11月22日(日)
今日は朝からひどく調子が悪そうに見える。
食欲が全くないし眠くて頭がぼんやりしている感じだ。
また、口が渇いて舌が口腔にへばりつき、滑舌が悪い。
オキシコンチンを増やしたせいか、一日中眠気がとれずベッドの中で過ごす。
そのかわりに痛みは出ず、気持ちよく眠れるようだが
昼も夜も野菜ジュースやヨーグルトの他はほとんど口に入れることができない。
夜、兄夫婦が来るがベッドから起きることなく
ベッドの脇の炬燵で父、兄夫婦、私が喋っている間もうつらうつらしていて
そのうち眠ってしまう。
11月23日(月)
朝は早くに目が覚めても体が重くて起きられなかったと言い、
母は私が階下へ下りた8時ごろの少し前にやっとベッドから離れて食卓についた。
つい先週までは5時や6時に起きてK療法(機械でカーボンを燃やしその光線を当てる民間療法)を1時間かけて行い、
朝食の用意をしていたのだが、もう食卓に座っているだけでせいいっぱいのようだ。
食欲はないのだが薬を飲む前に何か胃に入れなければという気持ちがあって
父が電子レンジで暖めた牛乳とヨーグルトを目の前の食卓に置き、思いつめたようにじっと見ている。
意を決したように牛乳を喉に流し込む。が、急に立ち上がり庭側のガラス戸を開け
サンダルを履いて1歩出るまもなく飲んだ牛乳を戻してしまう。
私も慌てて外に出て背中をさする。
飲んだ牛乳はわずか20ccくらいのもので、ほとんど出るものがないのだが
なかなか吐き気が治まらないのか何度もえづき、苦しそうで見るのもつらい。
やっと落ち着くと「水で流しておいてね」と私に言い、よろめきながら家の中へ戻る。
このことで体力を消耗し、母は「疲れた」と言ってベッドに横になる。
11時ごろ在宅ケアの看護士さんがみえる。
前回、1週間前に来たときとはまるで様子が違いベッドに寝たまま迎える母にも
看護士さんは驚く様子も見せず
進んだ症状への細かな対応の仕方を母と私に指示する。
吐き気のあるときは吐き気止めの座薬を使うように。
口の渇きには、グリセリンを車に取りに行き500ccのペットボトルに溶液を作る。
これにうがい薬のハチアズレを溶かして口をすすぐように。
「太白」という無味無臭のごま油を買ってきて口の中に塗ると滑らかに動くようになる。
そして週に医師1回、看護士1回計2回の往診を医師2回、看護士2回計4回に増やしましょう。
明日火曜に先生が来るので腹水を診てもらって利尿剤を出してもらいます。
さすがに在宅ケアの看護士さんは母のような症状に慣れていててきぱきと話を進める。
毎日つけている母の日誌を見て、日曜に眠気が強かったのは土曜にオキシコンチンとアンペック座薬を使った回数が多く
麻薬の全体量が急に増えてしまったためだと言う。
座薬は1錠が10mgで、使っているオキノームの倍量なのだそうだ。
看護士さんが帰ると母は横になったまま
「今日は天気がいいから散歩に行こうか」と言う。
「大丈夫!?」「大丈夫よ。少し運動すれば食べられるかもしれない。」
こんなに具合が悪くなっているのにまだ散歩に行こうとする母。
症状の悪化、体の衰弱に必死で戦いを挑んでいるように見えて胸がぎゅっと痛くなる。
「じゃ、この前のコースはちょっと長すぎたから短めにしようね。」
しかし、前回土曜日に散歩したときに比べても足元がふらふらしている。
車道を渡るときには私の袖をつかみ、並んで歩いていても体が左右にぶれてぶつかってくる。
50mほどでもう息切れが始まる。ごく近所を一回りして家に帰ると母は業を煮やしたように
「もうっ!どうしてこんなになっちゃったんだろうっ」と目を潤ませてベッドに倒れこむ。
「とてもお昼はたべられないわ。寝る。」と目をつぶってそれ以上何も言わない。
母はきっともう散歩に行こうとも言わなくなるだろう。
そう思うとどうしようもなく寂しくて悲しい。
あれほど健脚だった母なのに、歩けなくなる日がもうすぐそこまで来ている。
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今日は朝からひどく調子が悪そうに見える。
食欲が全くないし眠くて頭がぼんやりしている感じだ。
また、口が渇いて舌が口腔にへばりつき、滑舌が悪い。
オキシコンチンを増やしたせいか、一日中眠気がとれずベッドの中で過ごす。
そのかわりに痛みは出ず、気持ちよく眠れるようだが
昼も夜も野菜ジュースやヨーグルトの他はほとんど口に入れることができない。
夜、兄夫婦が来るがベッドから起きることなく
ベッドの脇の炬燵で父、兄夫婦、私が喋っている間もうつらうつらしていて
そのうち眠ってしまう。
11月23日(月)
朝は早くに目が覚めても体が重くて起きられなかったと言い、
母は私が階下へ下りた8時ごろの少し前にやっとベッドから離れて食卓についた。
つい先週までは5時や6時に起きてK療法(機械でカーボンを燃やしその光線を当てる民間療法)を1時間かけて行い、
朝食の用意をしていたのだが、もう食卓に座っているだけでせいいっぱいのようだ。
