の気持ちをまるで気にせずまくしたてる。
しかしこれも精神不安定のひとつだ。注意したり責めてはいけないのだと思い、延々続く母の話に耳を傾ける。

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