国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

富士古文書

2014年03月09日 | 太古史

宮下家に伝わっていた古文書について

1、宮下家に伝わっていた古文書を三輪氏が編纂したものが神皇紀として出版されて有名になった。元の古文書は雑多なものが複数含まれていて三輪氏がその骨子を編集したものといわれている。

2、神武天皇以前 天地開闢から富士高天原王朝、徐福について記されている。天照大御神が開き、かつてはここで天皇の即位式を行っていたという。

3、天之御中主以前が記されている。→出口王仁三郎が霊界物語と一部似ている部分がある。。

 ただ出口王仁三郎は神武以前については物語的に35万年前として話を展開しておりすべてを分かりやすく系統的に述べているわけではない。

4、日本書紀にはニニギノ命の天孫降臨以来179万年の月日がたっているといことが記載されている。これについては初期大本の中にも疑う者があったことが神霊界から読み取れるが、出口王仁三郎はこの記述が事実であることを記している。また日本の歴史がたかだか2千数百年でないことも別のところで記している。

 宮下文書の解釈では天照大御神が数千年前に高天原に王朝を開いたとしている件に関しては竹内文書や出口王仁三郎とは年代に大きな開きがある。

 私見では、瓊瓊杵尊の天孫降臨が179万年前とすればその後その史実を利用してしばしば伝承が改ざんされた可能性がある。

 5、ウガヤフキアエズが一人の名前ではなく、いわゆる一定期間のおける天皇陛下のおくりなであるといわれている。これが竹内文書などにもみられる。

 出口王仁三郎によれば、いまは神武王朝にあたる。

6、ウガヤフキアエズ王朝では遷都がたびたびおこなわれている。大きなものは西からの侵略を防ぐために九州に遷都したということ。これがウガヤフキアエズ朝の始まりである。

 7、ところがウガヤフキアエズ朝最後の天皇陛下ヤマトオ王尊の時、大災害が起こり国内統治が乱れた。それに乗じてマガツワタリノミコトスネ彦が数代前の天皇の子孫をたてて、長スネ彦を司令官とし、白木(新羅)の軍師と謀議を重ねて全国支配に乗り出した。この時の戦争は30年続き、ヤマトオ王尊は途中で斃れ、暗黒時代に入った。神皇がなくなったとは高千穂にいる皇后が摂政をついで、皇后がなくなると、カムヤマトイワレヒコノミコトすなわち神武天皇は大和で即位された。

8、孝霊天皇のときに徐福が来日した。

9、阿祖山が浅間となった。また九州の阿蘇山は富士の阿祖山から名づけられたという説。

10、富士山高天原から大陸に赴いた伏犠という伝承で始まる「支那震旦国皇代記」というのがある。

  伏犠-神農-長男 黄帝  となっているという。

  私見だが神農=神皇 黄帝=皇帝ではないだろうか。

11、神農、伏犠については日本の神名と重ね合わせているため混乱がみられる。また神々の親子兄弟関係についても異同がある。

12、竹取物語のかぐや姫伝承は富士山に発したのではないかとの説がある。

13、ナガスネヒコの記述に関しては、古事記や日本書紀よりもリアルである。ナガスネヒコはなぜ反逆者とされたかということがしばしば議論になるが、宮下文書ではナガスネヒコはもともと新羅の将と図って反乱を指揮したことになっている。

 

 

 

 

 

 

 


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