食欲はないのだが薬を飲む前に何か胃に入れなければという気持ちがあって
父が電子レンジで暖めた牛乳とヨーグルトを目の前の食卓に置き、思いつめたようにじっと見ている。
意を決したように牛乳を喉に流し込む。が、急に立ち上がり庭側のガラス戸を開け
サンダルを履いて1歩出るまもなく飲んだ牛乳を戻してしまう。
私も慌てて外に出て背中をさする。
飲んだ牛乳はわずか20ccくらいのもので、ほとんど出るものがないのだが
なかなか吐き気が治まらないのか何度もえづき、苦しそうで見るのもつらい。
やっと落ち着くと「水で流しておいてね」と私に言い、よろめきながら家の中へ戻る。
このことで体力を消耗し、母は「疲れた」と言ってベッドに横になる。
11時ごろ在宅ケアの看護士さんがみえる。
前回、1週間前に来たときとはまるで様子が違いベッドに寝たまま迎える母にも
看護士さんは驚く様子も見せず
進んだ症状への細かな対応の仕方を母と私に指示する。
吐き気のあるときは吐き気止めの座薬を使うように。
口の渇きには、グリセリンを車に取りに行き500ccのペットボトルに溶液を作る。
これにうがい薬のハチアズレを溶かして口をすすぐように。
「太白」という無味無臭のごま油を買ってきて口の中に塗ると滑らかに動くようになる。
そして週に医師1回、看護士1回計2回の往診を医師2回、看護士2回計4回に増やしましょう。
明日火曜に先生が来るので腹水を診てもらって利尿剤を出してもらいます。
さすがに在宅ケアの看護士さんは母のような症状に慣れていててきぱきと話を進める。
毎日つけている母の日誌を見て、日曜に眠気が強かったのは土曜にオキシコンチンとアンペック座薬を使った回数が多く
麻薬の全体量が急に増えてしまったためだと言う。
座薬は1錠が10mgで、使っているオキノームの倍量なのだそうだ。
看護士さんが帰ると母は横になったまま
「今日は天気がいいから散歩に行こうか」と言う。
「大丈夫!?」「大丈夫よ。少し運動すれば食べられるかもしれない。」
こんなに具合が悪くなっているのにまだ散歩に行こうとする母。
症状の悪化、体の衰弱に必死で戦いを挑んでいるように見えて胸がぎゅっと痛くなる。
「じゃ、この前のコースはちょっと長すぎたから短めにしようね。」
しかし、前回土曜日に散歩したときに比べても足元がふらふらしている。
車道を渡るときには私の袖をつかみ、並んで歩いていても体が左右にぶれてぶつかってくる。
50mほどでもう息切れが始まる。ごく近所を一回りして家に帰ると母は業を煮やしたように
「もうっ!どうしてこんなになっちゃったんだろうっ」と目を潤ませてベッドに倒れこむ。
「とてもお昼はたべられないわ。寝る。」と目をつぶってそれ以上何も言わない。
母はきっともう散歩に行こうとも言わなくなるだろう。
そう思うとどうしようもなく寂しくて悲しい。
あれほど健脚だった母なのに、歩けなくなる日がもうすぐそこまで来ている。
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いつも応援ありがとうございます
常にお母様の気持ちになってあげてください。それだけでも お母様の辛い気持ちが少しは和らぐのではないかな?って思います。
私の母も 「なんでこんなことに・・・」って凄く悔しそうでした。でも 私は最後まで絶対諦めないからって ずっとずっと母に言ってきました。
母が 痛みや疲れで辛いときも 小さいときの懐かしい話、あの時ホントは・・・なんて話もたくさんしました。母は こんなときに何言ってるのって思ってかもしれませんけどね。少しでも母の気持ちが落ち着いてくれたら・・・そんな一心でした。
毎日、できなくなることを数えると切ないですよね。
今日はあれができた、こんなこともできたという気持ちをどうかお忘れずに。
そして、これからはなるべく一緒の時間を多く持たれることをお勧めしたいです。
私は父に関しては何も後悔はしていませんが、もう少し一緒にいたかったということだけが心残りです。
寒くなってきましたからりりぃさんも体調に気をつけて、看護、がんばってください!
余りにも辛いブログの内容で、とても胸が痛くなりました。
本当に膵臓癌は(他の癌もそうかも知れませんが・・・)症状が急変すると、私も医師から説明をされていました。
さっきまで元気だったのに急に容態が悪くなり救急で病院に行き、緊急入院になる・と云う様な事が私の父も多々在ります。
全く食べれず、50m歩く事すら儘ならない・・
父の場合、生きる希望を失くし「死んでしまいたい」等と言い、私の前で泣いた事も在りました。
これからは出来る事が、今まで以上にだんだん減ってくる事と思います。
診ている方も、もっと辛くなってくると思いますし、本当の意味での正念場だと思います。
でも・そんな中でも喜びを見出し、ご家族皆様で過ごす時間を大切に・少しでも多く笑顔でいられる様に、祈り・願わずにはいられません。
りりぃさん、ご家族の皆様・・・頑張って下さいね!